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第一章「純愛の村」
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十兵衛が戻ってくる前に、八郎がやってきた。
月は皐月にかわり、田植えのはじめを祝っている最中にやってきて、
「十兵衛はいるか?」
と、遠慮なく上がり込んできた。
「明智様は、まだ一乗谷ですが………………」
「うむ、近々帰るので来てほしいと遣いがあったのだが、肝心の頼んだやつがいないとは。俺は、暇じゃないんだぞ」
と、ぼやいている。
普段なら泊まらないが、行き違いなるのも面倒なのでと、十兵衛が戻るまで泊まらせろと、珍しく言ってきた。
「それは結構ですが」
「銭なら、十兵衛に払わせるから。まあ、それは戯言だ」
八郎は、背負籠から銭を取り出し、いくらか寄越した。
「いえ、お代など結構ですから」
「そうはいかぬ、俺は、貸し借りは嫌いなんだ」
銭まで貰ったので、少しは良いものをと、弥平次に貰った白米を出した。
「おう、白米とは珍しいな」
「三宅様が、わざわざ一乗谷から運んでくださりまして、主が世話になっているのでと」
「相変わらず、律儀なやつだ」
十兵衛と同じ感想だった。
「では遠慮なく」、八郎は粥を啜る、「十兵衛が帰ってこないと、俺は毎日この白飯が食えるのだな」
そんな冗談を言いながら箸を運んでいると、戸ががらりと開いて、
「いま戻りました。おっ、八郎も来ておったか、ちょうど良い」
「おぬしは、ちょうど悪いな」
何のことか分からず、十兵衛はきょとんとしていた。
足利義秋の元服の儀は、無事に終わったらしい。
十兵衛も相伴しながら、
「名も改められた。それまでの『義秋』殿から、『義昭』殿になった」
と、囲炉裏の灰に鉄箸で書きながら言った。
「なぜ、『秋』ではなく、『昭』なので?」
源太郎は訊いた。
「『秋』の字が不吉だとか。まあ、実りの秋とか、収穫の秋とか言って、豊かになる感じはありますが、一方で夏から秋、そして冬へと、盛りを過ぎていくという感じがするので、それを嫌がられたのでしょう」
烏帽子親は義景が務め、これでしっかりとした朝倉家の後ろ盾もできた。
あとは、朝倉家が義昭を奉じて動くだけだが………………
それでも、義景はのらりくらりとしているらしい。
「それ、動くつもりがねぇんじゃねぇか?」
八郎の言葉は、義昭の傍に仕える家臣たち大半の意見と同じだ。
「うむ、三淵殿や和田殿も、最早朝倉様に期待できぬ。これからは、矢張り織田だと騒いでおられる」
「だろうな」
「朝倉様のほうは………………」
山崎吉延や吉家に訊いてみたが、
『動くつもりはござらん』
と、はっきりと言われた。
『今回の元服の儀に、いったい幾ら出費したと思っておる。しかも、足利様の家臣が増えて、これ以上朝倉家としてご支援できないというのが、実情だ』
山崎吉延は、少々厳しい口調で言った ―― 十兵衛が義昭の家臣になった含みもあったかもしれない。
まあ、まあ、と吉家は、弟を宥めながらも、
『朝倉家も、将軍家にはご奉公衆としてお仕えし、ご恩を受けた身、そのご恩に報いたいとは思う』と、十兵衛に向き直り、真面目な顔で言った、『だが、我らにも、我らを頼りに身を尽くしてくれる民がおる。我らは、その者たちを守らなければならぬ。民あっての我らであり、我らあっての民なのだ。足利様には申し訳ござらぬが、天下(畿内周辺)の戦に巻き込まれるのは、我々としては至極迷惑なのだ』
当然である。
朝倉家にとっては、領地である越前が、この地に住んでいる領民が大切なのだ。
特に、義景の家臣団筆頭としては、何としても朝倉家を、越前を守らなければならない。
「そういうのは、やはり領地持ちでない拙者には、思いつかんことだな」、十兵衛は、少し寂しそうな顔をしていた、「拙者は、朝倉様や足利様がどうすればいいのか、どうすれば己の利になるのか、そんなことしか思いつかなんだが、やはり城持ちになると、下々のことを考えてやらねばならぬのだな」
十兵衛は、十分村のことを考えてくれていると、権太は思うのだが………………
月は皐月にかわり、田植えのはじめを祝っている最中にやってきて、
「十兵衛はいるか?」
と、遠慮なく上がり込んできた。
「明智様は、まだ一乗谷ですが………………」
「うむ、近々帰るので来てほしいと遣いがあったのだが、肝心の頼んだやつがいないとは。俺は、暇じゃないんだぞ」
と、ぼやいている。
普段なら泊まらないが、行き違いなるのも面倒なのでと、十兵衛が戻るまで泊まらせろと、珍しく言ってきた。
「それは結構ですが」
「銭なら、十兵衛に払わせるから。まあ、それは戯言だ」
八郎は、背負籠から銭を取り出し、いくらか寄越した。
「いえ、お代など結構ですから」
「そうはいかぬ、俺は、貸し借りは嫌いなんだ」
銭まで貰ったので、少しは良いものをと、弥平次に貰った白米を出した。
「おう、白米とは珍しいな」
「三宅様が、わざわざ一乗谷から運んでくださりまして、主が世話になっているのでと」
「相変わらず、律儀なやつだ」
十兵衛と同じ感想だった。
「では遠慮なく」、八郎は粥を啜る、「十兵衛が帰ってこないと、俺は毎日この白飯が食えるのだな」
そんな冗談を言いながら箸を運んでいると、戸ががらりと開いて、
「いま戻りました。おっ、八郎も来ておったか、ちょうど良い」
「おぬしは、ちょうど悪いな」
何のことか分からず、十兵衛はきょとんとしていた。
足利義秋の元服の儀は、無事に終わったらしい。
十兵衛も相伴しながら、
「名も改められた。それまでの『義秋』殿から、『義昭』殿になった」
と、囲炉裏の灰に鉄箸で書きながら言った。
「なぜ、『秋』ではなく、『昭』なので?」
源太郎は訊いた。
「『秋』の字が不吉だとか。まあ、実りの秋とか、収穫の秋とか言って、豊かになる感じはありますが、一方で夏から秋、そして冬へと、盛りを過ぎていくという感じがするので、それを嫌がられたのでしょう」
烏帽子親は義景が務め、これでしっかりとした朝倉家の後ろ盾もできた。
あとは、朝倉家が義昭を奉じて動くだけだが………………
それでも、義景はのらりくらりとしているらしい。
「それ、動くつもりがねぇんじゃねぇか?」
八郎の言葉は、義昭の傍に仕える家臣たち大半の意見と同じだ。
「うむ、三淵殿や和田殿も、最早朝倉様に期待できぬ。これからは、矢張り織田だと騒いでおられる」
「だろうな」
「朝倉様のほうは………………」
山崎吉延や吉家に訊いてみたが、
『動くつもりはござらん』
と、はっきりと言われた。
『今回の元服の儀に、いったい幾ら出費したと思っておる。しかも、足利様の家臣が増えて、これ以上朝倉家としてご支援できないというのが、実情だ』
山崎吉延は、少々厳しい口調で言った ―― 十兵衛が義昭の家臣になった含みもあったかもしれない。
まあ、まあ、と吉家は、弟を宥めながらも、
『朝倉家も、将軍家にはご奉公衆としてお仕えし、ご恩を受けた身、そのご恩に報いたいとは思う』と、十兵衛に向き直り、真面目な顔で言った、『だが、我らにも、我らを頼りに身を尽くしてくれる民がおる。我らは、その者たちを守らなければならぬ。民あっての我らであり、我らあっての民なのだ。足利様には申し訳ござらぬが、天下(畿内周辺)の戦に巻き込まれるのは、我々としては至極迷惑なのだ』
当然である。
朝倉家にとっては、領地である越前が、この地に住んでいる領民が大切なのだ。
特に、義景の家臣団筆頭としては、何としても朝倉家を、越前を守らなければならない。
「そういうのは、やはり領地持ちでない拙者には、思いつかんことだな」、十兵衛は、少し寂しそうな顔をしていた、「拙者は、朝倉様や足利様がどうすればいいのか、どうすれば己の利になるのか、そんなことしか思いつかなんだが、やはり城持ちになると、下々のことを考えてやらねばならぬのだな」
十兵衛は、十分村のことを考えてくれていると、権太は思うのだが………………
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