大兇の妻

hiro75

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第1話

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 侍女が、部屋に転がり込んできた。

「大変でございます、宇音美大郎女うねみのおおいらつめさま。林大臣はやしのおおおみ(蘇我入鹿)さまが、お亡くなりあそばされました」

 宇音美は、青ざめた顔の侍女を呆然と見つめる。

 重たげな瞼を幾度も瞬かせる。

 女は、針仕事をしていた。

 暑い日が続いていた。

 半時前から雨が降り出したが、一向に涼しくならない。

 部屋の中は、湿気があるせいで蒸し暑かった。

 額から噴出した汗が、宇音美の豊かな頬を伝わり、零れ落ちていった。

 衣に染みができないように、注意しながら針を動かしていた。

 麻の単である。

 暑さに弱い夫のためである。

 夫は、決して己の感情を顔に出さない。

 出来上がった衣に手を通しても、仏像のような顔で、ただ一言、ありがとうと言うだけだろう。

 ときどき、本当に愛されているのだろうかと不安になる。

 不安になるから、もっと尽くさねばと懸命になる。

 その愛情表現が押し付けがましいと、夫の母には不評のようだ。

『でも、よいのです。あの人さえ喜んでくだされば。お父さまは、きっと喜んでくださるわよね?』と、すやすや寝入る赤子に声をかけながら、針仕事に勤しんでいた。

 突然の訃報に、宇音美は驚きながらも、ああ、やはりと思った。

 夫は、昨夜から体調が悪かった。

 今日は、三韓が貢物を進上する大切な儀式があるとかで、無理をして外出した。

 日ごろの激務が祟ったのだろうか?

 それにしては若すぎる。

 まだまだ働き盛りなのに………………

 信じたくはない。

 きっと何かの間違いだろう。

 そうだ、入鹿の父である豊浦大臣とようらのおおおみ(蘇我蝦夷)の間違いであろうと宇音美は思った。

 義父は、ここ数年体調を崩している。

 大臣として政務を全うできないので、入鹿に職を譲り、屋敷に籠もって静養に当っていた。

 義父が亡くなったのなら頷ける。それなりの覚悟もしていた。

「豊浦さまの間違いでしょう? 豊浦さまが身罷られたのでは?」と問い質した。

 侍女は、悲しく首を振った。

「豊浦大臣さまではございません。林大臣さまでございます。林大臣さまが……」

「そ、そんな……、そんなことはありません。大郎たろうさまが亡くなるなんて。何処からの知らせですか?」

「谷のお屋敷からです」

「お義母さまの嫌がらせでは?」

「林大臣さま直々の祖子孺者おやのこわらわからの知らせです」

 間違いないようだ。

 夫は、亡くなったのだ!

「そうですか……」と、宇音美は全てを悟ったように静かに訊いた、「それで、大郎さまの最後は? 体調を崩されてお倒れになったのですか?」

 侍女は、言いづらそうに口をもごもごと動かしている。

「私なら大丈夫です。それなりの覚悟はしていましたから。大郎さまの最後はどうだったのです?」

「林大臣さまは……」と、区切ったあと、侍女は宇音美から目を逸らした、「女王さまに逆心ありと、誅殺された……と」

 一瞬、我が耳を疑った。

「ば、馬鹿なことを申すな!」

 宇音美は勢いよく立ち上がった。

 麻衣が零れ落ちる。

 傍らにいた赤子が目を覚まし、激しく泣きだす。

「大郎さまが、あの人が逆心を起すわけがないでしょう。誰よりも国を想い、誰よりも民を想うあの人が」

「しかし、孺者はそのように申しております。林大臣さまの御遺体は、谷のお屋敷のほうに戻られたと」

「ああ、何てことを……」

 女は、麻衣の上に崩れ落ちた。
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