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第五章「生命燃えて」 前編
第5話
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倭軍大敗の報は、倭国に衝撃を与えた。
特に、嘗てないほどの大敗は、倭国の民の間に、百済支援を押し進めた政府への怒りと、追撃の機会を狙う唐・新羅への恐怖心を起こさせた。
飛鳥の群臣の肩にも、半島での軍事行動の失敗と、これにより失った半島経営権、それに大国唐との関係の悪化の三重苦が重く圧し掛かっていた。
そして彼らの間からは、百済支援の全面指揮を執った中大兄と百済支援に積極的であった蘇我赤兄臣、加えて、曲りなりにも百済支援を認めた中臣鎌子の三人に対する責任追及の声が上がった。
これに対して鎌子と赤兄の二人の反応は早く、直ちに戦後処理へと取り掛かったのだが、百済支援の責任者であるはずの中大兄は、我れ関せずの態度を取り続けた。
事態を重く見た間人大王は、中大兄を大殿に呼び出し、速やかな戦後処理を行うよう、再三に渡り通告するのであるが、
「今回の作戦は、同盟国である百済との関係強化とともに、半島への影響力の拡大と唐・三韓・本朝における我が国の地位向上という二つの重要な外交問題を転換させる絶好の機会でした。しかし、百済の軍事行動が失敗し、我が国が半島経営権を失い、唐との外交が緊張化したのは、全て現場の将軍たちの戦術が悪かったからです。責任は、全て現場の指揮官たちにあります」
と、取り付く島もなかった。
「それは、責任転換ですか?」
間人大王は、総責任者たる中大兄が、全ての責任を現場指揮官たちに押し付けることに対して、不快感を抱いた。
「いえ、戦略上の失敗はありません。失敗したのは、戦術上の問題です。現に、第一陣の安曇大将軍は、責任を取って戦場で自尽しております」
安曇比羅夫連が戦場で命を落としたという報告は受けているが、彼が自尽したという話は聞いていない。
「しかし、あなたは百済援軍の総責任者なのですよ。現場の将軍たちにだけ責任をとらせて、自分だけが知らん顔という話はないでしょう」
「私に、百済支援の指揮官としての責任があるのなら、大王にも百済支援と、さらに増援を認めた責任があるはずですが」
確かに、中大兄の言うとおりである。
間人大王には、百済支援と増援を許可した責任があった。
第一陣だけでなく、救助に赴いた第二陣まで、その大半を失うことになろうとは………………これが、彼女の心を苦しめていた。
「それは分かっています。ですから、私も今回のことについては責任を感じているのです」
「大王、責任を感じることは誰にでもできることです。しかし、責任をとるのは最高責任者にしかできません。そのことをお忘れなく」
中大兄はそう言うと席を立ち、睨みつける間人大王を残して、大殿を後にした。
中大兄にとって間人大王は、最早可愛い妹でも、愛しい女性でもない ―― 明らかに彼の敵である ―― 可愛さ余って、憎さ百倍である。
特に、嘗てないほどの大敗は、倭国の民の間に、百済支援を押し進めた政府への怒りと、追撃の機会を狙う唐・新羅への恐怖心を起こさせた。
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事態を重く見た間人大王は、中大兄を大殿に呼び出し、速やかな戦後処理を行うよう、再三に渡り通告するのであるが、
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と、取り付く島もなかった。
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間人大王は、総責任者たる中大兄が、全ての責任を現場指揮官たちに押し付けることに対して、不快感を抱いた。
「いえ、戦略上の失敗はありません。失敗したのは、戦術上の問題です。現に、第一陣の安曇大将軍は、責任を取って戦場で自尽しております」
安曇比羅夫連が戦場で命を落としたという報告は受けているが、彼が自尽したという話は聞いていない。
「しかし、あなたは百済援軍の総責任者なのですよ。現場の将軍たちにだけ責任をとらせて、自分だけが知らん顔という話はないでしょう」
「私に、百済支援の指揮官としての責任があるのなら、大王にも百済支援と、さらに増援を認めた責任があるはずですが」
確かに、中大兄の言うとおりである。
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「それは分かっています。ですから、私も今回のことについては責任を感じているのです」
「大王、責任を感じることは誰にでもできることです。しかし、責任をとるのは最高責任者にしかできません。そのことをお忘れなく」
中大兄はそう言うと席を立ち、睨みつける間人大王を残して、大殿を後にした。
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