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第一章「純愛の村」
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粥を啜ったあと、源太郎は白湯をすすめた。
十兵衛は頷く。
源太郎は、傍に控える女に促す。
女は、囲炉裏の自在鉤にかかった鍋から酌で湯を汲むと、十兵衛の椀に注ぎいれた。
「忝い」
十兵衛が笑顔を向けると、女もそれに笑顔で答えた。
たき火のせいか、頬が少し染まっているように見える。
権太は、頬を赤らめる女を嫌らしいと思った。
娘は、権太の姉 ―― 〝えい〟である。
九つも離れた姉で、姉というよりももうひとりの母親のようだ。
世話焼きなところがあり ―― といっても、過保護なそれとは違い、母親がいない分、自が家を盛り立てないといけないという義務感のようなもので、幾分鬱陶しいことがある。
顔立ちは、これまた消えた女の血を色濃く引いているのか、恐ろしいほど酷く整っていて、逆に村の若衆が気おくれして声をかけないほどだ。
なかには強者が声をかけるが、にべもなく断られる。
山添のべっぴんさん姉妹などと言われる ―― 山添は、権太の家が山のすそ野に近いところにあるからだ。
べっぴんさんだと、言うまでもなく女子衆からは嫉妬の嵐、村の若衆全員と交合たとか、自分の好きな若衆を盗られたと、悪口が絶えない。
袖にされた男たちも、面白がって口にする。
見向きもされない腹いせにと、具合の悪い女だったとか、まるで丸太を抱いているようだったとか、あることないこと口にする。
噂だけならいいが、その腹いせが権太にくることもあった。
そのせいで、仲は悪くはない姉弟ではあったが、権太はおえいに幾分含むところがあった。
十兵衛は白湯で椀をすすぎ、その残り汁をすっと啜ると、ひと心地ついたのか、話し始めた。
「殿は、この度の事態を大変ご憂慮あそばされておられる」
その割には対応が遅いと、源太郎は不服そうな顔をしていたのだろう、十兵衛は言い訳のように付け加えた。
「いえ、旱はこの村だけではなく領内全体で、それで方々から嘆願や訴状がだされ、殿もこの村だけを特にとは出来ぬのです」
「それは重々承知でございますが……、こちらも今日か明日かという身ですので。再三の庄屋の訴えにも耳をおかしいただく所存もなく……」
「そのようなことはない」、十兵衛は断言した、「殿は以前よりご承知で、拙者に差配せよとご下命があったのだが、何せ見てのとおり不調法なものですから、他の村の始末をつける段取りに手間取ってしまって、これは拙者の不手際で、断じて殿がこの村のことをお忘れになっておったとかそういうことではない。大変申し訳ない」
十兵衛が頭を下げるのを見て、源太郎は慌ててそれを止めた。
「滅相もございませぬ。頭をお上げ下され。明智様が来ていただいただけでも、大層助かりまする」
「それはようござった」
と、十兵衛は、見ているこちらが恥ずかしくなるような笑顔を寄越した。
それを姉は、うっとりとした表情で見ている。
姉がこんな顔をするのは珍しい。
村の男に言い寄られても、こんな表情はしない。
それがどんなに良い男でも、つんと澄ましたような顔をしている。
その無表情が、男たちにあれやこれやと変な悪口を言われる所以でもある。
珍しいと思うとともに、いけ好かないと感じた。
十兵衛は頷く。
源太郎は、傍に控える女に促す。
女は、囲炉裏の自在鉤にかかった鍋から酌で湯を汲むと、十兵衛の椀に注ぎいれた。
「忝い」
十兵衛が笑顔を向けると、女もそれに笑顔で答えた。
たき火のせいか、頬が少し染まっているように見える。
権太は、頬を赤らめる女を嫌らしいと思った。
娘は、権太の姉 ―― 〝えい〟である。
九つも離れた姉で、姉というよりももうひとりの母親のようだ。
世話焼きなところがあり ―― といっても、過保護なそれとは違い、母親がいない分、自が家を盛り立てないといけないという義務感のようなもので、幾分鬱陶しいことがある。
顔立ちは、これまた消えた女の血を色濃く引いているのか、恐ろしいほど酷く整っていて、逆に村の若衆が気おくれして声をかけないほどだ。
なかには強者が声をかけるが、にべもなく断られる。
山添のべっぴんさん姉妹などと言われる ―― 山添は、権太の家が山のすそ野に近いところにあるからだ。
べっぴんさんだと、言うまでもなく女子衆からは嫉妬の嵐、村の若衆全員と交合たとか、自分の好きな若衆を盗られたと、悪口が絶えない。
袖にされた男たちも、面白がって口にする。
見向きもされない腹いせにと、具合の悪い女だったとか、まるで丸太を抱いているようだったとか、あることないこと口にする。
噂だけならいいが、その腹いせが権太にくることもあった。
そのせいで、仲は悪くはない姉弟ではあったが、権太はおえいに幾分含むところがあった。
十兵衛は白湯で椀をすすぎ、その残り汁をすっと啜ると、ひと心地ついたのか、話し始めた。
「殿は、この度の事態を大変ご憂慮あそばされておられる」
その割には対応が遅いと、源太郎は不服そうな顔をしていたのだろう、十兵衛は言い訳のように付け加えた。
「いえ、旱はこの村だけではなく領内全体で、それで方々から嘆願や訴状がだされ、殿もこの村だけを特にとは出来ぬのです」
「それは重々承知でございますが……、こちらも今日か明日かという身ですので。再三の庄屋の訴えにも耳をおかしいただく所存もなく……」
「そのようなことはない」、十兵衛は断言した、「殿は以前よりご承知で、拙者に差配せよとご下命があったのだが、何せ見てのとおり不調法なものですから、他の村の始末をつける段取りに手間取ってしまって、これは拙者の不手際で、断じて殿がこの村のことをお忘れになっておったとかそういうことではない。大変申し訳ない」
十兵衛が頭を下げるのを見て、源太郎は慌ててそれを止めた。
「滅相もございませぬ。頭をお上げ下され。明智様が来ていただいただけでも、大層助かりまする」
「それはようござった」
と、十兵衛は、見ているこちらが恥ずかしくなるような笑顔を寄越した。
それを姉は、うっとりとした表情で見ている。
姉がこんな顔をするのは珍しい。
村の男に言い寄られても、こんな表情はしない。
それがどんなに良い男でも、つんと澄ましたような顔をしている。
その無表情が、男たちにあれやこれやと変な悪口を言われる所以でもある。
珍しいと思うとともに、いけ好かないと感じた。
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