本能寺燃ゆ

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第一章「純愛の村」

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 話を聞いていて、権太は目が回りそうだった。

 義澄や義晴や義輝や義維……、勝元に政元に晴元に……、同じような名で、頭が大混乱だ。

「まあ、要は、『阿波公方』も、『貧乏公方』も、血筋は変わらね。条件は同じ、あとは運次第ってことだ」

 げふっと噯気おくびをしながら八郎は言った。

 その運が強かったのが、義栄だったようだ。

 義昭同様、従五位下で左馬頭に任じられ、昨年の霜月あたりに将軍就任への上申をしたらしいが、

「銭一万疋(百貫)なくて、将軍になれなかった」

 と、八郎は二杯目のお代わりをした。

「なんですか、それは?」

 源太郎は目を白黒させて尋ねる。

「帝が集ったんだと。将軍になりたきゃ銭寄越せと」

「将軍とは、そういうものなのですか? もっとこう……、その人の人柄とか、家柄とか、才とか……、逆にいえば、銭を出せば誰でも将軍になれるので?」

「いや~、誰でもというわけではないが……」、十兵衛は苦笑しながら頭を掻いている、「内裏も、先立つものがなければというわけでしょう」

「けっ、何言ってやがる。結局世の中これなのよ」

 と、八郎は右の親指を人差し指の先をくっつけて輪っかを作った。

「はあ……」

 で、この月に入って銭を用意したので、将軍の就任の許可がおりたそうだ ―― それも、半分の五千疋で。

「五千疋! それで将軍になれたのか?」

 今度驚いていたのは十兵衛だ。

「お公家さんも、背に腹は代えられんというわけだ。はははは、お前が『貧乏公方』に抱えられたのと同じ値だな。『貧乏公方』、使いどころを間違えたのではないか?」

「むむむむ……」、十兵衛は悔しそうに天を仰いでいる、「いや、拙者もまだ十貫ももらっておらんわけで……」

「ならちょうどいい。お前の銭をそっちへ回してもらえばいいんじゃねぇ? まあ、『阿波公方』が五千疋なら、『貧乏公方』は一万疋積まなきゃ、帝もうんとは頷かねぇだろうがな」

「まあ、そうだろうが……、貧乏公方……、いや、義秋殿に、そんな銭もないだろうし、朝倉様も………………」

 将軍が義栄となれば、義秋の存在価値はない。

 もともと中央の権力に無関心な義景は ―― というか、朝倉家にとって地盤である越前を守ることが第一で、変に巻き込まれるのが嫌で、それは朝倉一門衆も家臣団も同じ意見であり、中央が治まれば義秋の存在そのものが邪魔になる。

 このまま義秋を抱えていれば、十四代将軍義栄や現在権力を持っている三好三人衆から目の敵にされ、征伐の対象となるかもしれない。

 さらに言えば、すでに足利一族の鞍谷氏を抱えている。

 いくら朝倉家といえども、これ以上客将を迎える余裕もあるまい。

 義秋のもとには行く末を期待してか、十兵衛だけでなく、義輝の奉公衆らも続々と帰参していた。

 家臣団としては巨大になっており、これを維持するだけでも大変だろう。

 これ以上、朝倉氏も関与したくないはずだ。

「朝倉は動くまい」

「だな……」

「むしろ、厄介者扱いになる。『貧乏公方』の家臣になったお前さんもな」

 八郎の皮肉に、十兵衛は珍しく唇を噛んでいる。

 厄介者となると、十兵衛はここから追い出されるのだろうかと、権太は心配になった。

 姉も、心配そうに十兵衛を見ている。

「当てが外れたな。いまから『阿波公方』に乗り換えるか?」

 八郎は、三杯目も掻き込んで、白湯を啜った。

 粥鍋は綺麗に底が見えている。

「乗り換えるといってもな……」

 いまさら義栄のもとにいったとして、家臣となることができるだろか?

 義秋の家臣だったと知れれば、追い返されるかもしれない。

 そして、義栄に寝返ったが追い返されたと分かれば、義秋は二度と召し抱えてはくれないだろう。

 いや、意外に義栄も、敵の状況が知りたいと、十兵衛を使ってくれるかもしれない。

 義栄のもとに行くことが、吉とでるか、凶とでるか………………

 そんな危険な賭けをするよりは、いっそのこと、ここを出て、別の侍に仕えるか………………そうなると、また一からやり直しだ。

 それとも、このまま………………十兵衛は、ちらっとおえいを見た。

 おえいと目が合うと、慌てて目を逸らす ―― それを権太は見過ごさなかった。

「まあ……、折角、次期将軍と目される人の傍に仕えることができたのだ、この好機を存分に使わないでおくまい。それに………………、義栄が長生きするとは限るまい」

 そうなれば、次の将軍こそ義秋である。

「いましばらく、様子を見よう」

「お前、そんな様子見でいいのか? こうしている間に、織田や他のやつらが動き出すやもしれんぞ」

 八郎の言葉に、十兵衛は眉をぴくりと動かした。

「てめえでぇ掴んだ運を、放すなよ」

 それは、皮肉でも、脅しでもない………………八郎の言葉どおりになった。

 北伊勢の国人衆が、織田の軍門に下ったという。
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