大兇の妻

hiro75

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第6話

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 谷の屋敷の従者たちは、物の怪のような宇音美の姿を見ると、驚き、恐れ、困惑した。

 谷の屋敷に、入鹿はいなかった。

 どこに言ったのかと問い詰めると、従者の一人が言いにくそうに口を開いた。

「上の屋敷にごさいます」

「なぜ、お義父さまのお屋敷に?」

「奥方さまが……」

 入鹿の母が、遺体を上の屋敷に移動させたらしい。

「お義母さまが、何故そのようなことを?」

「多分、お傍にいらっしゃりたいからだと思いますが」

 宇音美は、谷の屋敷を飛び出し、上の屋敷へと走った。

 雨によって山道はぬかるんでいる。

 跳ねあがった泥で、背中まで真っ黒になった。

 ところどころ岩が顔を覗かせている。

 濡れた岩に足を滑らせ、顔から泥に突っ込んだ。

 それでも、夫に会いたくて山道を駆け上がった。

 これが義母のいつもの意地悪で、夫は無事であると思いながら。

 上の屋敷には、多くの兵士たちが屯していた。

 宇音美が現れると、さすがの兵士たちも、その姿に驚嘆し、気味悪がった。

「大郎さま、大郎さまはどこです?」

 泣き叫ぶ赤子を背負い、着物は肩まではだけ、腰紐を引きずり、乱れた髪をそのままに、入鹿の姿を求めながらさ迷い歩く姿は、黄泉の国より這い出した伊邪那美命を想わせた。

 兵士たちが騒いでいると、屋敷からひとりの男が剣を振り回しながら出てきた。

「何事か? 敵襲か? 女王軍が攻めてきたか?」

物部大臣もののべのおおおみさま、怪しい女が」

 聞き覚えのある声に振り返ると、入鹿の弟であった。

 入鹿兄弟の祖母 ―― 蘇我馬子の妻は物部守屋大連の妹である。

 物部の財産を受け継いだ弟は、物部大臣と呼ばれていた。

 義弟の顔を見ると、急に力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。

「う、宇音美さまですか? 何というお姿で……」

 入鹿の弟は、宇音美の姿を見て絶句した。

「もしや、兄上を心配なされて、お一人で来られたのですか? この雨の中を? おお、何と麗しき愛であろうか」

 男は、大袈裟と思えるほど感動した口調で叫んだ。

「蘇我氏が存亡の危機というときに、馳せ参じることもない一族がいるというのに。中には同族を裏切り、女王側についた者までいるというのに。みなのもの、見たか! 兄上に対する宇音美大郎女さまの愛を。蘇我一族に対する想いを」

 物部大臣は剣を突上げ、兵士たちを鼓舞した。

「女である宇音美さまが、かくも蘇我一族を想っていらっしゃる。男である我らも、宇音美さまに恥じぬよう、力の限り戦おうぞ!」

 兵士たちから鬨の声があがった。

 男たちの勇ましい声はうねりとなり、宇音美の体を酷く圧迫した。

 ただならぬ雰囲気に、息苦しさを感じた。

 宇音美は、溺れかかった人間が必死でもがくように、手足をばたつかせながら義弟に駆け寄った。

 泥だらけの手で義弟の裾にしがみ付いた。

「中郎さま、大郎さまはどこにいるのです? 無事なのですか? いえ、きっと無事なのですよね」

「宇音美さま、兄上は……」

 物部大臣は、眉間に皺を寄せた。

 奥歯をぎりぎりといわせ、怒りで全身を震わせた。
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