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第一章「純愛の村」
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すると、一刻もしないうちに男がやってきた。
「十兵衛はおるか? ここにおると聞いたが」
こちらも十兵衛に負けず劣らず、上背のある、がっしりとした体格の男であった。
連雀商人だろうか、大きな背負子を背負っている。
げじげじ眉毛に、獅子のようなぎょろりとした目、洞窟のようにぽかりと空いた二つの鼻の穴に、蝦蟇のような大きな口、長い髪を後ろで束ねているが、癖っ毛なのか、前の辺りはくるくると渦を巻いている。
行商人………………というよりは、山伏のようだ。
応対に出た姉が、十兵衛は寺に行っているが、どちらさまかと訊ねると、
「では、ここで待つ」
と、上がり框にどかりと腰を下ろし、居座ってしまった。
どうしようかと、姉は父を見た。
源太郎は、怪しい素性の、しかも名乗らぬ者を家に上げたくはなかった。
しかもいま、山の中には落ちてきた足軽連中もいる。
余所者を入れたくはないのだが、十兵衛の客だというし、しかもかなり厳つくて、怖いので、とりあえず帰ってくるまではと、姉に白湯を出させた。
男は礼も言わず、それをがぶがぶと飲み干すと、何も言わず姉に空の椀を付きだした。
どうやら御代わりということらしい。
姉は慌てて白湯を入れた。
それを数度繰り返して、男はようやくひと心地ついたのか、ふうっと息をついたあと、
「馳走になった」
と、はじめて礼をいった。
「うむ、あいつはまだ帰ってこないな。では、ここでひと眠りさせてもらおう」
今度は断りもなく、その場に寝転がり、瞬く間に酷い鼾を掻きはじめた。
姉が何度も声をかけ、揺さぶったり、叩いたりしたが、まったく起きない。
「仕方がない、明智様が戻ってくるまで、そのままにしておけ」
と、源太郎も諦めてしまった。
当の十兵衛が戻ってきたのが、夕方近くになってだ。
「いや~、和尚と話し込んで遅くなりました」
帰ってきてすぐに、上がり框に寝転がっている大男を見て、ぎょっとしていた。
「えっ? ああ、なんだ八郎か」
すると男は、いまのいままで鼾を掻いていたのに、すくっと起き上がり、
「おう、お帰り」
と、まるで家の主のように声をかけた。
男は、真田八郎と名乗った。
十兵衛の古い知り合いで、方々を浪人中に、行商をしている八郎と出会ったらしい。
十兵衛が各国の良い商いの話を教えると、八郎は各地の良い仕官話などを持ってきてくれる。
そんな付き合いで早数十年………………
「お前はえり好みしすぎるんだよ、女の好みも相当うるさいし。女ならまだいいが、それが仕官先の殿様までえり好みするから、いまだに浪人なんだろう。俺が折角良い殿さんがいると教えても、いや、あの殿さんはどうだこうだ、あの殿さんはああだこうだと言っては、文句をつけやがって」
「いや、別に文句はつけてはないが……」
八郎が今夜は泊めろというので、十兵衛は大丈夫かと源太郎に断り、囲炉裏端で夕餉をご馳走になりながら昔ばなしに華を咲かせた。
「この前も、良い仕官先を教えてやったのに、ほら、あの……、あれよ、あれ……」
「大浦?」
「そうそう、大浦よ。お前の話をしたら是非とも会いたいとなったのに、断りやがって」
「いや、流石に陸奥は遠くて……」
「お前な、近いも遠いもないだろう。折角召し抱えてもらえるやもしれんというのに。そんなんじゃ、将軍にもなれんぞ。それとも何か、一生浪人でもするつもりか? それとも商いでもするか?」
「それもいいかもしれんな」
「よせや、お前に商いは向いてねぇよ。お前さんは、詰めが甘いんだ。最後の最後で情なんて出すから、相手に安く買いたたかれるんだ。いいか、商いだぞ、相手は安く買いたいに決まってる。そのためには、あいつら親や女房、子どもが病気だなんて平気で嘘をつくからな。前にも……」
「ああ、分かった分かった、みなまで言うなよ、それは拙者も分かっている」
古い馴染みと会ったせいか、話し方がいつもと違うし、表情もころころと変わる。
それが、権太には新鮮で、面白かった。
「十兵衛はおるか? ここにおると聞いたが」
こちらも十兵衛に負けず劣らず、上背のある、がっしりとした体格の男であった。
連雀商人だろうか、大きな背負子を背負っている。
げじげじ眉毛に、獅子のようなぎょろりとした目、洞窟のようにぽかりと空いた二つの鼻の穴に、蝦蟇のような大きな口、長い髪を後ろで束ねているが、癖っ毛なのか、前の辺りはくるくると渦を巻いている。
行商人………………というよりは、山伏のようだ。
応対に出た姉が、十兵衛は寺に行っているが、どちらさまかと訊ねると、
「では、ここで待つ」
と、上がり框にどかりと腰を下ろし、居座ってしまった。
どうしようかと、姉は父を見た。
源太郎は、怪しい素性の、しかも名乗らぬ者を家に上げたくはなかった。
しかもいま、山の中には落ちてきた足軽連中もいる。
余所者を入れたくはないのだが、十兵衛の客だというし、しかもかなり厳つくて、怖いので、とりあえず帰ってくるまではと、姉に白湯を出させた。
男は礼も言わず、それをがぶがぶと飲み干すと、何も言わず姉に空の椀を付きだした。
どうやら御代わりということらしい。
姉は慌てて白湯を入れた。
それを数度繰り返して、男はようやくひと心地ついたのか、ふうっと息をついたあと、
「馳走になった」
と、はじめて礼をいった。
「うむ、あいつはまだ帰ってこないな。では、ここでひと眠りさせてもらおう」
今度は断りもなく、その場に寝転がり、瞬く間に酷い鼾を掻きはじめた。
姉が何度も声をかけ、揺さぶったり、叩いたりしたが、まったく起きない。
「仕方がない、明智様が戻ってくるまで、そのままにしておけ」
と、源太郎も諦めてしまった。
当の十兵衛が戻ってきたのが、夕方近くになってだ。
「いや~、和尚と話し込んで遅くなりました」
帰ってきてすぐに、上がり框に寝転がっている大男を見て、ぎょっとしていた。
「えっ? ああ、なんだ八郎か」
すると男は、いまのいままで鼾を掻いていたのに、すくっと起き上がり、
「おう、お帰り」
と、まるで家の主のように声をかけた。
男は、真田八郎と名乗った。
十兵衛の古い知り合いで、方々を浪人中に、行商をしている八郎と出会ったらしい。
十兵衛が各国の良い商いの話を教えると、八郎は各地の良い仕官話などを持ってきてくれる。
そんな付き合いで早数十年………………
「お前はえり好みしすぎるんだよ、女の好みも相当うるさいし。女ならまだいいが、それが仕官先の殿様までえり好みするから、いまだに浪人なんだろう。俺が折角良い殿さんがいると教えても、いや、あの殿さんはどうだこうだ、あの殿さんはああだこうだと言っては、文句をつけやがって」
「いや、別に文句はつけてはないが……」
八郎が今夜は泊めろというので、十兵衛は大丈夫かと源太郎に断り、囲炉裏端で夕餉をご馳走になりながら昔ばなしに華を咲かせた。
「この前も、良い仕官先を教えてやったのに、ほら、あの……、あれよ、あれ……」
「大浦?」
「そうそう、大浦よ。お前の話をしたら是非とも会いたいとなったのに、断りやがって」
「いや、流石に陸奥は遠くて……」
「お前な、近いも遠いもないだろう。折角召し抱えてもらえるやもしれんというのに。そんなんじゃ、将軍にもなれんぞ。それとも何か、一生浪人でもするつもりか? それとも商いでもするか?」
「それもいいかもしれんな」
「よせや、お前に商いは向いてねぇよ。お前さんは、詰めが甘いんだ。最後の最後で情なんて出すから、相手に安く買いたたかれるんだ。いいか、商いだぞ、相手は安く買いたいに決まってる。そのためには、あいつら親や女房、子どもが病気だなんて平気で嘘をつくからな。前にも……」
「ああ、分かった分かった、みなまで言うなよ、それは拙者も分かっている」
古い馴染みと会ったせいか、話し方がいつもと違うし、表情もころころと変わる。
それが、権太には新鮮で、面白かった。
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