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第一章「純愛の村」
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信長が、美濃侵攻と同時期に、伊勢地方への侵出もすすめているのは聞いていた。
先鋒は滝川一益である。
伊勢は、公家大名北畠家の国である。
南朝の忠臣北畠親房より八代目の具教、具房親子が国司として治めていたが、北部の豪族どもが織田に靡いたようだ。
信長の弟や息子たちが、豪族の養子に入り、血縁を結んだらしい。
もともと北畠家も伊勢の中央部を抑えるのが精一杯で、北部は、神戸氏をはじめとする北勢四十八家とよばれる小豪族が割拠する状況で、一枚岩ではなかった。
「織田のことです、北伊勢だけでは満足しないというのが、公方様の見立てだ。朝倉様もそう考えているらしい」
北伊勢が信長の手に下ったと聞いて、義秋周辺は色めきだったらしい。
伊勢をとるということは、京への侵入を考えていると思っても良い。
当時、京に入るには、三つの関所を越えなければならなかった ―― 山城と近江の境にあった逢坂関、美濃から近江へと入る不和関、そして伊勢の鈴鹿山脈を越える鈴鹿関である、いわゆる三関である(古くは、逢坂関ではなく、北陸の愛発関を数えた)。
信長は、美濃を攻略し、稲葉山城を岐阜城と改め、不破関を抑えた。
そして今度は、三関のうちのふたつ目の鈴鹿関を抑えたのである。
容易に京へ侵入することもできるし、逆に京からの攻撃を防ぐ、または京へ入っていく不逞の輩を抑えることもできる。
いまや信長は、天下の喉仏に匕首を突きつけたと同じ状況である。
これは、義秋にとっても好都合だ。
信長が、不破関、鈴鹿関を抑えている限り、京からの兵は防げる。
一方で義秋が、信長、義景を従え、堂々と京へと侵攻できる。
京周辺は、いまだ三好勢と松永勢の対立が治まらないと聞く。
義秋が次期将軍として、織田家や朝倉家の大軍を率いて上京してくれば、十四代将軍義栄や三好らも、恐れをなして都落ちするに違いない。
帝も、次期将軍の擁立に首を横に触れまいというのが、義秋たちの考えのようだ。
「幕臣の中には、朝倉様よりも織田を頼ってはどうかという話も出ておる」
「何れの御仁がそのようなことを?」
「三淵殿や和田殿だ」
「然もありなん」、十兵衛は納得する、「それで、肝心の足利様は?」
「うむ……、拙者、あの方のお考えがよく分からぬ。全く表情を変えられないというか、無表情で………………、ただ和田殿からは、織田を頼るか、それとも朝倉様が決意するのを待つか、なかなか決めかねていらっしゃるようだとは聞き及んでおる。聞けば、以前織田を頼られたが、美濃のこともあって、公方様が見切りをつけられたとか」
「それは初耳だ」
弥平次が、和田惟政から聞いた話では、義秋が矢島に隠れていたとき、各地の有力な武将に、将軍になるための力添えを依頼していたが、その中に信長がおり、当時細川藤孝が使者として派遣され、信長は了承したらしい。
義秋は、信長が動きやすいようにと、当時揉めていた美濃の斎藤氏と和睦させ、あとは上洛を待つ手筈であった。
が、それから数か月後に、織田が美濃に攻め込んだ ―― この時、信長は大敗してしまう ―― 永禄九(一五六六)年河野島の戦いである。
これにより義秋は、信長には余に力添えする意志なしと、見限ったそうだ。
先鋒は滝川一益である。
伊勢は、公家大名北畠家の国である。
南朝の忠臣北畠親房より八代目の具教、具房親子が国司として治めていたが、北部の豪族どもが織田に靡いたようだ。
信長の弟や息子たちが、豪族の養子に入り、血縁を結んだらしい。
もともと北畠家も伊勢の中央部を抑えるのが精一杯で、北部は、神戸氏をはじめとする北勢四十八家とよばれる小豪族が割拠する状況で、一枚岩ではなかった。
「織田のことです、北伊勢だけでは満足しないというのが、公方様の見立てだ。朝倉様もそう考えているらしい」
北伊勢が信長の手に下ったと聞いて、義秋周辺は色めきだったらしい。
伊勢をとるということは、京への侵入を考えていると思っても良い。
当時、京に入るには、三つの関所を越えなければならなかった ―― 山城と近江の境にあった逢坂関、美濃から近江へと入る不和関、そして伊勢の鈴鹿山脈を越える鈴鹿関である、いわゆる三関である(古くは、逢坂関ではなく、北陸の愛発関を数えた)。
信長は、美濃を攻略し、稲葉山城を岐阜城と改め、不破関を抑えた。
そして今度は、三関のうちのふたつ目の鈴鹿関を抑えたのである。
容易に京へ侵入することもできるし、逆に京からの攻撃を防ぐ、または京へ入っていく不逞の輩を抑えることもできる。
いまや信長は、天下の喉仏に匕首を突きつけたと同じ状況である。
これは、義秋にとっても好都合だ。
信長が、不破関、鈴鹿関を抑えている限り、京からの兵は防げる。
一方で義秋が、信長、義景を従え、堂々と京へと侵攻できる。
京周辺は、いまだ三好勢と松永勢の対立が治まらないと聞く。
義秋が次期将軍として、織田家や朝倉家の大軍を率いて上京してくれば、十四代将軍義栄や三好らも、恐れをなして都落ちするに違いない。
帝も、次期将軍の擁立に首を横に触れまいというのが、義秋たちの考えのようだ。
「幕臣の中には、朝倉様よりも織田を頼ってはどうかという話も出ておる」
「何れの御仁がそのようなことを?」
「三淵殿や和田殿だ」
「然もありなん」、十兵衛は納得する、「それで、肝心の足利様は?」
「うむ……、拙者、あの方のお考えがよく分からぬ。全く表情を変えられないというか、無表情で………………、ただ和田殿からは、織田を頼るか、それとも朝倉様が決意するのを待つか、なかなか決めかねていらっしゃるようだとは聞き及んでおる。聞けば、以前織田を頼られたが、美濃のこともあって、公方様が見切りをつけられたとか」
「それは初耳だ」
弥平次が、和田惟政から聞いた話では、義秋が矢島に隠れていたとき、各地の有力な武将に、将軍になるための力添えを依頼していたが、その中に信長がおり、当時細川藤孝が使者として派遣され、信長は了承したらしい。
義秋は、信長が動きやすいようにと、当時揉めていた美濃の斎藤氏と和睦させ、あとは上洛を待つ手筈であった。
が、それから数か月後に、織田が美濃に攻め込んだ ―― この時、信長は大敗してしまう ―― 永禄九(一五六六)年河野島の戦いである。
これにより義秋は、信長には余に力添えする意志なしと、見限ったそうだ。
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