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第三章「皇女たちの憂鬱」 前編
第11話
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大后となったあとも、激動であった。
田村大王との間に、葛城皇子・間人皇女・大海人皇子の二男一女を儲けたが、それは彼女が彼のことを愛しているからではない。
田村大王との生活は、実に淡白であった。
彼の行為は半ば強引なところがあったが、彼女は意に介さなかった。
―― いまの私には感情はない………………
この人は、人形を抱いているのと同じなのだと………………
私の愛は、あの人のものだけだと………………
本当は、夜の関係を拒否したかった。
田村皇子が大王になるために、大后には皇女が必要なだけ。
ならば、人形 ―― 飾り物でいいはず。
夫婦生活までともにする必要はない。
だが、それでは大王との関係が悪くなる。
彼女が、己の身命を賭して好きでもない男の妻となったのは、ただひとえに愛する人のため ―― 彼が戻ってくるように、飛鳥に巨大な都を築くため。
さすがに、都を造るには大王の勅命が必要だ。
であれば、こちらのお願いを受け入れてもらうために、大王との関係は良くしておいたほうが良い。
彼の欲望を無視することもできない。
ただただ、感情を押し殺して人形になることで、彼女は良好な関係を保とうとした ―― その副産物として、三人の御子を儲けてしまったが………………
彼女は、夜だけなく、常によく大王を支えた。
大王が表の政事をすれば、大后が裏の政事 ―― すわなち神事を執り行わねばならない。
元来宝大后は、自然と触れ合うことが多かったお陰で、その摂理を感じることが人よりも長けていた。
その神がかった ―― 本人に言わせれば普通の事らしく、なぜこのようなことで人が畏怖するのか分からないが ―― 言動が、また田村大王の政権運営に重みをまし、徐々に表の政事にもなくてはならない存在となっていった。
はじめのうちは、大王とともに表に顔を出すだけであった。
そこで、皇族の中で誰が次の後継者と見られているのか、臣下の中で誰が力を持っているのか、誰が重要視され、誰の発言が良く聞き入れられるのか、そして誰が味方に付いてくれるのか、よくよく観察した。
とりわけ力が強く、政事の中心的な役割を担っているのが蘇我氏であり、その首領の豊浦大臣(蝦夷)に力があると、宝大后は見た。
ただ彼は、父の嶋大臣(馬子)ほどの実力はない ―― ともすれば、他の臣たちの意見に流されるところがある ―― その辺は充分注意したほうがいい。
が、味方にしておいて間違いない豪族である。
そして、彼よりも知識、政治、統率力も上だと思ったのが、彼の息子の林臣(入鹿)である。
父ほどの経験値はないが、その計り知れない知識と、ときに人を威圧するような鋭い眼光、そして思ったよりも実直な態度が、きっと自分の役に立つだろう。
この一族を敵に回して、わが志をなすことはできないと宝大后は確信した。
母 ―― 吉備姫王の血族であるという近親感もある。
宝大后は、田村大王が存命中に何度も飛鳥に巨大な都を築くようにそれとなく言い聞かせた。
ときとして政事の視点から都の重要性を説き、ときとしてご神の言葉として都の造営を伝えた。
表の政事に係わっていくたびに、正しく、美しい理想だけではどうにもならない、ときとして人を脅し、騙し、諫め、宥め、おだてるような手段をとらなければならない、薄汚い部分も学んでいかなければならなかった。
だが、それを拒んではならない。
でなければ、自分の本当の理想を、志を成し遂げることはできないのだから。
残念ながら、夫が大王のある間に都を築くことは出来なかったが。
が、田村大王が隠れたからといって、諦めるほど彼女は幼くはなかった。
儚さと悲しみに憧れる少女の心は、あのとき捨てたのだ。
己の悲劇に酔いしれる暇があるなら、己の夢のために一歩でも前に進む。
田村大王との間に、葛城皇子・間人皇女・大海人皇子の二男一女を儲けたが、それは彼女が彼のことを愛しているからではない。
田村大王との生活は、実に淡白であった。
彼の行為は半ば強引なところがあったが、彼女は意に介さなかった。
―― いまの私には感情はない………………
この人は、人形を抱いているのと同じなのだと………………
私の愛は、あの人のものだけだと………………
本当は、夜の関係を拒否したかった。
田村皇子が大王になるために、大后には皇女が必要なだけ。
ならば、人形 ―― 飾り物でいいはず。
夫婦生活までともにする必要はない。
だが、それでは大王との関係が悪くなる。
彼女が、己の身命を賭して好きでもない男の妻となったのは、ただひとえに愛する人のため ―― 彼が戻ってくるように、飛鳥に巨大な都を築くため。
さすがに、都を造るには大王の勅命が必要だ。
であれば、こちらのお願いを受け入れてもらうために、大王との関係は良くしておいたほうが良い。
彼の欲望を無視することもできない。
ただただ、感情を押し殺して人形になることで、彼女は良好な関係を保とうとした ―― その副産物として、三人の御子を儲けてしまったが………………
彼女は、夜だけなく、常によく大王を支えた。
大王が表の政事をすれば、大后が裏の政事 ―― すわなち神事を執り行わねばならない。
元来宝大后は、自然と触れ合うことが多かったお陰で、その摂理を感じることが人よりも長けていた。
その神がかった ―― 本人に言わせれば普通の事らしく、なぜこのようなことで人が畏怖するのか分からないが ―― 言動が、また田村大王の政権運営に重みをまし、徐々に表の政事にもなくてはならない存在となっていった。
はじめのうちは、大王とともに表に顔を出すだけであった。
そこで、皇族の中で誰が次の後継者と見られているのか、臣下の中で誰が力を持っているのか、誰が重要視され、誰の発言が良く聞き入れられるのか、そして誰が味方に付いてくれるのか、よくよく観察した。
とりわけ力が強く、政事の中心的な役割を担っているのが蘇我氏であり、その首領の豊浦大臣(蝦夷)に力があると、宝大后は見た。
ただ彼は、父の嶋大臣(馬子)ほどの実力はない ―― ともすれば、他の臣たちの意見に流されるところがある ―― その辺は充分注意したほうがいい。
が、味方にしておいて間違いない豪族である。
そして、彼よりも知識、政治、統率力も上だと思ったのが、彼の息子の林臣(入鹿)である。
父ほどの経験値はないが、その計り知れない知識と、ときに人を威圧するような鋭い眼光、そして思ったよりも実直な態度が、きっと自分の役に立つだろう。
この一族を敵に回して、わが志をなすことはできないと宝大后は確信した。
母 ―― 吉備姫王の血族であるという近親感もある。
宝大后は、田村大王が存命中に何度も飛鳥に巨大な都を築くようにそれとなく言い聞かせた。
ときとして政事の視点から都の重要性を説き、ときとしてご神の言葉として都の造営を伝えた。
表の政事に係わっていくたびに、正しく、美しい理想だけではどうにもならない、ときとして人を脅し、騙し、諫め、宥め、おだてるような手段をとらなければならない、薄汚い部分も学んでいかなければならなかった。
だが、それを拒んではならない。
でなければ、自分の本当の理想を、志を成し遂げることはできないのだから。
残念ながら、夫が大王のある間に都を築くことは出来なかったが。
が、田村大王が隠れたからといって、諦めるほど彼女は幼くはなかった。
儚さと悲しみに憧れる少女の心は、あのとき捨てたのだ。
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