幽霊、笑った

hiro75

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「お上さん」とお糸が呼ぶので、帳場から顔を出すと、若様の神妙な顔が見えた。

 ―― 来たね。

    あの顔を見ると、嘉平さんの話が相当答えているようだね。

 おみねとしては、好都合だった。

 おつたのことを断りやすい。

 おみねは、「ちょいとお話があります」と、若様を帳場の奥へと案内した。

 襖を全て締め切り、二人は向かい合わせて座った。

 行灯の薄明かりに照らされた若様の顔は、随分年老いて見える。

「実は、おつたのことなんですが……」とおみねが言いかけて、若様が、「ええ、そのことで私も話があるんです」と遮った。

 昨晩、嘉平の長屋に行ったと、若様は話した。

「ええ、その話は聞いてます」

「じゃあ、私が嘉平さんからどんなことを言われたかも知っているのですね」

 おみねは頷いた。

「そうか、そうですね。じゃあ、話も早い」

 若様は、自嘲するような顔つきで話した。

「あれは応えました。うん、確かに嘉平さんの言うとおりだと思いました」

 私は世の中を甘く見ていた。

 武士の仕事も碌にできない自分が、他の仕事をできるわけがない。

 それは正論だ。

 そんな腑抜けた根性で外に飛び出しても、末路は忘八か、女の紐と言われた。

 それもまた、確かだと思った。

 結局、今のままでは、自分も幸せになれないし、おつたも幸せにできないと、若様は言った。

「それならば、私は自分に与えられた武士という身分を、確りと全うしようと思ったのです」

「そうです、そうでございますよ、若様」

 おみねは嬉しかった。

 それを分かってくれただけでも、嘉平さんにこっぴどく叱られた意味はあると思った。

 やっぱり私の息子だよ、と安堵した。

「実は、おつたもですね……」

 と、おつたの話をすると、若様は、

「ああ、そうですか、おつたもそんなことを……、おつたは、やはり心根の優しい子ですね」

 と、感慨深げだった。

「だからこそ、おつたと一緒になりたいと思うのです」

 おみねは、小さな目を瞬かせた。

「えっ、どういうことですか?」

「私はおつたを、どうしても欲しいのです」

「ええ、そうでしょうとも、あんなに優しい娘ですから。でも、それはできないでしょう?」

 若様は、武士の身分を捨てないと言った。

 その武士の若様と町人の娘であるおつたが一緒になれるわけがない。

 身分が違いすぎる。

 金を持った商人の娘ならまだしも、おつたは料理茶屋の女中である。

 若様の親が許さないはずだ。

「そうです、父も母も反対するでしょう。貧乏旗本とは言え、家柄に煩いのが武士の家です。それなりの所から妻を娶ることになると思います。でも、私はおつたのことが忘れられないのです」

 若様は眉を寄せ、苦渋の顔で唸った。

 おみねは、はっと思い当たった。

「では、若様は、おつたを妾にすると……?」

 若様は何も言わなかったが、否定もしなかった。
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