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第五章「生命燃えて」 後編
第34話
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何年振りだろうか?
大伴家から逃げ出し、連れ戻されたとき以来だ。
彼の塔が見下ろしている………………相変わらず、威圧的だ。
寺の周りに広がる田畑では、奴婢たちが働く姿が見える。
自分も昔あのなかにいて、泥だらけになりながら畑仕事をしたものだ。
それがいまでは、貴人の服を着て、馬に乗って寺に向かっている。
八重女は、知り合いに見られるかもしれないという気恥ずかしさに、小さくなりながら寺へと向かった。
寺に着くと、聞師が待っていて、奥へと案内してくれた。
八重子は、寺の中に入るのは初めてで、見るもの全てが物珍しい。
きょろきょろしながら歩いていると、危うく転びそうになった。
連れてこられたのは、斑鳩寺を象徴する、あの塔だ。
聞師が扉を開けると、聊かかび臭い匂いが漂ってきた。
「この中です」
聞師は、薄暗い塔の中に入っていく。
安麻呂と八重女は、「ここ?」と互いに顔を見合わせた後、中に入った。
中は薄暗かったが、格子窓から入ってくる日の光が、男の背中を照らしているのが分かった。
彼は背中を丸め、何かを作業をしているようだ。
「彼ですか?」
安麻呂が尋ねると、聞師は頷いた。
「彼は何を?」
「仏像を彫っているのですよ」
「仏像?」
「ええ、残念ながら、むかしの記憶がありません。ですが、仏像を彫ることだけは覚えていたようで、帰ってきて以来、ここに籠って、ずっと仏像を彫り続けているのですよ、夜も休まず、ずっと……、もう何十体と……」
油皿に火を入れると、辺りに淡い光が広がる。
すると、壁際に人の顔が無数に浮かび上がり、八重女は思わず小さな悲鳴をあげてしまった。
「彼が彫った仏像です」
「これは驚きましたね、何十体どころの話ではない、百体以上はあるのではないですか? それも、ひとつひとつ顔が違う。まるで生きているようだ」
「ええ、恐らくは……、亡くなった者の顔ではないかと」
「亡くなった者?」
「むかし、彼の父親に似せて造ったのがはじまりで、多分この仏像は白村江で亡くなった者たちの姿を写しとったものだと思います」
「なぜ、そのようなことを?」
「彼なりの弔いだと思います」
そう言うと聞師は男に近づき、何やら耳元で囁いた。
男は一瞬顔をあげたようだが、すぐに俯き、そのまま仏像を彫り続ける。
「すみません、お客がきたと話したのですが……」
安麻呂は、大丈夫と首を振った。
なるほど、まったく記憶がないというか、俗世とは隔絶しているらしい。
「顔だけでも見ますか?」と聞師が言うので、「是非に」とお願いした。
八重女は、木片や木くずが散らばる足元を気にしながら、男に近づく。
頭を丸めて、いまや完全に僧侶だ。
丸まった背中は……弟成のようだが……顔を覗き込んで、確かに弟成だと確信した。
大伴家から逃げ出し、連れ戻されたとき以来だ。
彼の塔が見下ろしている………………相変わらず、威圧的だ。
寺の周りに広がる田畑では、奴婢たちが働く姿が見える。
自分も昔あのなかにいて、泥だらけになりながら畑仕事をしたものだ。
それがいまでは、貴人の服を着て、馬に乗って寺に向かっている。
八重女は、知り合いに見られるかもしれないという気恥ずかしさに、小さくなりながら寺へと向かった。
寺に着くと、聞師が待っていて、奥へと案内してくれた。
八重子は、寺の中に入るのは初めてで、見るもの全てが物珍しい。
きょろきょろしながら歩いていると、危うく転びそうになった。
連れてこられたのは、斑鳩寺を象徴する、あの塔だ。
聞師が扉を開けると、聊かかび臭い匂いが漂ってきた。
「この中です」
聞師は、薄暗い塔の中に入っていく。
安麻呂と八重女は、「ここ?」と互いに顔を見合わせた後、中に入った。
中は薄暗かったが、格子窓から入ってくる日の光が、男の背中を照らしているのが分かった。
彼は背中を丸め、何かを作業をしているようだ。
「彼ですか?」
安麻呂が尋ねると、聞師は頷いた。
「彼は何を?」
「仏像を彫っているのですよ」
「仏像?」
「ええ、残念ながら、むかしの記憶がありません。ですが、仏像を彫ることだけは覚えていたようで、帰ってきて以来、ここに籠って、ずっと仏像を彫り続けているのですよ、夜も休まず、ずっと……、もう何十体と……」
油皿に火を入れると、辺りに淡い光が広がる。
すると、壁際に人の顔が無数に浮かび上がり、八重女は思わず小さな悲鳴をあげてしまった。
「彼が彫った仏像です」
「これは驚きましたね、何十体どころの話ではない、百体以上はあるのではないですか? それも、ひとつひとつ顔が違う。まるで生きているようだ」
「ええ、恐らくは……、亡くなった者の顔ではないかと」
「亡くなった者?」
「むかし、彼の父親に似せて造ったのがはじまりで、多分この仏像は白村江で亡くなった者たちの姿を写しとったものだと思います」
「なぜ、そのようなことを?」
「彼なりの弔いだと思います」
そう言うと聞師は男に近づき、何やら耳元で囁いた。
男は一瞬顔をあげたようだが、すぐに俯き、そのまま仏像を彫り続ける。
「すみません、お客がきたと話したのですが……」
安麻呂は、大丈夫と首を振った。
なるほど、まったく記憶がないというか、俗世とは隔絶しているらしい。
「顔だけでも見ますか?」と聞師が言うので、「是非に」とお願いした。
八重女は、木片や木くずが散らばる足元を気にしながら、男に近づく。
頭を丸めて、いまや完全に僧侶だ。
丸まった背中は……弟成のようだが……顔を覗き込んで、確かに弟成だと確信した。
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