本能寺燃ゆ

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第二章「性愛の山」

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 同性愛そのものについて、どうこういうつもりはない。

 というのも、本朝では古より比較的性には大らかで、同性同士の愛にも寛容なところが見受けられたからだ。

 本朝における同性愛の始まりは如何に?

 おそらくは、この世に人類が誕生した時点で、同性愛が生まれたのであろう。

 いや、動物にも同性愛が見られるので、これは等しく動物が持ちうる本質なのかもしれない。

 古代希臘・羅馬では、少年愛は認められていた。

 年長者が良き指導者となり、未熟な少年たちを教育する ―― このとき、師と弟子の間に「愛」が生まれる ―― これを「パイディア(教育)」と呼ぶ。

 師弟のプラトニックな「愛」もあるが、多くは性交渉を伴った。

 軍事国家であるスパルタは、成人男性にとって少年を優秀な戦士として育てること ―― すなわち「愛」することは義務であった。

 希臘・羅馬の神々も、実に活発である。

 男性同士の「愛」だけではない。

 古代希臘の女性詩人サッフォーは、少女への愛を謳っている ―― 彼女の出身地がレスボス島であるが故、女性の同性愛者を「レズビアン」というようになったとか………………

 希臘・羅馬が衰退し、西欧に基督教が拡大していくと、同性愛者は迫害を受ける。

 基督教は、同性愛を忌み嫌い、罪であるとする。

 では、基督教が浸透した西欧で、同性愛者がいなくなったかというと、そうでもない。

 酷い迫害や抑圧を受けながらも、その人が生まれながらに持ちうる性質を変えることはできなかった。

 それは信者だけでなく、聖職者も同じである。

 基督教にも、密教のように現世から離れ、厳しい修行をする者たち ―― 修道僧が現れるが、結果は同じ………………男だらけで師弟関係ができると、結局そういった対象が生まれた。

 表立って口にすることはできないが、みな抑圧に耐えながら生きていたのである。

 一方、基督教が浸透しなかった東洋は、同性愛には寛容であったようだ。

 同性愛を推奨するわけではなく、大っぴらに口にするには気が引けるが、だからといって厳しく取り締まっていたというわけではなさそうだ。

 というよりも、この件に関して、古の文献が少ない。

 あれほど性に大らかな我が国の神様たちも、同性愛に関する記事が見当たらない。

 本朝で同性愛の記録で最も古いのが、『日本書紀』神功皇后の御代の記事で、「阿豆那比あずない之罪」がそれであるともいわれる。

 昼でも夜のように暗かったので、神功皇后がある老人に尋ねたところ、別々の社のはふり(神主)を、生前仲が良かったので、亡くなったらともに埋葬してくれという遺言により、合葬したしたのが原因だと言われ、別々に埋葬すると、明るくなったという話である。

 仲が良かった男同士を合葬したのだから、そういう関係だったのだろうと、これを同性愛の始祖で、同性愛に対する罪であるという人もいるが、血縁関係のない、しかも別々の神社の神主を一緒に埋葬したのが問題であると解釈すべきであろう。

 また『萬葉集』には、沙弥満誓しゃみまんせい大伴旅人おおとものたびびとに送った歌など、男性から男性に送る歌も多く、しかも時に親愛を込めた歌もあるので、そういった関係があったのではと見る人もいるが、これも男同士の友情という域を出ない。

 そういった行為があり、そのために罰せられたという記録がはじめて出るのが、『続日本紀』に見る、道祖王ふなどおうである。
 天武てんむ天皇の皇子新田部親王にいたべしんのうの子で、孝謙こうけん女帝の皇太子として立てられたが、一年も経たないうちに廃位となっている。

 そのときの理由のひとつに、先帝(聖武しょうむ天皇)の殯の最中に、侍童といかがわしい行為におよんだことがあげられている。

 つまり、少年とのそういった行為は卑しいと見なされていたのだ。

 ただ、道祖王の廃太子は、当時孝謙帝の寵愛を受けていた藤原仲麻呂ふじわらのなかまろが、政敵である橘奈良麻呂たちばなのならまろら反仲麻呂派を貶めるため、その一派とみなされていた道祖王に対して、理由をこじつけ廃太子にしたようで、実際に彼が少年とそのような行為に及んでいたかは定かではない。

 が、この行為は、公には見苦しい行為だとされたのだろう。

 だからといって、これを厳格に禁止した律令がない。

 好ましい行為ではないが、特に禁止する必要もなかったのか、それとも律令として禁止しては不都合な何かがあったのか………………皇室や公家の有力者の中で、そのような行為が盛んであったため、禁止できなかったのか、いずれにしろ、我が国で奈良時代以降、少年愛(同性愛)が広く浸透していく。
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