法隆寺燃ゆ

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第三章「皇女たちの憂鬱」 前編

第18話

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 大化五(六四九)年三月二十四日夜半、小墾田宮の宝皇女の下をひとりの男が訪れた。

 蘇我倉麻呂の長男興志こごしである。

「夜分に恐れ入ります。火急のお願いゆえ、ときを弁えず参上いたしました。お許し下さい」

 興志は平伏している。

 宝皇女は、肌着の上に着物を羽織った姿で、興志の前に出た。

「何事ですか、火急な願いとは?」

「はっ、恐れながら……、我が蘇我倉家が謀反の罪を着せられました」

「謀反? 何故ですか?」

 話はこうだ。

 興志の叔父 ―― 蘇我日向臣そがのひむかのおみが、中大兄に蘇我倉麻呂の中大兄殺害計画を打ち明け、中大兄がその言を信じて、軽大王に上申したのである。

 軽大王は、直ちに大伴狛連おおとものこまのむらじ三國麻呂公みくにのまろのきみ穂積嚙臣ほづみのいくのおみを遣って、真偽を問わせた。

 麻呂はこの使者に、軽大王に直に上申すると答えるが、軽大王はこの答えに不服で、再度使者を送る。

 だが、麻呂の答えは同じであった。

 すると、軽大王は兵を遣わし、これに驚いた麻呂が法師ほうし赤猪あかいの二人の息子を連れて、興志が造営していた大和国の山田寺まで逃げて来たのである。

 麻呂としては、蘇我本家を裏切ってまで軽大王につき、新政府の重鎮となった自分が襲われるとは考えもしていなかったのだろう。

 軽大王の兵を前にして山田にまで逃げ帰ったのが、その良い証拠だ。

 また新政府は、二度の遣いで軍を発したのだから、明らかに初めから蘇我潰しの意図があったことが伺える。

 もちろん蘇我日向の言は、新政府の捏造である。

 が、これほど明確な蘇我征伐をされても、麻呂の態度は煮え切らなかった。

 興志の挙兵の進言にも、首を立てに振らなかった。

 麻呂の考えは、軽大王の姉であり、先の大王である宝皇女に仲裁に入ってもらうことだ。

 興志は、その使者として小墾田宮を訪れたのである。

「よく分かりました。武蔵臣(日向)の言は偽りで、山田大臣には謀反の心は一切ないというのですね」

「御意に」

「しかし私は、自身の不徳の致すところで大王を降りた身、現大王にものを言える立場ではありません。それに、いまの軽皇子は私の言うことは聞かないでしょう」

「そこを何とぞ、お力添えを。でなければ、最終手段に打って出なければなりません」

「ほう、最終手段とは?」

 興志は、それまで伏していた顔を上げ、宝皇女を見た。

「宝様を奉じ、挙兵することです」

「私を? それは……、山田大臣の考えか?」

「いえ……、私の考えです」

「で……、あろうな。山田大臣なら、戦さは避けるであろう」、宝皇女はしばし考えたあと、「分かりました。大王には私からも話しますが、あまり期待せずに。山田大臣にも速やかに難波に戻り、直接大王に上申するように伝えなさい」

 興志は、畏まって帰っていた。

 宝皇女は、早速、軽大王の下に遣いを送ったが、返事はなかった。

 三月二十五日、蘇我倉麻呂・興志・法師・赤猪及びその妻子は、山田寺で自ら首を括って死んだ。

 翌二十六日、穂積嚙は党類を捕縛、その夕刻には木麻呂臣きのまろのおみ・蘇我日向・穂積嚙が寺を囲み、物部二田塩造もののべのふたつのしおのみやつこに死んだ麻呂の首を切らせた。

 死者の首を切らせるのだから、それは罪人という扱いより、恨みに近いものがある。

 因みに、木麻呂は先の国司の勤務査定で罪人の咎を受けた紀麻利耆拖本人か、あるいは関係者で、穂積嚙は穂積咋その人である。

 もしかしたら、国司の勤務査定の責任者のひとりであった麻呂に、恨みを持っていたのかもしれない。

 三十日、麻呂に連座して田口筑紫臣たぐちのつくしのおみ耳梨道徳みみなしのどうとこ高田醜雄たかたのしこお額田部湯坐連ぬかたべのゆえのむらじ秦吾寺はたのあてらら十四人が斬首、九人が絞首、十五人が流刑となった。

 ここに、蘇我一族は表向き中央政界から完全に一掃される。

 また、蘇我倉家の資財は、麻呂の娘婿の中大兄が全て相続した。

 蘇我倉家の滅亡に加担した日向は、口封じのために筑紫大宰府帥おおみこともちのかみとして左遷させられる。

 宝皇女は思った ―― これでまた、蘇我の恨みを背負ったと………………

 四月二十日、空席となった大臣の席を、巨勢徳太と大伴長徳が占める。

 翌(六五〇)年二月九日、穴戸国あなとのくに(山口県西部一帯)国司草壁醜御經連くさかべのしこふのむらじが、白雉を献上した。

 改新政府は、これを瑞祥として天下に知らしめるため、十五日に大々的な行事を執り行い、大赦とともに年号を白雉はくちと改める。

 しかし、この白雉騒動も、新政府によって演出されたものであった。

 改新政府は、蘇我氏への禊と新政府が神によって承認を受けたという、王権の正当性が欲しかったのだ。

 ―― まさに茶番である。

 しかし、ここに蘇我氏を葬り去るという一連の行動は終結する。
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