法隆寺燃ゆ

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第三章「皇女たちの憂鬱」 中編

第23話

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 月夜の湯屋には、讃良皇女や十市皇女、鏡姫王、額田姫王たちが、既に湯船に浸かっていた。

「おや、大田は如何したの?」

「お姉様は、大伯皇女おおくのひめみこにお乳をあげているの。だから、後で来ますって。それより、お祖母様、ここに入って」

 讃良皇女は、十市皇女との間にひとり分入れる空間を作った。

 宝大王は、采女に手を取られながら湯船に浸かった。

 中大兄の娘で、大海人皇子の妻である大田皇女は、一月八日に大伯海(岡山県沿岸)で皇女を出産していた。

 この子を、出生地に因み大伯皇女と名付けた。

「あら、大田姉様は、ご自分でお乳をあげていらっしゃるのですか?」

 十市皇女は、讃良皇女に訊いた。

「ええ、できるだけご自分で育てたいそうよ、初めての子だから。ところで、湯加減は如何、お祖母様?」

「ええ、本当に良い湯ですよ。これなら、少しは気が晴れそうよ」

「あら、どこか御加減が悪いのですか?」

 鏡姫王が心配した顔を向けた。

「いえね、もう年なのですよ。最近は、何だかぼうっとすることが多くてね」

 違う、意識が薄らぐことが数回あった。

「長い間、船に揺られたのでお疲れになったのですよ。湯に浸かれば、疲れも飛びますわ」

 額田姫王も、心配して言った。

「そうね。本当に、良い湯だわ。そうだ、額田、何か詠っておくれ。そう、元気が出そうな歌がいいわね」

「元気が出そうな歌ですか? それでは……」



  熟田津に 船乗りせむと 月待てば

    潮もかなひぬ 今は漕ぐ出でな

  (熟田津で、船に乗って出発しようと月を待っていると、

   月も出て、潮も良い具合になってきました、

   さあ、いまこそ漕ぎ出ましょう)

  (『萬葉集』巻第一)



「今は漕ぐ出でなとは、勇ましいわね。何だか元気が出そうだわ」

「ありがとうございます」

「お祖母様、お背中、お流ししますわ。十市ちゃん、手伝って」

「おやおや、ありがとうね」

 宝大王は、讃良皇女と十市皇女に手を取られ、湯船をでた。

「ちょっと心配だわ、お年もお年だし。最近は、余り顔色も良くないようだし」

 鏡姫王は、三人の背中を見つめながら言った。

「そうね、大王のお仕事は激務だし。間人様のご様子も心配でしょうし」

 額田姫王も、三人の様子を湯気の間から伺う。

「間人様は?」

「お部屋に籠もりきりだそうです」

「そう、間人様も、湯に浸かれば少しは心が晴れるかも知れないのにね」

 湯屋は、讃良皇女と十市皇女のはしゃぎ声が響き渡った。
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