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第二章「性愛の山」
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御山として、信長の要請は無視することとなった。
あくまで寺として、信長にも、浅井・朝倉にも与するわけにはいかない。
が、寺に入った者は、これまで通り守る ―― との意見でまとまった。
これを書状にして信長に送ろうかとも話があがったが、そうなると信長の朱印状に応えた様になり、彼に与したことになるのではという、なんとも複雑な理屈で、では無視しておこうとなった。
信長は、一見『うつけ』で、無法者に見えるが、これまでの経緯を見ると、なかなか定法どおりである。
「浅井・朝倉の件も、むやみやたらと押し入ることもなく、一度寺に断りを入れているので、案外筋の通った武将かと思われます。御山は王城鎮護の要、これを攻撃するは帝に弓を引くのと同じ、また御山を攻めれば、叡山だけでなく、南都や一向など、全ての寺を敵に回すことになりましょう、信長もそこまで無茶はしますまい」
と、安寿は言っていた。
「いや、田舎侍のこと、何をするか分からん。やはり、僧兵を出しましょうぞ」
と、安慈の意見である。
「まあ、御山としては、今回はどっちにも付かずということだ。あまり派手な動きはしなさんな」
と、安仁の言葉に、安慈は不満げだった。
こうして、年が改まった。
大雪ではあるが、御山は久々に穏やかな日々である。
というのも、浅井・朝倉勢は、昨年の十二月に山を下り、北陸に撤退、信長も勢田まで軍を退いて、要は和睦がなったのである。
比叡山は、信長の朱印状を無視していた。
その間、信長勢のなかで跳ね上がり者どもが里坊で乱暴を働き、これに一部の僧兵が出張るという小さな衝突はあったものの、浅井・朝倉、織田の双方は膠着状態が続いていた。
一方、信長が北に引き付けられている状況を見て、各地の反織田勢が動き出す。
六角義賢が南近江で兵をあげ、伊勢では一向宗が一揆を起こし、三好も虎視眈々と京を狙う。
信長は、堅田がこちらに寝返ったと聞くと、そこに兵を向けたが、すでに朝倉に察知され、撃滅される有様。
このまま坂本で浅井・朝倉と睨み合いを続ければ、もっと反織田勢が動き出し、二進も三進もいかなくなると思ったのか、信長は将軍義昭と内裏に仲裁を頼んだ。
浅井・朝倉も、これ以上長引かせると、雪で領国に帰れなくなると危惧していたところだったので、将軍からの仲裁案に乗り、昨年の十二月十五日に兵を退いた次第であった。
折しも雪が降り始め、十六日には大雪となったので、双方にとって絶妙な時であった。
しばしの平穏を、太若丸は、安仁や他のお堂の高僧たちの寝所で過ごした。
どうも『三塔詮議』で見染められたらしい。
何人かの他のお堂の僧から文が届いたが、その中でも上位の僧の相手をした。
下の僧侶よりも、上の方が、やはり裕福だ。
菓子や珍しい品物をくれる。
下界の情勢にも詳しく、都や各地の武将の動きも分かる ―― 残念だが、いまだ十兵衛の消息は分からないが………………
太若丸は、それに応えるように、己の身を使って煩悩の火を消してやる。
すると悦び、また珍しい菓子などを送ってきてくれるのだ。
下の輩を相手しても、これといって良いこともないので、早々に袖にしている。
ただ、安覚だけは相手をしてやる。
彼は、まるで従順な犬のように、太若丸に付き従っている。
太若丸が、ああしろ、こうしろ、あれが欲しい、これが欲しいなどというと、勇んで駆けていく。
柿が食べたいと言えば、お堂の庭にあった大きな柿の木に上り、落ちそうになりながらも取ってきてくれる。
瓜が食べたければ、どこかの畑から盗ってくる。
雪で歩くのがつらいと言えば、負ぶってくれる。
そんなとき、安覚は潤んだ瞳で見つめてくる。
可愛いやつだと、尻を使わせてやると、喜んで腰を押し付け、それを振る。
そして、また子犬のような鳴き声をあげながら、太若丸の中で果てるのである。
安寿は、相変わらず老婆のもとへ通っている。
太若丸には興味がないようだ。
いや、それとも他に契った稚児がいるのか?
一度聞いたことがある。
安寿は「まだ」と首を振った。
「特段、稚児を持つつもりも、稚児と睦会るつもりもありません」
だが、もとは稚児だったはず、ではなぜ稚児を持たぬのか?
「ふむ……、なぜと言われても……、拙僧も稚児灌頂を受けたからでしょうか。まあ、なんというか……、拙僧が受けたことを、下の者にやらせたくないのですよ」
だが、太若丸には稚児灌頂を受けるように進めた。
「あれは……、安仁様が御望みでしたので」
では、なぜ女と睦会る?
安寿は苦笑いする。
「まあ……、その……、あれです、経験といいますか、女も観音菩薩ですから。稚児は儀式でなりますが、女は生まれつきそうなのです」
では、女の方が上なのか?
「上とか、下とか、そういうことではありません。誰彼等しくですね………………」、安寿は首を傾げた、「もしや、妬いてますか? 見苦しいですよ」
太若丸は、むっと眉を歪める。
「そういう顔も、見苦しいですよ。あなたは、観音菩薩の化身なのですから」
少し棘のある言い方に、太若丸は気分が悪かった。
―― 女ごときに、嫉妬するなどありえない!
いまの我のほうが、女よりも遥に美しい!
我こそは、観音菩薩なのだ!
そういう自負が、太若丸にはあった。
あくまで寺として、信長にも、浅井・朝倉にも与するわけにはいかない。
が、寺に入った者は、これまで通り守る ―― との意見でまとまった。
これを書状にして信長に送ろうかとも話があがったが、そうなると信長の朱印状に応えた様になり、彼に与したことになるのではという、なんとも複雑な理屈で、では無視しておこうとなった。
信長は、一見『うつけ』で、無法者に見えるが、これまでの経緯を見ると、なかなか定法どおりである。
「浅井・朝倉の件も、むやみやたらと押し入ることもなく、一度寺に断りを入れているので、案外筋の通った武将かと思われます。御山は王城鎮護の要、これを攻撃するは帝に弓を引くのと同じ、また御山を攻めれば、叡山だけでなく、南都や一向など、全ての寺を敵に回すことになりましょう、信長もそこまで無茶はしますまい」
と、安寿は言っていた。
「いや、田舎侍のこと、何をするか分からん。やはり、僧兵を出しましょうぞ」
と、安慈の意見である。
「まあ、御山としては、今回はどっちにも付かずということだ。あまり派手な動きはしなさんな」
と、安仁の言葉に、安慈は不満げだった。
こうして、年が改まった。
大雪ではあるが、御山は久々に穏やかな日々である。
というのも、浅井・朝倉勢は、昨年の十二月に山を下り、北陸に撤退、信長も勢田まで軍を退いて、要は和睦がなったのである。
比叡山は、信長の朱印状を無視していた。
その間、信長勢のなかで跳ね上がり者どもが里坊で乱暴を働き、これに一部の僧兵が出張るという小さな衝突はあったものの、浅井・朝倉、織田の双方は膠着状態が続いていた。
一方、信長が北に引き付けられている状況を見て、各地の反織田勢が動き出す。
六角義賢が南近江で兵をあげ、伊勢では一向宗が一揆を起こし、三好も虎視眈々と京を狙う。
信長は、堅田がこちらに寝返ったと聞くと、そこに兵を向けたが、すでに朝倉に察知され、撃滅される有様。
このまま坂本で浅井・朝倉と睨み合いを続ければ、もっと反織田勢が動き出し、二進も三進もいかなくなると思ったのか、信長は将軍義昭と内裏に仲裁を頼んだ。
浅井・朝倉も、これ以上長引かせると、雪で領国に帰れなくなると危惧していたところだったので、将軍からの仲裁案に乗り、昨年の十二月十五日に兵を退いた次第であった。
折しも雪が降り始め、十六日には大雪となったので、双方にとって絶妙な時であった。
しばしの平穏を、太若丸は、安仁や他のお堂の高僧たちの寝所で過ごした。
どうも『三塔詮議』で見染められたらしい。
何人かの他のお堂の僧から文が届いたが、その中でも上位の僧の相手をした。
下の僧侶よりも、上の方が、やはり裕福だ。
菓子や珍しい品物をくれる。
下界の情勢にも詳しく、都や各地の武将の動きも分かる ―― 残念だが、いまだ十兵衛の消息は分からないが………………
太若丸は、それに応えるように、己の身を使って煩悩の火を消してやる。
すると悦び、また珍しい菓子などを送ってきてくれるのだ。
下の輩を相手しても、これといって良いこともないので、早々に袖にしている。
ただ、安覚だけは相手をしてやる。
彼は、まるで従順な犬のように、太若丸に付き従っている。
太若丸が、ああしろ、こうしろ、あれが欲しい、これが欲しいなどというと、勇んで駆けていく。
柿が食べたいと言えば、お堂の庭にあった大きな柿の木に上り、落ちそうになりながらも取ってきてくれる。
瓜が食べたければ、どこかの畑から盗ってくる。
雪で歩くのがつらいと言えば、負ぶってくれる。
そんなとき、安覚は潤んだ瞳で見つめてくる。
可愛いやつだと、尻を使わせてやると、喜んで腰を押し付け、それを振る。
そして、また子犬のような鳴き声をあげながら、太若丸の中で果てるのである。
安寿は、相変わらず老婆のもとへ通っている。
太若丸には興味がないようだ。
いや、それとも他に契った稚児がいるのか?
一度聞いたことがある。
安寿は「まだ」と首を振った。
「特段、稚児を持つつもりも、稚児と睦会るつもりもありません」
だが、もとは稚児だったはず、ではなぜ稚児を持たぬのか?
「ふむ……、なぜと言われても……、拙僧も稚児灌頂を受けたからでしょうか。まあ、なんというか……、拙僧が受けたことを、下の者にやらせたくないのですよ」
だが、太若丸には稚児灌頂を受けるように進めた。
「あれは……、安仁様が御望みでしたので」
では、なぜ女と睦会る?
安寿は苦笑いする。
「まあ……、その……、あれです、経験といいますか、女も観音菩薩ですから。稚児は儀式でなりますが、女は生まれつきそうなのです」
では、女の方が上なのか?
「上とか、下とか、そういうことではありません。誰彼等しくですね………………」、安寿は首を傾げた、「もしや、妬いてますか? 見苦しいですよ」
太若丸は、むっと眉を歪める。
「そういう顔も、見苦しいですよ。あなたは、観音菩薩の化身なのですから」
少し棘のある言い方に、太若丸は気分が悪かった。
―― 女ごときに、嫉妬するなどありえない!
いまの我のほうが、女よりも遥に美しい!
我こそは、観音菩薩なのだ!
そういう自負が、太若丸にはあった。
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