本能寺燃ゆ

hiro75

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第二章「性愛の山」

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 ふと気が付くと、庭先に安覚が立っていた。

 太若丸の顔を見て、頬を染め、慌てて目を逸らす。

 にやりと笑って、何かと、幾分女のように艶めかしい声で訊いた。

 安覚は目を逸らしながら、手に持ったものを差し出す。

 早々と、先ほどの返事だろうか、面倒だと見ると、女物の小袖と文である。

 小袖は、手触りから木綿だろう。

 文を見ると、確かに『唐物の木綿だ』とある。

 誰からかしらとみると、安慈である。

 どうやら京から送ってきたようだ ―― 太若丸に?

『銭を貸してる公家が金を返さないので、代わりに分捕った。こんなもの役にも立たないので、お前にやる』

 というようなことが書かれていた。

 これは………………誘いだろうか?

 誘いなら、素直にそう書けばいいのに、ぶっきら棒な書き方に、太若丸は可笑しくなった。

 安慈は稚児が嫌いだと、安寿から聞いていた。

「稚児だけでなく、女も嫌うので。というか、御山の乱れた風紀が嫌いなのですよ、あれは。真面目な男ですから。慈恵大師に崇拝し、ゆくゆくは自ら座主になり、御山の風紀を正し、もと清貧清廉な姿にもどしたいようですが………………」

 安寿と安慈は、このお堂に入った頃からの付き合いらしい。

 といっても、特段仲が良いわけではない。

 同じ頃にお堂に入ったが、安慈は僧として灌頂を受け、安寿は稚児として灌頂を受け、その後僧侶となった。

 安慈とすれば、禁欲に耐え、厳しい修行をしている己と、僧の相手をして、のんべんだらりと生きている汝ら稚児 ―― 安寿とは、格が違うと思っているらしい。

「口に出してはいいませんが、態度でありありと分かりますからね」

 と、安寿は苦笑していた。

「末は、自ら座主となって、御山を立て直すとか申しておりますが、さてはて、どうなりますか」

 それほど稚児の存在を嫌がっているのに、太若丸に女物の小袖を送ってきた。

 本当はしたくてしょうがなかったのだろうと、太若丸はにやりと笑う。

 それならば、一緒に寝てやろうか?

 一度使わせれば、安慈だって太若丸の虜になるに違いない。

 いや、こういう輩は、むしろ焦らしてやろう。

 稚児が嫌いとか、のんべんだらりと生きているとか思っているようだが ―― 実際は、常に身の回りを綺麗に整え、経典だけでなく、歌や物語を覚え、そこら辺の僧侶よりは、修行に励み、学も才もあるのだ。

 焦らしに焦らせば、今度その沼に嵌まり込めば、二度と出てこれまい。

 安寿よりも、意外に安慈のほうが嵌まり込んで、安覚よりも言う事を聞くようになるかもしれない。

 ぺろりと舌なめずりし、筆をとって、小袖の礼だけを書き送った。

 返事はこなかった。

 が、次に会った時は、微妙な顔つきをしていた。

 初夏も終わり、青々とした葉が御山を包み込んだ頃だ。

 安慈が京よりも戻ってきて、安仁に手柄話をするというので、安寿とともに部屋に向かった。

 太若丸が部屋に入り、目が合うと、安慈は慌てて目を反らす。

 どうやら、相当気にしているようだ。

 太若丸はわざと身体をくねらせ、三つ指をついて礼を述べると、安慈はそっぽを向き、ふんと鼻を鳴らした。

 が、耳が赤い。

 一緒にいた、安仁や安寿は驚いている。

「なんじゃ、そなたにも煩悩があったのか?」

 と、安仁が笑えば、

「安慈殿もすみにおけませぬな」

 と、安寿もにんまりしていた。

「馬鹿げたことを!」、安慈は眉を釣り上げ、唇を激しく歪める、「あれは、たまたまだ。女の小袖など、僧には無用。まあ、せっかく分捕ったのから、有益に使わねば意味はあるまい。それまでだ」

 少々言い訳としては弱い ―― それなら売って、銭にすればいいものを。

 安慈自身も分かっているのか、珍しく顔が真っ赤だった。

 今宵辺り、寝てやろうかと思った。

「拙僧は、稚児などに構ってはおられんのです」

 と、本人は言っていたが………………
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