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第二章「性愛の山」
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寺には、寺の法というもがある。
それは現世の権力が及ばない法である。
現世の理の外にあるため、これを頼って、法を犯した者たちや権力者の悪政から逃げてきた者たちが駆けこんでくる。
当然、追手がかかる。
だが、寺に入られたら終わりだ。
その者たちを捕まえるためとはいえ、たとえ将軍でも土足で立ち入るわけにはいかない。
寺に断りを入れ、寺のほうでこれを捕まえてもらうしかない。
が、大抵寺は、自らの法を重んじ、首を縦には振らない。
ならばといって、侍たちも、むやみには踏み込まない。
時には脅し、時には宥めながら、寺の出方を待つのである。
故に、寺は強いのだと………………これは、八郎に聞いた。
「その昔、鎌倉殿(源頼朝)の逆鱗に触れた判官殿(源義経)を匿ったこともあります」
すでに義経は御山から逃げた後だったが、腹の虫が治まらない鎌倉から、義経を助けた僧たちを捕まえて引渡せと、当時の天台座主に要請があった。
が、座主はのらりくらりとこれを交わし、ようやく一人だけ捕まえたが、幕府への引渡を拒否して、朝廷に引き渡すと言い放ったのである。
御山のことは、御山が決める。
幕府の干渉するべきことではない、というのが、御山の意見なのである。
しかし、これに幕府が激怒し、土肥実平が御山を攻撃しようとしたとか。
結局攻撃はされず、御山はその独立性を保ったらしい。
この時は、比叡山だけではなく、南都の興福寺や真言の高野山も疑われたらしいが、いずれも寺内で捜査をし、義経を匿った者がいれば、寺内で処罰したようだ。
ただ興福寺は、聖弘という僧を捕まえたが、これも幕府ではなく、朝廷に差し出した。
そして、朝廷から幕府へ移送されたが、この聖弘、頼朝の面前で堂々とその仕置に諫言し、むしろ頼朝の歓心を買って、とある寺院の供僧になったとか。
それほど、寺というのは独自の権力を持っているのだ。
だから、何かあれば、人々は御山へと駆け込んでくる。
村のお寺と一緒だ。
太若丸の村も、庄屋や村役が解決できない相談事は、寺にお願いした。
戦になれば、村人は寺へと駆け上がり、事が済むまで息を潜める。
乱暴狼藉を働く足軽連中も、村で苅田・苅畠や乱取りはしても、寺までは入ってこない。
逆に、戦に負けた侍たちが逃げ込むのも、寺である。
匿ってもらうか、寺に仲裁に入ってもらう。
源義経などの武将だけでなく、後白河院や後鳥羽院、後醍醐天皇など皇室や公家も駆け込むこともある。
寺は、貧富貴賤の差別をしない。
人を殺めてしまった者、旱続きで食えなくなり、挙句に年貢の負担と借金で苦しんで逃げてきた者、口減らしに売られ、危うく肉の塊として売られそうになった者、生まれつき獣のような扱いを受けた者たちも、飛び込んでくる。
寺に入れば、寺の法で守られる。
そこで、今までの縁を切る。
「つまり、無縁となるのです」
無縁となり、一から出直す。
寺とはまた、人生の再起をかけた者たちの最後の頼み綱でもあった。
「だからといって、寺がそういった者たちに、むやみに手を差し伸べるわけではないのですよ」
寺としては、誰彼にも門は開いている。
入るのも良し、出るのも良し。
寺にいる間は、寺が外界から守ってやろう。
が、自分の生活は自分でしないさい………………というのが、寺の掟である。
「お堂でも、月に数度の炊き出しや、施しをするのですが………………」
駆け込む者が多すぎて、全てにいき渡らないらしい。
ふと、あの老婆の家があった周辺を思い出した。
御山に続く表参道は、市が立ち、賑わっていた。
寺に入り無縁となった者で、才覚のある者は商いをして生きていく。
それで、境内に市が立ち、門前町として賑わってくる。
が、裏に回ると、餓鬼のように痩せこけた人や行き倒れ、もとは人だったのか、それとも獣だったのか分からない肉の塊など、ごろごろと転がっていた。
老婆の家の女たちは、筵を持って男を漁っていた。
道端で座り込む人々は道行く人に物乞いをし、赤子は息絶えた母の乳房に縋りつき、その上では烏が飛び回り、野犬は人の肉にむしゃぶりついていた。
あれが、そういうことなのだろう。
「寺に入るとは、良いこともありますが、そういうこともあるのです。それが現世との縁を切るという事ですから」
と、安寿は幾分寂し気な表情で言った。
この人には珍しいなと思い、ああならなかっただけ、自分はましだったのだろうと思った。
一歩間違えば、あの山で凍え死んでいたかもしれない。
山賊に、ばらばらにされていたかもしれない。
他のところに売り飛ばされ、何者かの慰み者になるか、肉として売られていたかもしれない。
このお堂に来て、むしろ観音菩薩の化身となれた自分は、何と運がいいのだろう。
太若丸は、自らの運の良さに笑いたくなった。
それは現世の権力が及ばない法である。
現世の理の外にあるため、これを頼って、法を犯した者たちや権力者の悪政から逃げてきた者たちが駆けこんでくる。
当然、追手がかかる。
だが、寺に入られたら終わりだ。
その者たちを捕まえるためとはいえ、たとえ将軍でも土足で立ち入るわけにはいかない。
寺に断りを入れ、寺のほうでこれを捕まえてもらうしかない。
が、大抵寺は、自らの法を重んじ、首を縦には振らない。
ならばといって、侍たちも、むやみには踏み込まない。
時には脅し、時には宥めながら、寺の出方を待つのである。
故に、寺は強いのだと………………これは、八郎に聞いた。
「その昔、鎌倉殿(源頼朝)の逆鱗に触れた判官殿(源義経)を匿ったこともあります」
すでに義経は御山から逃げた後だったが、腹の虫が治まらない鎌倉から、義経を助けた僧たちを捕まえて引渡せと、当時の天台座主に要請があった。
が、座主はのらりくらりとこれを交わし、ようやく一人だけ捕まえたが、幕府への引渡を拒否して、朝廷に引き渡すと言い放ったのである。
御山のことは、御山が決める。
幕府の干渉するべきことではない、というのが、御山の意見なのである。
しかし、これに幕府が激怒し、土肥実平が御山を攻撃しようとしたとか。
結局攻撃はされず、御山はその独立性を保ったらしい。
この時は、比叡山だけではなく、南都の興福寺や真言の高野山も疑われたらしいが、いずれも寺内で捜査をし、義経を匿った者がいれば、寺内で処罰したようだ。
ただ興福寺は、聖弘という僧を捕まえたが、これも幕府ではなく、朝廷に差し出した。
そして、朝廷から幕府へ移送されたが、この聖弘、頼朝の面前で堂々とその仕置に諫言し、むしろ頼朝の歓心を買って、とある寺院の供僧になったとか。
それほど、寺というのは独自の権力を持っているのだ。
だから、何かあれば、人々は御山へと駆け込んでくる。
村のお寺と一緒だ。
太若丸の村も、庄屋や村役が解決できない相談事は、寺にお願いした。
戦になれば、村人は寺へと駆け上がり、事が済むまで息を潜める。
乱暴狼藉を働く足軽連中も、村で苅田・苅畠や乱取りはしても、寺までは入ってこない。
逆に、戦に負けた侍たちが逃げ込むのも、寺である。
匿ってもらうか、寺に仲裁に入ってもらう。
源義経などの武将だけでなく、後白河院や後鳥羽院、後醍醐天皇など皇室や公家も駆け込むこともある。
寺は、貧富貴賤の差別をしない。
人を殺めてしまった者、旱続きで食えなくなり、挙句に年貢の負担と借金で苦しんで逃げてきた者、口減らしに売られ、危うく肉の塊として売られそうになった者、生まれつき獣のような扱いを受けた者たちも、飛び込んでくる。
寺に入れば、寺の法で守られる。
そこで、今までの縁を切る。
「つまり、無縁となるのです」
無縁となり、一から出直す。
寺とはまた、人生の再起をかけた者たちの最後の頼み綱でもあった。
「だからといって、寺がそういった者たちに、むやみに手を差し伸べるわけではないのですよ」
寺としては、誰彼にも門は開いている。
入るのも良し、出るのも良し。
寺にいる間は、寺が外界から守ってやろう。
が、自分の生活は自分でしないさい………………というのが、寺の掟である。
「お堂でも、月に数度の炊き出しや、施しをするのですが………………」
駆け込む者が多すぎて、全てにいき渡らないらしい。
ふと、あの老婆の家があった周辺を思い出した。
御山に続く表参道は、市が立ち、賑わっていた。
寺に入り無縁となった者で、才覚のある者は商いをして生きていく。
それで、境内に市が立ち、門前町として賑わってくる。
が、裏に回ると、餓鬼のように痩せこけた人や行き倒れ、もとは人だったのか、それとも獣だったのか分からない肉の塊など、ごろごろと転がっていた。
老婆の家の女たちは、筵を持って男を漁っていた。
道端で座り込む人々は道行く人に物乞いをし、赤子は息絶えた母の乳房に縋りつき、その上では烏が飛び回り、野犬は人の肉にむしゃぶりついていた。
あれが、そういうことなのだろう。
「寺に入るとは、良いこともありますが、そういうこともあるのです。それが現世との縁を切るという事ですから」
と、安寿は幾分寂し気な表情で言った。
この人には珍しいなと思い、ああならなかっただけ、自分はましだったのだろうと思った。
一歩間違えば、あの山で凍え死んでいたかもしれない。
山賊に、ばらばらにされていたかもしれない。
他のところに売り飛ばされ、何者かの慰み者になるか、肉として売られていたかもしれない。
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