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第三章「皇女たちの憂鬱」 前編
第16話
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大化二(六四六)年一月一日に発せられた改新の詔は、四条の主文と副文の構成になっている。
第一条主文は、
『むかしの天皇等が決めた子代の民・屯倉、また臣・連・伴造・國造・村首の所有する部曲の民・田庄を廃止し、食封を大夫以上に、夫々に相応の量を与える。下は、布帛を官人・百姓に、夫々に相応の量を与える』
と定めた。
これは、人民・田畑の個人所有を禁止し、代わりにそれ相応の人民・田畑を朝廷から下賜するという、いわゆる公地公民の制である。
第一条の副文には、
『大夫は、民を治めるが仕事だ。良い政治を尽くせば、民が頼りにするだろ。だから、其の報酬が多いのは、民のためだ』
と、群臣の報酬が多いのは、良い政治をして民を幸せにするためだと添えている。
第二条の主文は以下の通りである。
『初めて京師を設置し、畿内国の国司・郡司・關塞・斥候・防人・驛馬・傳馬を置く。また、鈴契を造り、山河を定める』
と ―― 京の設置と地方行政・軍事・交通制度の制定である。
副文はそれらについて、さらに詳しく記している。
京については「坊ごとに長一人を置き、四の坊に令一人を置いて、戸口を調査し、犯罪無きように監視せよ。令には、坊内から廉直剛毅にして、仕事に堪える者をあてよ。里坊の長には、里坊の百姓から清冷強健な者をあてよ。若し、適任者がいなければ、隣の里坊から選ぶことを許す」としている。
畿内に関しては、「東は名墾の横河より以西、南は紀伊の兄山より以北、西は赤石の櫛淵より以東、北は近江の狭々波の合坂山より以南」と定められた。
現在の奈良県・大阪府全域と京都府・兵庫県の一部がその領域に入る。
そして畿内の郡は、「四十里で大郡、三十里から四里を中郡、三里を小郡」と定められ、その郡司には、「国造から清廉で仕事に堪える者」を大領(長官)・少領(次官)、「剛毅で聡明な者で書算の巧みな者」を主政(三等官)・主帳(四等官)にと定められた。
また、驛馬・傳馬の給付は、「鈴・傳符の剋数」により定められ、關所には「鈴契」が置かれ、「長官」または「次官」がこれを管理するように定められた。
「鈴契」とは、驛馬・傳馬を使用するための鈴と關所を通過するための木符で、これらは軍事・反乱に使用されるために、厳しく管理された。
第三条の主文は『戸籍・計帳・班田収受の法』の制定である。
戸籍は、田税を徴収するための台帳で、計帳は田税以外の税を徴収するための台帳となるが、副文にはその説明はない。
替わりに、「五十戸で里とし、里ごとに長一人」を置き、里長は「戸口の調査し、農業・養蚕を実施させて、罪を取り締まり、賦役を促すように」と、戸籍・計帳の作成を促進するための里長の任務に紙面が割かれている。
班田収受の法とは、政府の収入源を安定させるため、全国民に男女・良賤・年齢差で田を振り分け、一定量を徴収するというものである。
その徴収量は、田を「長さ三十歩、広さ十二歩を段とし、十段を町」とし、「段毎に租稲二束二把、町毎に租稲二十二束」と定められた。
「二束二把」は、一段(千百五十二平米)の収穫量の約三パーセントにあたる。
第四条の主文は『旧賦役を廃止し、田の調を行う』ことを定めた。
「田の調」とは、田の面積に対して課する田税以外の税である。
副文には、
『絹・絁・糸・綿の中から、地方の特産物で納め、田一町につき絹一丈、四町で疋、長さ四丈・広さ二尺半を。絁二丈、二町で疋、長さ・広さは絹と同じものを。布四丈で長さ・広さは絹・絁と同じくし、一町で一端を取れ。また、別に戸毎に貲布一丈二尺の調を取れ』
とある。
その他、調の付加税として「塩・贄」があった。
また、「官馬」として『中馬は百戸毎、良馬は二百戸毎に一頭』の拠出が義務付けられた。
馬が出せない場合は、『馬一頭に代わり、一戸布一丈二尺』が義務付けられる。
兵力の拠出は『三十戸毎に一人』が『五十戸毎に一人』に改められたが、その武器及び食料(一戸庸布一丈二尺、庸米五斗)は全て負担させられた。
副文の最後は、采女の派出が規定された。
采女の条件としては、『郡の少領(次官)以上の姉妹・娘で容姿端麗な者』が選ばれた。
これも、食料は自費で、百戸を以ってその費用に充てられた。
………………と、これが改新の詔であるが、新政府は旧政府との違いを示そうと、細々と決め事を書き連ねた。
が、宝皇女は、この文章に見覚えがあった。
随分以前に、林大臣が奏上したものと殆ど違いはなかった。
新政府は蘇我氏から政権を奪ったが、そこに新しい時代を作るという確固たる意思はなく、単に蘇我潰しという一点だけで政権を奪取をしてしまったものだから、碌な政策も提示できず、結局のところ林大臣の作り上げた政策をまるで自分たちの手柄のように公表してしまったのだ。
それが宝皇女にして、『林大臣の案と何ら変わってない』と言わしめたのである。
「全く、つまらない世の中だよ。額田、気晴らしに歌でも詠ってくれないかい」
宝皇女は木簡を脇に置くと、額田姫王に歌を詠むように勧めた。
「はい、それでは……」
額田姫王は姿勢を整える。
橘が、風に揺れた。
第一条主文は、
『むかしの天皇等が決めた子代の民・屯倉、また臣・連・伴造・國造・村首の所有する部曲の民・田庄を廃止し、食封を大夫以上に、夫々に相応の量を与える。下は、布帛を官人・百姓に、夫々に相応の量を与える』
と定めた。
これは、人民・田畑の個人所有を禁止し、代わりにそれ相応の人民・田畑を朝廷から下賜するという、いわゆる公地公民の制である。
第一条の副文には、
『大夫は、民を治めるが仕事だ。良い政治を尽くせば、民が頼りにするだろ。だから、其の報酬が多いのは、民のためだ』
と、群臣の報酬が多いのは、良い政治をして民を幸せにするためだと添えている。
第二条の主文は以下の通りである。
『初めて京師を設置し、畿内国の国司・郡司・關塞・斥候・防人・驛馬・傳馬を置く。また、鈴契を造り、山河を定める』
と ―― 京の設置と地方行政・軍事・交通制度の制定である。
副文はそれらについて、さらに詳しく記している。
京については「坊ごとに長一人を置き、四の坊に令一人を置いて、戸口を調査し、犯罪無きように監視せよ。令には、坊内から廉直剛毅にして、仕事に堪える者をあてよ。里坊の長には、里坊の百姓から清冷強健な者をあてよ。若し、適任者がいなければ、隣の里坊から選ぶことを許す」としている。
畿内に関しては、「東は名墾の横河より以西、南は紀伊の兄山より以北、西は赤石の櫛淵より以東、北は近江の狭々波の合坂山より以南」と定められた。
現在の奈良県・大阪府全域と京都府・兵庫県の一部がその領域に入る。
そして畿内の郡は、「四十里で大郡、三十里から四里を中郡、三里を小郡」と定められ、その郡司には、「国造から清廉で仕事に堪える者」を大領(長官)・少領(次官)、「剛毅で聡明な者で書算の巧みな者」を主政(三等官)・主帳(四等官)にと定められた。
また、驛馬・傳馬の給付は、「鈴・傳符の剋数」により定められ、關所には「鈴契」が置かれ、「長官」または「次官」がこれを管理するように定められた。
「鈴契」とは、驛馬・傳馬を使用するための鈴と關所を通過するための木符で、これらは軍事・反乱に使用されるために、厳しく管理された。
第三条の主文は『戸籍・計帳・班田収受の法』の制定である。
戸籍は、田税を徴収するための台帳で、計帳は田税以外の税を徴収するための台帳となるが、副文にはその説明はない。
替わりに、「五十戸で里とし、里ごとに長一人」を置き、里長は「戸口の調査し、農業・養蚕を実施させて、罪を取り締まり、賦役を促すように」と、戸籍・計帳の作成を促進するための里長の任務に紙面が割かれている。
班田収受の法とは、政府の収入源を安定させるため、全国民に男女・良賤・年齢差で田を振り分け、一定量を徴収するというものである。
その徴収量は、田を「長さ三十歩、広さ十二歩を段とし、十段を町」とし、「段毎に租稲二束二把、町毎に租稲二十二束」と定められた。
「二束二把」は、一段(千百五十二平米)の収穫量の約三パーセントにあたる。
第四条の主文は『旧賦役を廃止し、田の調を行う』ことを定めた。
「田の調」とは、田の面積に対して課する田税以外の税である。
副文には、
『絹・絁・糸・綿の中から、地方の特産物で納め、田一町につき絹一丈、四町で疋、長さ四丈・広さ二尺半を。絁二丈、二町で疋、長さ・広さは絹と同じものを。布四丈で長さ・広さは絹・絁と同じくし、一町で一端を取れ。また、別に戸毎に貲布一丈二尺の調を取れ』
とある。
その他、調の付加税として「塩・贄」があった。
また、「官馬」として『中馬は百戸毎、良馬は二百戸毎に一頭』の拠出が義務付けられた。
馬が出せない場合は、『馬一頭に代わり、一戸布一丈二尺』が義務付けられる。
兵力の拠出は『三十戸毎に一人』が『五十戸毎に一人』に改められたが、その武器及び食料(一戸庸布一丈二尺、庸米五斗)は全て負担させられた。
副文の最後は、采女の派出が規定された。
采女の条件としては、『郡の少領(次官)以上の姉妹・娘で容姿端麗な者』が選ばれた。
これも、食料は自費で、百戸を以ってその費用に充てられた。
………………と、これが改新の詔であるが、新政府は旧政府との違いを示そうと、細々と決め事を書き連ねた。
が、宝皇女は、この文章に見覚えがあった。
随分以前に、林大臣が奏上したものと殆ど違いはなかった。
新政府は蘇我氏から政権を奪ったが、そこに新しい時代を作るという確固たる意思はなく、単に蘇我潰しという一点だけで政権を奪取をしてしまったものだから、碌な政策も提示できず、結局のところ林大臣の作り上げた政策をまるで自分たちの手柄のように公表してしまったのだ。
それが宝皇女にして、『林大臣の案と何ら変わってない』と言わしめたのである。
「全く、つまらない世の中だよ。額田、気晴らしに歌でも詠ってくれないかい」
宝皇女は木簡を脇に置くと、額田姫王に歌を詠むように勧めた。
「はい、それでは……」
額田姫王は姿勢を整える。
橘が、風に揺れた。
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