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第二章「性愛の山」
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八郎は、背負い籠から小さな鍋や鼎を取り出し、干飯を粥にして啜った。
おえいと権太も、ご相伴に預かった。
山賊のところではずっと干し肉で、普段食べなれない権太は、初めは美味いと思ったが、それが二、三日続くと飽きて、薄くても粥のほうが良いと思った。
正直、お腹の具合も悪かったので、温かい粥は有難く、久しぶりにお腹がほっとして、満腹とは言えないが、家にいるような気がして安堵した。
おえいのほうは、初めは遠慮していた。
普段からそんなに食べる人ではない。
山賊に捕まったあとも、殆ど食べ物を口にすることなく男たちの相手をしていたぐらいだ。
腹は減らないのだろうか?
弟ながら、姉の物の怪のような様子に驚かされる。
姉は、八郎の差し出した椀を、手を振って断った。
八郎は、「いや、食え」と、押し付ける。
それでも断る。
「いやでも食え、毒は入っちゃいない。お前らは売りもんだ、ここで死んでもらっちゃ困るんだよ。それとも死ぬつもりか、十兵衛に会う前に」
十兵衛の名を聞くと、姉は素直に椀を受け取った。
粥を啜る姉弟を眺めながら、八郎が呟いた。
「あいつのどこが良いんだか………………」
どこが良いって………………全部良いのだが。
「まあ、あいつは不思議なところがあるからな。変に人好きするやつで、昔から人の懐に入るのが上手いし、人も寄ってくる。お前らのようなやつがな」
それの何が悪いのか?
「別に悪いとは言わんが、気をつけたほうが良いぞ。あいつは、灯明と同じだ」
どういうことか?
「暗闇で明かりが灯っていれば、虫が寄ってくる」
八郎は、枝木に焚き火の火を移し、翳す。
「まあ、今の時期じゃ、虫も寒がって出てこんが……」
じろっと姉と権太を見る。
「そんな姿で冬山を歩くのは、お前らぐらいなものだ」
八郎は火のついた枝木を焚き火の中に放り投げ、自らの熊の毛皮を脱ぎ、姉と権太に投げて寄越した。
「寒さで死なれても困るんでな」
椀を返して、急いで熊の毛皮に身を包む姉と権太を見て、
「そんな思いまでして、あいつのどこが良いんだか………………」
と、ため息を吐いた。
「やつの光に引き寄せられて近づくのはいいが、近寄り過ぎれば火傷だけでは済まされない。夏の虫も同じだ、飛んで火にいるのは、馬鹿な虫だけだ。俺のように、つかず離れずやってるのがいい。で、お前たちはどうだ?」
姉は、覚悟を決めたように、八郎を見返す。
もちろん、権太だってそうだ ―― 覚悟を決めて村を出た………………とはいえない。
姉に触発されたようなところがあるが、十兵衛を想う気持ちはいまも変わらず、絶対で、姉よりも大きいと思っている。
「身を焦がす想いっていうやつか? 当代流行らねぇな。そんなのがもてはやされるのは、夢か、猿楽だけ。お前らは村の中でしか生きてこなかったから、そんな綺麗事が言えるんだろうが、外の世じゃ、通用しねぇ、裏切りなんざ日常茶飯事だ。お前らは、これから嫌というほど、人の欲望や非情、残忍さを見ることになるだろう。そのとき、お前らがどれだけ十兵衛を信じられるかだ」
姉は、まっすぐ八郎を見つめる。
権太も、だ。
「それほど想われているとは、あいつも侍冥利につきるだろうね」、八郎は鼻で笑う、「だが、あいつも餓鬼のころから、この世の道理というやつを嫌というほど見てきている、俺と同じでな。目の前で親や女房、子どもを犯され、殺され、ときに己が生き残るためには、その親や女房、子すらも殺さねばならぬ。虫さえも殺したことがないような優しい顔で近づいてきたやつが実は悪党で、身ぐるみ剥がされ、最期は苦界に落とされるか、肉として売られるか、そんな世の表も裏も見てきたやつが、果たして簡単に他人を信じることができるかって話だ。お前らが、やつを信じて近づくのは良いが、あいつはそれほど他人を信じちゃいねぇぜって話だ………………てなことを、いまのお前さんらに言っても、聞く耳をもたてねぇだろうがな」
八郎は、鍋の粥を掬い上げる。
「この世は信だ、徳だと、他人は良く言うが、信や徳ってやつで飯が食えるのか? この米だって、俺の人柄で手に入れたものじゃない」
姉と権太の目の前に、粥を翳す。
「銭で買ったものだ。村にいれば、お前らは村のひとりとして、よっぽどのことがない限り粥は食えるだろうが、一歩外に出れば、そんな保障はねぇ。親も子もねぇ、己が自力で生きていかねばならぬ世だ。そんな世の中で一番信じられるのは、神でもなければ、仏でもねぇ、まして赤の他人なんざ信じられねぇ。一番信じられるのはな、銭だよ、銭」
そう言うと、八郎は粥を啜りあげた。
そして、残りの粥をすべて平らげ、げふりと噯気をした。
おえいと権太も、ご相伴に預かった。
山賊のところではずっと干し肉で、普段食べなれない権太は、初めは美味いと思ったが、それが二、三日続くと飽きて、薄くても粥のほうが良いと思った。
正直、お腹の具合も悪かったので、温かい粥は有難く、久しぶりにお腹がほっとして、満腹とは言えないが、家にいるような気がして安堵した。
おえいのほうは、初めは遠慮していた。
普段からそんなに食べる人ではない。
山賊に捕まったあとも、殆ど食べ物を口にすることなく男たちの相手をしていたぐらいだ。
腹は減らないのだろうか?
弟ながら、姉の物の怪のような様子に驚かされる。
姉は、八郎の差し出した椀を、手を振って断った。
八郎は、「いや、食え」と、押し付ける。
それでも断る。
「いやでも食え、毒は入っちゃいない。お前らは売りもんだ、ここで死んでもらっちゃ困るんだよ。それとも死ぬつもりか、十兵衛に会う前に」
十兵衛の名を聞くと、姉は素直に椀を受け取った。
粥を啜る姉弟を眺めながら、八郎が呟いた。
「あいつのどこが良いんだか………………」
どこが良いって………………全部良いのだが。
「まあ、あいつは不思議なところがあるからな。変に人好きするやつで、昔から人の懐に入るのが上手いし、人も寄ってくる。お前らのようなやつがな」
それの何が悪いのか?
「別に悪いとは言わんが、気をつけたほうが良いぞ。あいつは、灯明と同じだ」
どういうことか?
「暗闇で明かりが灯っていれば、虫が寄ってくる」
八郎は、枝木に焚き火の火を移し、翳す。
「まあ、今の時期じゃ、虫も寒がって出てこんが……」
じろっと姉と権太を見る。
「そんな姿で冬山を歩くのは、お前らぐらいなものだ」
八郎は火のついた枝木を焚き火の中に放り投げ、自らの熊の毛皮を脱ぎ、姉と権太に投げて寄越した。
「寒さで死なれても困るんでな」
椀を返して、急いで熊の毛皮に身を包む姉と権太を見て、
「そんな思いまでして、あいつのどこが良いんだか………………」
と、ため息を吐いた。
「やつの光に引き寄せられて近づくのはいいが、近寄り過ぎれば火傷だけでは済まされない。夏の虫も同じだ、飛んで火にいるのは、馬鹿な虫だけだ。俺のように、つかず離れずやってるのがいい。で、お前たちはどうだ?」
姉は、覚悟を決めたように、八郎を見返す。
もちろん、権太だってそうだ ―― 覚悟を決めて村を出た………………とはいえない。
姉に触発されたようなところがあるが、十兵衛を想う気持ちはいまも変わらず、絶対で、姉よりも大きいと思っている。
「身を焦がす想いっていうやつか? 当代流行らねぇな。そんなのがもてはやされるのは、夢か、猿楽だけ。お前らは村の中でしか生きてこなかったから、そんな綺麗事が言えるんだろうが、外の世じゃ、通用しねぇ、裏切りなんざ日常茶飯事だ。お前らは、これから嫌というほど、人の欲望や非情、残忍さを見ることになるだろう。そのとき、お前らがどれだけ十兵衛を信じられるかだ」
姉は、まっすぐ八郎を見つめる。
権太も、だ。
「それほど想われているとは、あいつも侍冥利につきるだろうね」、八郎は鼻で笑う、「だが、あいつも餓鬼のころから、この世の道理というやつを嫌というほど見てきている、俺と同じでな。目の前で親や女房、子どもを犯され、殺され、ときに己が生き残るためには、その親や女房、子すらも殺さねばならぬ。虫さえも殺したことがないような優しい顔で近づいてきたやつが実は悪党で、身ぐるみ剥がされ、最期は苦界に落とされるか、肉として売られるか、そんな世の表も裏も見てきたやつが、果たして簡単に他人を信じることができるかって話だ。お前らが、やつを信じて近づくのは良いが、あいつはそれほど他人を信じちゃいねぇぜって話だ………………てなことを、いまのお前さんらに言っても、聞く耳をもたてねぇだろうがな」
八郎は、鍋の粥を掬い上げる。
「この世は信だ、徳だと、他人は良く言うが、信や徳ってやつで飯が食えるのか? この米だって、俺の人柄で手に入れたものじゃない」
姉と権太の目の前に、粥を翳す。
「銭で買ったものだ。村にいれば、お前らは村のひとりとして、よっぽどのことがない限り粥は食えるだろうが、一歩外に出れば、そんな保障はねぇ。親も子もねぇ、己が自力で生きていかねばならぬ世だ。そんな世の中で一番信じられるのは、神でもなければ、仏でもねぇ、まして赤の他人なんざ信じられねぇ。一番信じられるのはな、銭だよ、銭」
そう言うと、八郎は粥を啜りあげた。
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