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第二章「性愛の山」
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稚児には、厳しい決まりごとが、事細かくあるらしい。
まず常に身を正しておかねばならない。
朝は早く起きて ―― これは、他の僧侶と同じだが、手や顔を丁寧に洗い、爪楊枝で歯の間を梳き、嗽をする。
次に、櫛で髪を四、五回撫で、後ろで一度束ねる。
そして化粧をする。
化粧の仕方は、安寿から教わった。
安寿ももと稚児で、安仁の師である今は亡き前上座から教わったらしい。
「本来稚児灌頂は、師から弟子への一子相伝、口伝えです」
本当なら、安仁が権太に教えなければならないが、上座ともなると、色々と寺の用件の方が忙しいらしく、代わりに安寿が教えてるらしい。
「まあ、一児二山王なので、その点は問題ないのですが………………」
安寿の化粧は、老婆のところの女たちよりも丁寧で、綺麗で、鏡を見たとき、知らない女がいると驚いたほどであった。
そこに稚児髷を結い、水干を着せられると、ますます女のように見えた。
権太の化けた姿を見て、安寿は何度も頷き、安覚はなぜか頬を染め、目をきょろきょろとさせていた。
こちらから目を合わせようとすると、恥ずかし気に目を逸らす。
「あまり安覚をからかう事をしないように、あれは初心ですからね。それと、これ以降はあまり人前に出ないように」
相手の決まっている稚児が、他の僧や在家の前に姿を現すのは、あまりよいことではないらしい。
仮に、人前に出ることがあっても、常に居住まいを正しておかなければならない。
佇まいから、座り方、歩き方に至るまで、細かく注意を受けた。
立っても、座っても、常に背筋を伸ばし、荒々しく座り、荒々しく立つことがないように。
座るときは片膝を立てず、寝転がることなど以ての外。
敷居や畳の縁、囲炉裏の端を踏むなと叱られ、歩くときは腰からではなく、そろそろと滑るように足元だけで音を立てずに歩けと、難しいことを言われた。
戸や障子の開け方も作法があって、村にいたときのように音を立てて激しく開けると怒られた。
「座って、取っ手に両手を添え、ゆっくりと音を立てずに開け、全部は開かず、体が入るぐらい開けたら、すっと音も立てずに部屋に入って、戸に向かって座り、両手を添えて閉めなさい」
普段やりもしないので、慣れるまで随分かかった。
持ち物も厳しく指摘された。
紙を常に懐に入れ、師匠が使うときに、すぐに出せるように、と。
鏡、爪楊枝も入れ、常に身を整えなさい、と。
権太のために、ひと部屋用意された。
自分だけの部屋など持ったことがないので、どう使えばいいのか分からなかったが、権太のために運び込まれた物品を見て、さらに困惑した。
文机、筆、硯、紙………………、まあ、それらは分かる。
これで、手習いをしろということだ。
字を知らないので、それは安寿が手取り足取り教えてくれた。
墨絵というものももらった。
「武者絵は駄目ですが、歌や物語、双紙などは大丈夫です」
合わせて、香炉、香箱、香子、古子、短冊も持ち込まれた。
見たこともないような豪華な品々だが、どうも女のようだ。
「まあ、観音菩薩の化身であり、女でもありますからね」
と、安寿は苦笑いする。
「それから………………」
寒くても、囲炉裏や火鉢に当たってはならない。
暑くても、扇を使ってはならない。
常に着物を整え、端然としていなければならない。
人の物を欲しがってはならない。
逆に、人が自らの物を欲しがっているのなら、喜んであげなさい。
人の悪口を言ってはならない。
大きな声で笑ってはならない………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………まるで生きた心地がしない。
仏像のようだ。
「観音菩薩となるのですから、当然ですよ」
と、安寿はさも当然のように言う。
「それに、これができないと恥をかくのはそなたではなく、師である安仁様なのですよ」
稚児の不出来は、師匠の不出来 ―― 師が、きちんと教えていないからである ―― というのが習わしである。
あの稚児は礼儀もなっていない、師である安仁が盆暗だからさ、と言われるのであり、このお堂の最高責任者が非難されるということは、このお堂の僧侶全員がそういった目で見られるので………………
「拙僧も、口煩くなるのです」
とのことらしい。
まず常に身を正しておかねばならない。
朝は早く起きて ―― これは、他の僧侶と同じだが、手や顔を丁寧に洗い、爪楊枝で歯の間を梳き、嗽をする。
次に、櫛で髪を四、五回撫で、後ろで一度束ねる。
そして化粧をする。
化粧の仕方は、安寿から教わった。
安寿ももと稚児で、安仁の師である今は亡き前上座から教わったらしい。
「本来稚児灌頂は、師から弟子への一子相伝、口伝えです」
本当なら、安仁が権太に教えなければならないが、上座ともなると、色々と寺の用件の方が忙しいらしく、代わりに安寿が教えてるらしい。
「まあ、一児二山王なので、その点は問題ないのですが………………」
安寿の化粧は、老婆のところの女たちよりも丁寧で、綺麗で、鏡を見たとき、知らない女がいると驚いたほどであった。
そこに稚児髷を結い、水干を着せられると、ますます女のように見えた。
権太の化けた姿を見て、安寿は何度も頷き、安覚はなぜか頬を染め、目をきょろきょろとさせていた。
こちらから目を合わせようとすると、恥ずかし気に目を逸らす。
「あまり安覚をからかう事をしないように、あれは初心ですからね。それと、これ以降はあまり人前に出ないように」
相手の決まっている稚児が、他の僧や在家の前に姿を現すのは、あまりよいことではないらしい。
仮に、人前に出ることがあっても、常に居住まいを正しておかなければならない。
佇まいから、座り方、歩き方に至るまで、細かく注意を受けた。
立っても、座っても、常に背筋を伸ばし、荒々しく座り、荒々しく立つことがないように。
座るときは片膝を立てず、寝転がることなど以ての外。
敷居や畳の縁、囲炉裏の端を踏むなと叱られ、歩くときは腰からではなく、そろそろと滑るように足元だけで音を立てずに歩けと、難しいことを言われた。
戸や障子の開け方も作法があって、村にいたときのように音を立てて激しく開けると怒られた。
「座って、取っ手に両手を添え、ゆっくりと音を立てずに開け、全部は開かず、体が入るぐらい開けたら、すっと音も立てずに部屋に入って、戸に向かって座り、両手を添えて閉めなさい」
普段やりもしないので、慣れるまで随分かかった。
持ち物も厳しく指摘された。
紙を常に懐に入れ、師匠が使うときに、すぐに出せるように、と。
鏡、爪楊枝も入れ、常に身を整えなさい、と。
権太のために、ひと部屋用意された。
自分だけの部屋など持ったことがないので、どう使えばいいのか分からなかったが、権太のために運び込まれた物品を見て、さらに困惑した。
文机、筆、硯、紙………………、まあ、それらは分かる。
これで、手習いをしろということだ。
字を知らないので、それは安寿が手取り足取り教えてくれた。
墨絵というものももらった。
「武者絵は駄目ですが、歌や物語、双紙などは大丈夫です」
合わせて、香炉、香箱、香子、古子、短冊も持ち込まれた。
見たこともないような豪華な品々だが、どうも女のようだ。
「まあ、観音菩薩の化身であり、女でもありますからね」
と、安寿は苦笑いする。
「それから………………」
寒くても、囲炉裏や火鉢に当たってはならない。
暑くても、扇を使ってはならない。
常に着物を整え、端然としていなければならない。
人の物を欲しがってはならない。
逆に、人が自らの物を欲しがっているのなら、喜んであげなさい。
人の悪口を言ってはならない。
大きな声で笑ってはならない………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………まるで生きた心地がしない。
仏像のようだ。
「観音菩薩となるのですから、当然ですよ」
と、安寿はさも当然のように言う。
「それに、これができないと恥をかくのはそなたではなく、師である安仁様なのですよ」
稚児の不出来は、師匠の不出来 ―― 師が、きちんと教えていないからである ―― というのが習わしである。
あの稚児は礼儀もなっていない、師である安仁が盆暗だからさ、と言われるのであり、このお堂の最高責任者が非難されるということは、このお堂の僧侶全員がそういった目で見られるので………………
「拙僧も、口煩くなるのです」
とのことらしい。
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