本能寺燃ゆ

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第二章「性愛の山」

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『三塔詮議』は、安慈を中心とする、若く血気盛んな僧侶たちが、「弾正忠、討つべし!」と、声を上げたが、大半の僧侶は中立の立場をとるべきだという意見であった。

 最終的には、『御山は、従来通りいずれにも与せず、寺法を守る』という主張が認められ、これが御山の総意と決められた。

 一方、安慈たち主戦派はこれを認めず、数百の僧兵を連れて、独断で横山に加勢に向かった。

 だが、数日と経たずに、血相をかけて戻ってきた。

 信長軍が、首尾よく北近江一帯を抑え、勢多を通って坂本へ入り込んできたというのだ。

 そのまま比叡山の周辺を取り囲んだという。

 今度は、八万近い兵らしい。

 さしもの僧兵たちも、この数には驚いたようだ。

 陣屋からあがる煮炊きの煙で、坂本一帯が霞んで見えた。

 大鐘が、激しく打ち鳴らされる。

 僧たちが、大講堂の庭に駆け上がる。

 裸足のものや、襦袢姿の者もいる。

 みな一様に、はあはあと荒々しい息をし、渇いた喉をごくりごくりと鳴らしている。

 何の用で、織田は御山を取り囲んだのか?

 みな、それを知りたがっている。

 だが、誰もが答えも知っている。

 御山を攻撃するためだ。

 何故か?

 すでに、覚恕のもとに、信長から書状が届いているという報せが、御山中に知れ渡っていた。

 仔細は、天台座主とその周辺の上層部しか分からないが、御山の、信長に対する態度を糾弾しているらしい。

 あわせて、御山の風紀の乱れも目に余ると書かれているとか。

 昨年、浅井・朝倉勢が御山に駆け上がり、陣を張った際、弾正忠は次の二条を突き付けてきた。

 

  一つ、織田側に与せば、領内の所領を安堵する

  一つ、寺法に従い、織田側に与することができないなら、中立を保て

 

 安慈たちがやいのやいのと騒いだが、御山としては、浅井・朝倉軍、または織田軍のいずれにも与せず、が、寺に入った者は助ける………………という、従来通りの意見しかだせなかった。

 寺としては、当然の立場を取ったまでだ。

 だが、これが信長の癪に障ったようだ。

 御山として、織田、浅井・朝倉のどちらにも協力はしないが、浅井・朝倉は寺の領内に逃げ込んでいるので、これを守る義務がある。

 寺はあくまで、寺としての責任上動いているに過ぎない。

 しかし信長はこれを、叡山は浅井・朝倉側に付いたと思ったらしい。

 さらに、御山が信長に対して明確な態度を示さなかったのも、誤解を招いたようだ。

 信長の朱印状に返答すれば、信長に与した事にはならないかという理由で、これを無視していた。

 それが、信長は気に食わなかったようだ。

 だが御山からすれば、そんなこと、いちいち文にしなくても分かろうが………………で、ある。

 当代の内裏や公家、武将なら、寺は俗世の誰にも与せないが、駆け込んできたものは咎人でも守る………………というのは周知の事実。

 返答なくても、ああ、御山はそういう意見なのだなと分かりそうなものだが………………

 これを何世にも渡り繰り返してきたのだが………………

 信長は、その辺が分かっているのか、分からないのか、それとも分かっていながら、あえてその点を無視して、突き上げてきているのか………………

 いずれにしろ、今回八万の大軍で押し寄せてきたということは、相当の覚悟を持っての事だろう。

 それは、御山の僧侶全員の一致した見解であった。

 では、どうするか?

 相変わらず安慈たちは、

「弾正忠など、恐るるに足らず! 仏敵を撃滅すべし!」

「もっとも! もっとも!」

 と叫ぶ。

 八万の軍勢に恐れをなして帰ってきたのに………………

「謂れなし! あくまで御山は御山、これまで通り、寺法に従うべき。織田殿には、しかるべき書状を送るべきだ!」

「もっとも! もっとも!」

 と、反対意見が出る。

「大体、織田殿が、ここまでするのは、そなたらが刺激したからではないか!」

「もっとも! もっとも!」

 と、安慈たちの態度を非難する声も上がる。

「謂れなし! そなたらの、そういった弱腰が、あやつに付け込まれる隙を作るのだ! ここは、御山の恐ろしさを見せてやるべし!」

「もっとも! もっとも!」

「謂れなし! たかが三千の僧兵で、八万の織田とやりあうのか? それこそ無謀!」

「もっとも! もっとも!」

「謂れなし! 我ら、ただの三千にあらず、大日如来、伝教大師のご加護を受けた三千である! 仏はいずれの味方や? また、我らが動けば、南都だけでなく、各寺の僧兵も動き、一向門徒も呼応して立ち上がりましょうぞ! 敵は弾正忠、ただひとり! 何を恐れるかいわんや!」

「もっとも! もっとも!」

「謂れなし! 王城鎮護を唱える御山が、戦をするとは何事か? 我らは宗祖のもと、一隅を照らすためにこそいるのであり、弾正忠と戦うために修行をしているわけではない!」

「もっとも! もっとも!」

「謂れなし! その弾正忠が、伝教大師の御心を妨げておるのだ!」

「もっとも! もっとも!」

「だいたい、伝教大師の御心は、我らとあり。その御心を、弾正忠に諭すのも、また我らの使命ではないか?」

「もっとも! もっとも!」

「あれが、そんなことに従うか? だいたい、寺法も分からぬ田舎ものぞ!」

「もっとも! もっとも!」

「いや、きちんと教えれば分かるであろう。この度の食い違いは、返答の書状を送らなかったのがもとである。やはり、あのとき送っておれば、よもやこのようなことにはなるまいて」

「もっとも! もっとも!」

「誰だ、あの時、書状を送らずとも良い、弾正忠もそれぐらいは分かろうてと、のんきなことを言ったやつは?」

「お前か?」

「いや、お前だろう?」

「いや、あいつだ!」

「いやいや、拙僧ではないぞ!」

 と、最後はつまらぬことで犯人捜しである。

 結局犯人は分からず、分かっても、この状況をどうにでもできるものでもなかったが、とりあえず、信長に詫びを入れようと、主だった僧たちが大判数百枚を持って、御山を下りて行った。
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