法隆寺燃ゆ

hiro75

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第四章「白村江は朱に染まる」 中編

第19話

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 百済復興の旗頭だった鬼室福信と、百済復興の象徴だった豊璋王を失ったいま、百済と倭軍の将兵には、これ以上周留城に立て籠もる意味はなかった。

 百済の旧臣と倭軍の将軍が話し合った結果、百済の復興を諦め、百済の民を倭国に亡命させることとなった。

 安曇比羅夫は、新羅の南に駐屯している第二陣宛に、百済民の亡命のために救援を求める趣旨の書状を送った。

 数日後、第二陣から八月二十七日早朝に、白村江の唐軍を奇襲して活路を開く趣旨の書状が送られて来た。

 それを受け比羅夫は、周留城からの撤退を二十七日と決めた。

 ―― 八月二十七日

 まだ日が明け切らぬなか、周留城からの全面撤退が始まる。

 闇夜に、軍船を漕ぎ出す。

 軍船は、川の流れに乗って、風を切って進んでゆく。

 朴市秦田来津は、その風をまともに受けていた。

 彼の船は、全軍の先鋒である。

 船の横には、狭井檳榔の船が並走していた。

 これは、先の責任を取って、彼らが先鋒を務めると言い出したのだ。

 川の流れゆく音が、田来津の耳を打つ。

「田来津様、夜が明けていきます」

 高尾深草は、後ろを振り返る。

 東の空が、白んでゆく。

 田来津の鼻に、潮風が入り込む ―― 風が変わった。

「風が変わったな、間もなく河口だ」

「はい、第二陣の奇襲も、もう始まっているはずですが……」

 田来津は、前方をじっと見詰める。

 深草の言うとおり、奇襲が始まっている時刻だ。

 ………………だが、おかしい?

       なぜだ?

       なぜ音が聞こえないのだ?

 彼は目を閉じ、耳を澄ます。

 何も聞こえない。

 ただ、川の流れる音だけだ。

「おかしいな?」

「はい、戦の音が全く聞こえません」

 間もなく河口だ。

 朝日が昇る。

「見えました、船です!」

 深草は、前方を指差した。

 確かに、一艘の船が浮いている。

「しかし、あれは……」

「違います! あれは唐の軍船です! しかも、あの数は………………」

「第二陣の奇襲は、間に合わなかったのか!」

 この時、第二陣は風に阻まれ、白村江への到着が遅れていたのだ。

「安曇大将軍、如何いたしますか? このまま中央突破いたしますか?」

 白村江を埋め尽くす唐船を見て、安曇比羅夫は奥歯を噛みしめた。

「馬鹿者! 中央突破の陣形ではないわ! 一度周留まで戻り、態勢を立て直すぞ! 狭井将軍と秦将軍に殿を務めさせろ。撤退だ!」

 大船から、撤退の命令が出た。

「田来津様、撤退命令です!」

 田来津は、大船を見る。

「分かった。深草、殿を務めるぞ!」

「はっ!」

 檳榔と田来津の指揮する数隻の船を除いて、全ての軍船が一斉に回頭を始めた。

 唐軍側も、先鋒の数隻が追撃を始める。

 田来津と檳榔の船が、唐船と倭船の間に入った。

 この後、倭軍と唐軍の間で小競り合いがあったが、双方とも大した被害を出すことなく退いた。
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