本能寺燃ゆ

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第一章「純愛の村」

77(了)

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 しとしとと雨が落ち、着物はしっとりと濡れていたが、不思議と寒くはなかった。

 ここはどこだろう、さっきまで家にいたはずなのに?

 しばし呆然として、はっと思い当った ―― もしかして、源太郎や十兵衛、姉に捨てられた?

 上の村の庄屋の息子の婿入り話は嘘で、本当は姉と十兵衛が一緒になって、跡取りとして邪魔な権太は捨てられた?

 ―― そんな、酷い!

 権太は、急いで家に戻ろうと、方向は分からなかったが、とにかく走り出そうとした。

 だが、足が動かない。

 なぜか、大地に根付いたように、足が上がらない。

 なぜ?

 なぜ?

 今まで味わったことない恐怖に震えていると、ずる………………、ずる………………と、何かを引きずるよう音が聞こえる。

 そして、何やらぼそぼそとした人の声も………………

「………………ぬ、………………ならぬ」

 怖い………………

 なんだろう?

 化け物か?

 見たくない、見たくないと思っているのに、なぜか権太の目は、その声と音の方を向いてしまう。

 ―― 男がいた!

    武士だろうか?

 腹這いになって、まるで大地を掻き毟るようにしながら、ゆっくりと前に進んでいる。

 ずる……………、ずる………………という音は、その男が這いつくばって進んでいる音だ。

 髪は元結が切れ、ざんばらで、甲冑は着けているが、酷く壊れ、汚れている。

 顔は良く見えないが、どうやら落ち武者らしい、しかも相当怪我をしていようだ。

「………………ぬ、………………ならぬ」

 男は呟きながら、這いつくばりながら、何かを求めるようにゆっくりと進んでいく。

 こちらに気が付いていないようだ。

 権太は、何を呟いているのだろうと、耳を澄ます。

「………………ならぬ、行かねばならぬ」

 何処へ行かないといけないのだろう?

 権太は思わず聞いてしまった。

「行く? 何処へ?」

 すると男は苦しそうに呟いた。

「天下を………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………と、そこで目が覚めた。

 いつもの茅葺の屋根だ。

 囲炉裏の煙が、茅葺の間をすっと消えていく。

 しばらく呆然と見ていたが、どうやら夢だったと気がついた。

 十兵衛や、源太郎、姉は?

 慌てて囲炉裏端に目をやると、十兵衛の姿はない。

 父や姉は、傍らで寝ている。

 捨てられたわけではないようだ。

 酒に酔って、眠ってしまったらしい。

 ひと安心すると、急に胸のむかつきが襲ってきた。

 吐きそうだ、外で………………と起き上がる、頭も少しくらくらする。

 もうすぐ朝のようだ。

 僅かに開いた戸からは、白々とした光が入り込んでいる。

 なぜ戸があいているの?

 誰かが出ていったのだろうか?

 もしかして、十兵衛が?

 吐き気も忘れ慌てて外に出ると、やはり十兵衛の姿があった。

 旅姿で、乳白色の霧の中に佇んでいた。

 東の山際は、微かに白んでいる。

 権太は、男の背中へと歩み寄る。

 二、三日泊まると言っていたはずだが………………

 権太の気配に、男は振り返り言った。

「お世話になりました、権太殿。源太郎殿、おえい殿によろしく伝えてくだされ。拙者がこれ以上ここにいては、迷惑がかかるのでな」

「どうして?」

 それには答えず、男は言った。

「行かねばならぬ」

 権太は、夢を思い出した。

「行く?」、不意に訊いてみた、「何処へ?」

「行かねばならぬ」

 男は屈み込み、草鞋をきつく結ぶ。

 権太は、再び大きな背中に問いかけた。

「何処へ?」

 草鞋を結び終えると、男は静かに立ち上がった。

 朝日が顔を覗かせると、大地がきらきらと輝く。

 男は、権太に笑みを寄越したあと、歩き出した。

「天下を取りに」

 (第一章・了)
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