大兇の妻

hiro75

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第13話

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 日はとっぷりと暮れ、屋敷中に明かりが灯された。

 宇音美は放心したように座り込み、庇に打ち付ける弱々しい雨音を聞くともなしに聞いていた。

 ―― お義母さまや侍女たちの言うとおり、私は不幸を運んでくる女かもしれない。

 と思った。

 ―― 私と一緒になって、大郎さまは不幸続きだわ。私、それに気がついていながら、大郎さまの優しさに甘えていたのね。

 宇音美は、自分が呆れるほど心配性だと分かっている。

 義母には、『いつも眉間に皺を寄せて、不安な顔をしている。あの顔を見ているだけで不幸になる』と、陰口を叩かれている。

 できるだけ良いほうに考えようとするのだが、ついつい悪いことばかり頭に思い浮かぶ。

 一度思い浮かぶと、小指にできた逆剥けのように気になってしまう。

 特にここ一年は、眉間に皺を寄せることばかり起きた。

 一年前、義父の大津の倉に休留いひどよ(ふくろう)が巣を作り、子を産んだ。

 みな気味悪がった。

 宇音美も、巫覡を呼んでお払いをしてもらったほうがよいと夫に話した。

 入鹿は、迷信だと言い切った。

 彼は、そういった類を信じない人だった。

 全ては作り話だ。

 人間の不安や恐怖が迷信を作り出すのだ。

 確かに、日輪さえ活動を止める真夜中に、茅鴟が我が物顔で飛び回っているのを見れば、誰でも気味悪く思うだろう。

 だが、それは人が怖いと思っているだけで、茅鴟ばうし(ふくろう)にはいい迷惑だと、夫はしごくまじめな顔で言った。

 入鹿は、すやすやと寝入るわが子の顔を覗きこみながら続けた。

 可愛らしい笑顔だ。

 この笑顔を見ていると、仕事の悩みや疲れが吹っ飛ぶと、入鹿は急に父親の顔になった。

 茅鴟も同じだ、ただ子を産み、育てたかっただけだ、母茅鴟に何の罪があろうか、子茅鴟に何の咎があるだろうか、と語った。

 母や子に、何の罪はない。

 宇根美は、同じ母親として、休留親子を忌み嫌った自分を恥じた。

 何事も悪いほうへと考える自分に、ほとほと嫌気がした。

 剣池に、一本の茎に二つの蓮の花が咲いた。

 義父は瑞兆だと喜び、飛鳥寺に丈六仏を献上したが、宇音美は眉を顰めた。

 幾ら蓮がおめでたい花だからといっても、一つの胴体に二つの頭があるのと同じだ。

 何だか気味が悪い。

 義父が、橋の上から突き落とされるという事件も起きた。

 蝦夷が橋を渡ろうとしたとき、巫覡たちが何事かを叫びながら駆け寄ってきた。

 その数が余りにも多かったので、従者たちでは防ぎきれず、勢い余って橋から転落した。

 低い橋だったので怪我はなかったが、ずぶ濡れになり、風邪をひいてしまった。

 巫覡たちを捕まえ、問い質した。錯乱状態なのか、訳の分からぬことを喚くだけで、一向に埒があかなかった。

 神仏を信じる人々は、『移風の前兆だ』と噂した。

 去年の秋ごろ、東国の不尽河一帯で、常世神という奇妙な虫を信仰するのが流行りだした。

 大生部多おおうべのおおという男が、家財を全て捨て、常世神だけを祈れば豊かになれると触れ回った。

 人々は田仕事を放り出し、大生部多に財産を寄付し、虫を拝んだ。

 瞬く間に、飛鳥地方にまで広がった。

 民が働かなくなったせいで、群臣たちの収益が減った。

 彼らは、ただちに大生部多を討つべきだと主張した。

 大いに激昂したのは、入鹿であった。

『人々ノ不安ヤ恐怖ヲ煽リ、己ガ富ヲ得ヨウトハ、外道ナリ』と、すぐに秦造河勝はたのつくりのかわかつを遣わし、大生部多を掃討した。

 常世神は、ただの養蚕だった。

 今年の春にも、不吉なことが起こった。

 飛鳥のいたるところに猿が出没し、騒ぎ立てた。

 新緑鮮やかな山々から涼やかな川辺、煌びやかな宮殿から荘厳な寺院まで。

 盆地特有の地形のせいで、猿の叫び声が木霊し、蝉のように二重にも三重にも響き渡った。

 昼も夜も絶え間なく叫び続けるため、赤子が怖がって泣き止まない。

 宇音美も怖くてひとりでは寝られなかった。

 ひとり寝の夜は、頭まで夜具を被り、両手で耳を塞いだ。

 それでも、頭の中にまで響き渡ってきた。

 こんな夜は、大郎さまがお傍にいてくださればいいのにと、宇音美は幾夜も枕を濡らした。

 夫が来た夜は、玉葛のようにしがみ付いた。

 夫は、きっと雄と雌が愛し合っているのだ。

 だから、私たちも愛し合えば、猿たちも遠慮して静かになるはずだと、宇音美の唇をそっと塞いだ。

 妻の頭をぎゅっと抱き締めた。

 不思議と、猿の叫び声も暴れまわる音も聞こえなくなった。

 ことが終わって、はたと気がつくと、屋敷は静まり返っていた。

 宇音美のあのときの声が大きいからと、夫が珍しく冗談を言った。

 ―― もう遠い昔のよう。二度と、あの胸に抱かれることはないのね。
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