法隆寺燃ゆ

hiro75

文字の大きさ
上 下
142 / 378
第三章「皇女たちの憂鬱」 前編

第17話

しおりを挟む
 大化二(六四六)年三月二日、東国に派遣されていた国司を集め、その勤務査定が行われた。

 この査定により、八人中二人に違反が見つかった。

 しかし、この査定に異議が申し立てられ、再度査定をした結果、六人に違反が見つかるという厳しい結果が出た。

 罪状は、百姓や国造等の馬・武器などの略取や職務の怠慢である。

 だが、彼らは大赦によってお咎めなしとなる。

 三月二十日、中大兄は、所有していた入部いりべ五百二十四口と屯倉百八十一箇所を軽大王に献上した。

 これは、改新の詔を皇族自らが示し、公地公民の制を促進させようとしたのである。

 三月二十二日、薄葬令と旧俗の廃止の詔が下った。

 薄葬令は、それまでの大げさ過ぎる葬儀・墓を取り止め、身分に合わせて簡素化することを定めた詔で、旧俗の廃止は当時の婚姻や宗教的習俗を改めるよう定めた詔である。

 八月十四日、臣・連等の持つ品部を廃止する詔が出される。

 併せて、旧官職を廃止し、新たに百官を設置する詔と国司派遣の詔が発される。

 品部を廃止し、国司を再度派遣したのには、やはり公地公民制を重視した結果であろう。

 年が改まって、大化三(六四七)年四月二十六日、再度、品部廃止の詔が出される。

 何度も同じような詔が発せられるが、公地公民の制があまり進展していなかった裏返しである。

 同じ年、それまでの冠位十二階の制度が、冠位十三階の制度に改められた。

 冠位十二階は、徳・仁・礼・信・義・智を大小に分けたものだが、冠位十三階は、織・繡・紫・錦・青・黒の大小と新たに下級官僚の建武冠が設けられた。

 だが、この冠位十三階は、大化五(六四九)年二月に、冠位十九階制度に改められる。

 冠位十九階は、織・繡・紫・花上・花下・山上・山下・乙上・乙下の大小と下級冠の立身が置かれた。

 このように冠位が短期間で増えるということは、需要が増えた、即ち豪族が私民私地を手放す代わりに、中央政界での確固たる地位を要求した証拠とである。

 さて新政府の船出が順風満帆であったかと言うと、そう言う訳でもなかった。

 彼らには、消し去っておきたい人物が二人いた。

 それは、吉野に隠居した古人皇子ふるひとのみこと、最後の有力な蘇我氏となった蘇我倉麻呂である。

 古人皇子の母は蘇我蝦夷の妹法提郎女ほほてのいらつめである。

 このまま、野放しにしていては危ない。

 蘇我倉麻呂も新政府側についたとはいえ、蘇我の人間である。

 いつ、反旗を翻すか分からない。

 ―― 混乱の芽は、予め摘んでおいた方がよい。

 古人皇子に関しては、その機会は蘇我本家滅亡から三ヵ月後の九月十二日に訪れた。

 吉備笠垂臣 きびのかさのしだるのおみが、

「古人皇子、謀反あり」

 と、中大兄に上申したのである。

 当然これは、古人皇子を陥れための改新政府の策略であった。

 中大兄は直ちに兵を送り、古人皇子と息子たち及び蘇我田口川堀臣そがのたぐちのかわほりのおみを処刑した。

 彼の妻娘も、自ら彼の後を追った。

 今後禍根を残さぬように、古人皇子の一族、その関係者の血筋が全を抹殺しなければならない………………はずだったが、この混乱を生き延びた皇女がいる。

 古人皇子の娘 ―― 倭姫王やまとひめのおおきみである。

 彼女は、父に殉じて自ら命を絶つ寸前に、中大兄の使わした兵に捕縛され、難波の地へ送還されたのである。

 中大兄の前に引き出された彼女は、あまりにも美しかった………………それは、父の無実を信じる娘の一途さであり、死を覚悟した女の儚さであった。

 中大兄は、一目でかの女に心を奪われた。

 彼は、強引に彼女に迫った。

 彼女は争った。

 が、争えば、争うほど、男は女を征服しようとした。

 美しい花は………………無残にも踏み荒らされた。

 冷たい床の上に、彼女の涙が音を立てて零れた。

 ―― この瞬間から、彼女の復讐の人生が始まる………………

 中大兄は、倭姫王を正妻の座につけた。

 皇族の血筋を持ち、自分と近親である蘇我一族の血も引く。

 皇子の妻 ―― 今後大王を狙うなら、大后としても申し分ない身分である。

 中大兄は、彼女を求め続けた。

 彼女の美しさと性的な魅力ももちろんあったが、何より子どもを作ることが彼の目的でもあった。

 しかし、二人の間には子供はできなかった。

 できなかったのではない。

 作れなかったと言った方が良いだろう。

 彼女は、自ら薬を飲んで、子どもを作れない体にしていたのだ。

 ―― 中大兄の血筋を絶やすこと、これが父を無実の死に貶め、彼女自身を汚した男への復讐であった。

 そんなことも知らずに、中大兄は彼女を求め続けた。

 そして彼女は、中大兄が絶頂に至る瞬間の顔を見て………………心の中で嗤うのであった。

 しかし、流石に五年近く子供ができないと、男も訝るものである。

「どうして、お前には子供ができないのだろうな?」

 中大兄の冷たい視線に、倭姫王は一瞬凍りついたが、

「申し訳ございません。私が至らないばかりに」

 と、涙を零した。

「いや、悪かった、子どもは天からの授かりものだ。そのうちできるだろう」

 中大兄は、彼女の涙に絆されたのか、そう言うと、彼女を寝所に誘い入れた。

 倭姫王は、これを見てまた嗤うのであった。

「倭姫王様、失礼致します」

 中大兄がもう少しでと言うところで、邪魔が入った。

「何事ですか?」

「中大兄様はお休みでしょうか?」

「なんだ」

 中大兄は、倭姫王を抱いたまま訊いた。

「はい、ただいま、中大兄様のお屋敷から火急の知らせがございまして、大鳥大臣様が御逝去遊ばされたとのことです」

「大鳥大臣が?」

「はい」

「分かった」

 中大兄は、再び行為に集中した。


「あの……」

 それをまた、倭姫王の侍女が邪魔した。

「何だ?」

「使いの者は、如何致しましょうか?」

「朝には帰ると伝えろ!」

 中大兄の大声に驚いたのか、侍女は駆け出すようにして部屋を後にした。

「宜しいのですか、すぐにお屋敷にお戻りにならなくとも?」

 倭姫王は、未だ自分の上に居座る男に訊いた。

「構わん、明日にでも大鳥の屋敷に出向けば十分だ」

 中大兄はそう言うと、再び行為に耽り出した。

 その甲斐のない、己の快楽を満たすだけの行為に。

 倭姫王はその間中、こう思うのだった ―― あなたに跡継ぎはできませんわ、あなたは皇子で苦労なさるのです。

 大化五年(六四九)年三月十七日、改新政府の重鎮であった阿倍内麻呂がこの世を去る。

 そして、彼の死を切っ掛けに蘇我家への最後の追撃が始まる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

白い皇女は暁にたたずむ

東郷しのぶ
歴史・時代
 7世紀の日本。飛鳥時代。斎王として、伊勢神宮に仕える大伯皇女。彼女のもとへ、飛鳥の都より弟の大津皇子が訪れる。  母は亡く、父も重病となった姉弟2人の運命は―― ※「小説家になろう」様など、他サイトにも投稿しています。

大兇の妻

hiro75
歴史・時代
 宇音美大郎女のもとに急な知らせが入る ―― 夫である蘇我入鹿が亡くなったという。  それが、『女王への反逆』の罪で誅殺されたと聞き、大郎女は屋敷を飛び出し、夫の屋敷へと駆け付けるのだが………………  ―― 645年、古代史上の大悪人である蘇我入鹿が、中大兄皇子と中臣鎌足によって誅殺され、大化改新の先駆けとなった。  だが、入鹿は本当に大悪人だったのか?  これは、敗れた者と、その家族の物語である………………

夢のまた夢~豊臣秀吉回顧録~

恩地玖
歴史・時代
位人臣を極めた豊臣秀吉も病には勝てず、只々豊臣家の行く末を案じるばかりだった。 一体、これまで成してきたことは何だったのか。 医師、施薬院との対話を通じて、己の人生を振り返る豊臣秀吉がそこにいた。

【完結】女神は推考する

仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。 直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。 強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。 まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。 今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。 これは、大王となる私の守る為の物語。 額田部姫(ヌカタベヒメ) 主人公。母が蘇我一族。皇女。 穴穂部皇子(アナホベノミコ) 主人公の従弟。 他田皇子(オサダノオオジ) 皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。 広姫(ヒロヒメ) 他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。 彦人皇子(ヒコヒトノミコ) 他田大王と広姫の嫡子。 大兄皇子(オオエノミコ) 主人公の同母兄。 厩戸皇子(ウマヤドノミコ) 大兄皇子の嫡子。主人公の甥。 ※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。 ※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。 ※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。) ※史実や事実と異なる表現があります。 ※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。  

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

処理中です...