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第9話
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だだっ広い大広間に、ひとり取り残された。
壁には、異国の風景や風俗を描いた織物が飾られていた。
柱には、螺鈿細工が施されている。
柱の前には何体もの仏像が居並び、宇音美を不躾に見詰めていた。
正面には、黒檀に螺鈿をあしらった豪奢な椅子がある。
玉座よりも豪華な作りであった。
万事、派手好きの義母の趣味である。
建設にあたって、王宮に負けないほどの豪華な屋敷にして欲しいと義父を焚き付けたらしい。
豊浦大臣は妃の尻に敷かれていると、群臣に陰で笑われていた。
宇音美は、居心地の悪さを感じていた。
空気まで煌びやかで重苦しく、息が詰まりそうだった。
宇音美の屋敷は実に質素である。
それは母の趣味であり、母の控えめな性格を受け継いだ娘の趣味であった。
当然、宇音美母娘は蝦夷の妻と馬が合わなかった。
宇音美の母は、蝦夷の妃の一人であった。
つまり、蝦夷は宇音美の父でもあり、義父でもある。
入鹿は、宇音美の異母兄にあたった。
どういった経緯で蝦夷と母が出会ったのかは知らないが、蝦夷は母のもとに足しげく通った。
父が来る日、母はいつも以上に美しく、楽しそうにしていたことを覚えている。
宇音美も、父が来るのが待ち遠しかった。
もちろん、父に会える喜びもあったが、何より異母兄に会えることが嬉しかった。
父は、いつも入鹿を連れてきた。
宇音美は入鹿を慕い、入鹿も宇音美を可愛がった。
当然、正妻の義母は面白いはずがない。
母に酷い嫌がらせをしたようだ。
夜な夜な、母がひとり泣いているのを記憶している。
母は、宇音美が六つのときに亡くなった。
大人たちは、『これから一人で大変だね。何かあったら助けてあげるからね』と口では言うが、何もしてはくれなかった。
入鹿は何も言わなかった。
何も言わなかったが、泣きじゃくる宇音美の手をぎゅっと握ってくれた。
あのときの入鹿の手の感触はいまも残っている。
か細く、小さな手ではあったが、大丈夫、宇音美を守るから、絶対に守るからという想いがひしひしと伝わってきた。
入鹿の手の熱さに、宇音美は強く生きることを決心したのである。
母が亡くなると、父の足も鈍った。
入鹿だけは、毎日のようにやってきた。
渡来の珍しいお菓子を持ってきたり、貴重な木簡を携えてやってきた。
入鹿の母は、それが気に食わなかったようだ。
人伝に、彼女の悪口が聞こえてきた。
『大臣の息子が、あんな貧相な娘のもとに出入りするなんて、品格が落ちる』
宇音美は、ひどく落ち込んだ。
入鹿の立場も悪くなるので、彼にもう来ないほうがいいとお願いしたこともあった。
彼は、ふっと花が開いたように笑い、気にすることはありませんと、宇音美を引き寄せた。
『大郎兄さま、何を?』
入鹿は、胸の中の宇音美に微笑みながら、ただそなたを抱き締めたかっただけだと囁いた。
二人は、そのまま崩れていった。
入鹿と宇音美は、男と女を知った。
壁には、異国の風景や風俗を描いた織物が飾られていた。
柱には、螺鈿細工が施されている。
柱の前には何体もの仏像が居並び、宇音美を不躾に見詰めていた。
正面には、黒檀に螺鈿をあしらった豪奢な椅子がある。
玉座よりも豪華な作りであった。
万事、派手好きの義母の趣味である。
建設にあたって、王宮に負けないほどの豪華な屋敷にして欲しいと義父を焚き付けたらしい。
豊浦大臣は妃の尻に敷かれていると、群臣に陰で笑われていた。
宇音美は、居心地の悪さを感じていた。
空気まで煌びやかで重苦しく、息が詰まりそうだった。
宇音美の屋敷は実に質素である。
それは母の趣味であり、母の控えめな性格を受け継いだ娘の趣味であった。
当然、宇音美母娘は蝦夷の妻と馬が合わなかった。
宇音美の母は、蝦夷の妃の一人であった。
つまり、蝦夷は宇音美の父でもあり、義父でもある。
入鹿は、宇音美の異母兄にあたった。
どういった経緯で蝦夷と母が出会ったのかは知らないが、蝦夷は母のもとに足しげく通った。
父が来る日、母はいつも以上に美しく、楽しそうにしていたことを覚えている。
宇音美も、父が来るのが待ち遠しかった。
もちろん、父に会える喜びもあったが、何より異母兄に会えることが嬉しかった。
父は、いつも入鹿を連れてきた。
宇音美は入鹿を慕い、入鹿も宇音美を可愛がった。
当然、正妻の義母は面白いはずがない。
母に酷い嫌がらせをしたようだ。
夜な夜な、母がひとり泣いているのを記憶している。
母は、宇音美が六つのときに亡くなった。
大人たちは、『これから一人で大変だね。何かあったら助けてあげるからね』と口では言うが、何もしてはくれなかった。
入鹿は何も言わなかった。
何も言わなかったが、泣きじゃくる宇音美の手をぎゅっと握ってくれた。
あのときの入鹿の手の感触はいまも残っている。
か細く、小さな手ではあったが、大丈夫、宇音美を守るから、絶対に守るからという想いがひしひしと伝わってきた。
入鹿の手の熱さに、宇音美は強く生きることを決心したのである。
母が亡くなると、父の足も鈍った。
入鹿だけは、毎日のようにやってきた。
渡来の珍しいお菓子を持ってきたり、貴重な木簡を携えてやってきた。
入鹿の母は、それが気に食わなかったようだ。
人伝に、彼女の悪口が聞こえてきた。
『大臣の息子が、あんな貧相な娘のもとに出入りするなんて、品格が落ちる』
宇音美は、ひどく落ち込んだ。
入鹿の立場も悪くなるので、彼にもう来ないほうがいいとお願いしたこともあった。
彼は、ふっと花が開いたように笑い、気にすることはありませんと、宇音美を引き寄せた。
『大郎兄さま、何を?』
入鹿は、胸の中の宇音美に微笑みながら、ただそなたを抱き締めたかっただけだと囁いた。
二人は、そのまま崩れていった。
入鹿と宇音美は、男と女を知った。
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