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第二章「性愛の山」
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御山から下りることはなかったが、下界の状況は嫌というほど耳に入ってきた。
僧というは、現から脱し、ひたすら悟りを得るために修行をするので、外の世のことは、まったく我関せず………………と思っていた。
村の和尚がそうである。
が、ここでは、外のことがよくよく噂にあがる。
織田がどうだ、朝倉がどうだ、将軍がどうだなど、武将や戦の話から、京からのあがりが薄いとか、どこそこの公家に貸した金が返ってこないので強請ってやろうとか、京のどこどこで御山の僧が殺されたので、忌み地として強奪してやろうなどと、僧というよりも、商人のような、侍のような、更に悪く言えば山賊がやるようなことを話している。
五大願など、どこへやらで、まことに生臭い。
だが、その生臭さのおかげで、太若丸は下の様子をよくよく知ることができたのだが………………
「貧乏公方」こと足利義昭が十五代将軍になれたのは、太若丸が村を出るつい数か月前のこと。
その翌年、義昭の奉公衆となった十兵衛を追って村を出て、色々あって御山の稚児となったが、それ以降、下も色々あったようだ。
京は、久しぶりに室町殿を迎えたが、彼が本朝どころか天下(畿内)を安堵するまでの力量はなかったようで、三好勢に勢力を盛り返される始末。
奉公衆の活躍で、何とかこれを退けたが、この時、十兵衛が討ち死にしたとか、しないとか、下の噂を聞くたびに、十兵衛の噂が出ないか聞き耳を立てるのだが、いまだ行方は掴めず。
ただ、織田弾正忠(信長)の噂は嫌というほど入ってくる。
いまや将軍の代わりに王都を抑えているのが、やはりというか、十兵衛が天下を狙う『おおうつけ』と称し、一度は包囲網を築いて抑えこもうとした、彼の人であった。
弾正忠は、京周辺に睨みを利かせながらも、南伊勢まで平定。
その翌年(元亀元(一五七〇)年)四月に、朝倉義景を討つべしと、越前へ出兵した。
十五代義昭の再三の上洛要請を無視 ―― 実情は信長の要請だが ―― それを無視し続けたので、その制裁だというのが表向きの理由である。
が、安仁たちは、自らの領国拡大のためであろうと噂した。
この時点で信長は、本貫の尾張の他に、美濃、伊勢、近江、大和などを抑えている。
越前を抑えれば、東国から京へと通じる幹道を全て抑えることができる。
こちらも上洛の機会を狙っている甲斐の武田氏や越前の上杉氏、関東の北条氏などの軍勢を防ぐとともに、そこに出入りする人の流れや、馬借、人借、商い物の流入まで、いわば経済を抑えることができるのである。
だが、相手はあの朝倉氏である。
越前に、京に見紛う都を造り、ことあるごとに室町殿が頼りにしてきた一族である。
一筋縄ではいくまい。
また、越前へ兵を向けるということは、京を留守にすることで、この隙を見て、また畿内の兵どもが動き出そう………………との、安仁の見立てである。
この見立ては正しかった。
北近江の浅井長政が、信長に兵を向けたのである。
長政は、信長の妹お市の方を娶っていた。
当時信長は美濃を抑え、『天下布武』のもと、義昭を奉じて京へと進出する機会を狙っていた。
次期将軍が京へ入るのだから、簡単に通してくれる………………と、信長も思っていなかっただろう。
目の前には、北近江に浅井氏、南近江に六角氏。
浅井氏は、近江守護の京極氏の家臣であったが、国人一揆による騒動に便乗して、逆に北近江を支配下においた。
だが、南近江の守護六角氏に敗れ、その傘下となっていたが、三代目長政によってようやく独立することができた。
一方の六角氏は、鎌倉殿(源頼朝)の親戚筋である佐々木泰綱を祖とする名門である。
十六代当主義治の愚行で内紛が起こり、一時期の勢いはないが、それでも未だ六角氏の威光は健在である。
押し通っても良かったのが、京に入れば三好勢との戦があったので、無駄な兵力は使わずにおこうと、六角氏には所司代就任という条件を付け、浅井氏には、妹の市を娶らせるという策にでた。
長政は、勢いある織田と縁続きになることのほうが得策と考えたのだろう、一部家臣の反対はあったというが、お市を迎えた。
が、やはりというか、六角氏は所司代就任を断った。
それではと、信長も北近江が味方に付いた勢いもあって、六角氏を蹴散らし、京へと入ったのである。
織田と浅井は、それ以来の縁である。
僧というは、現から脱し、ひたすら悟りを得るために修行をするので、外の世のことは、まったく我関せず………………と思っていた。
村の和尚がそうである。
が、ここでは、外のことがよくよく噂にあがる。
織田がどうだ、朝倉がどうだ、将軍がどうだなど、武将や戦の話から、京からのあがりが薄いとか、どこそこの公家に貸した金が返ってこないので強請ってやろうとか、京のどこどこで御山の僧が殺されたので、忌み地として強奪してやろうなどと、僧というよりも、商人のような、侍のような、更に悪く言えば山賊がやるようなことを話している。
五大願など、どこへやらで、まことに生臭い。
だが、その生臭さのおかげで、太若丸は下の様子をよくよく知ることができたのだが………………
「貧乏公方」こと足利義昭が十五代将軍になれたのは、太若丸が村を出るつい数か月前のこと。
その翌年、義昭の奉公衆となった十兵衛を追って村を出て、色々あって御山の稚児となったが、それ以降、下も色々あったようだ。
京は、久しぶりに室町殿を迎えたが、彼が本朝どころか天下(畿内)を安堵するまでの力量はなかったようで、三好勢に勢力を盛り返される始末。
奉公衆の活躍で、何とかこれを退けたが、この時、十兵衛が討ち死にしたとか、しないとか、下の噂を聞くたびに、十兵衛の噂が出ないか聞き耳を立てるのだが、いまだ行方は掴めず。
ただ、織田弾正忠(信長)の噂は嫌というほど入ってくる。
いまや将軍の代わりに王都を抑えているのが、やはりというか、十兵衛が天下を狙う『おおうつけ』と称し、一度は包囲網を築いて抑えこもうとした、彼の人であった。
弾正忠は、京周辺に睨みを利かせながらも、南伊勢まで平定。
その翌年(元亀元(一五七〇)年)四月に、朝倉義景を討つべしと、越前へ出兵した。
十五代義昭の再三の上洛要請を無視 ―― 実情は信長の要請だが ―― それを無視し続けたので、その制裁だというのが表向きの理由である。
が、安仁たちは、自らの領国拡大のためであろうと噂した。
この時点で信長は、本貫の尾張の他に、美濃、伊勢、近江、大和などを抑えている。
越前を抑えれば、東国から京へと通じる幹道を全て抑えることができる。
こちらも上洛の機会を狙っている甲斐の武田氏や越前の上杉氏、関東の北条氏などの軍勢を防ぐとともに、そこに出入りする人の流れや、馬借、人借、商い物の流入まで、いわば経済を抑えることができるのである。
だが、相手はあの朝倉氏である。
越前に、京に見紛う都を造り、ことあるごとに室町殿が頼りにしてきた一族である。
一筋縄ではいくまい。
また、越前へ兵を向けるということは、京を留守にすることで、この隙を見て、また畿内の兵どもが動き出そう………………との、安仁の見立てである。
この見立ては正しかった。
北近江の浅井長政が、信長に兵を向けたのである。
長政は、信長の妹お市の方を娶っていた。
当時信長は美濃を抑え、『天下布武』のもと、義昭を奉じて京へと進出する機会を狙っていた。
次期将軍が京へ入るのだから、簡単に通してくれる………………と、信長も思っていなかっただろう。
目の前には、北近江に浅井氏、南近江に六角氏。
浅井氏は、近江守護の京極氏の家臣であったが、国人一揆による騒動に便乗して、逆に北近江を支配下においた。
だが、南近江の守護六角氏に敗れ、その傘下となっていたが、三代目長政によってようやく独立することができた。
一方の六角氏は、鎌倉殿(源頼朝)の親戚筋である佐々木泰綱を祖とする名門である。
十六代当主義治の愚行で内紛が起こり、一時期の勢いはないが、それでも未だ六角氏の威光は健在である。
押し通っても良かったのが、京に入れば三好勢との戦があったので、無駄な兵力は使わずにおこうと、六角氏には所司代就任という条件を付け、浅井氏には、妹の市を娶らせるという策にでた。
長政は、勢いある織田と縁続きになることのほうが得策と考えたのだろう、一部家臣の反対はあったというが、お市を迎えた。
が、やはりというか、六角氏は所司代就任を断った。
それではと、信長も北近江が味方に付いた勢いもあって、六角氏を蹴散らし、京へと入ったのである。
織田と浅井は、それ以来の縁である。
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