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第二章「槻の木の下で」 中編
第16話
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宮門が開かれた。
靄も、いまはない。
しかし、空は厚い雲に覆われている。
蘇我入鹿は、宮門の前で跪き、四つん這いになって潜って行った。
中臣鎌子たちは、所定の位置についた。
大殿の床下は、人が屈んで歩けるぐらいの高さがある。
身を隠すにはもってこいだ。
入鹿は、大門の前まで来た。
「林大臣、ここで剣をお預かりいたします」
大門を守る舎人が言った。
「なぜです? いままで、そのようなことはなかったはずですが?」
「本日より、大門を潜る者は、武装を全て解くようにとの大王からのご命令です」
舎人が頭を下げる ―― その首筋は、汗で濡れている。
入鹿は、舎人の流れる汗を見たが、やがて、
「そうか……」
とだけ言って、剣を渡し、大門を潜って行った。
大殿の前には、既に軽皇子・安倍内麻呂・巨勢徳太・大伴長徳が左右に席を連ねていた。
蘇我倉麻呂は、大殿を正面に一人座している。
入鹿は、重臣一人一人に軽く挨拶をした後、最右翼の席に付いた。
鎌子にも、入鹿が席に付く姿がはっきりと見えた。
彼は唾を飲んだ。
やがて、床の軋む音がした ―― 宝大王が出座したようだ。
宝大王は、大殿の玉座に座した。
傍らには、古人大兄が座った。
入鹿の方からは、御簾が邪魔でその顔が見えない。
鎌子の叔父 ―― 中臣糠手子が、宝大王の御出座を告げた。
蘇我倉麻呂はそれを聞くと、前に進み出で、二礼し、上表文を読み始めた。
その瞬間、長徳は大門の舎人に目配せをした。
舎人たちは、静かに門を閉め始める。
入鹿は、それを見逃さなかった。
大殿の床下にも、蘇我倉麻呂の声は聞こえてくる。
それは、大きく、はっきりと。
蘇我倉麻呂は、上表文を読み進める。
空は、ますます雲が厚くなってゆく。
鎌子は、鼻で大きく息をした。
いまは、上表文も聞こえない。
周囲が、完全に止まってしまったような感覚だ。
いま、この世界で動いているのは私だけだ………………彼はそう思った。
鎌子は、もう一回、鼻で大きく息をした。
彼の耳には、血が脈を打って流れていった。
それは、だんだん早く、しかも大きくなっていく。
鎌子は、その音に重なるように、もう一つの血が流れていく音を聞いた。
――誰だ?
誰の心の音だ?
この世界で、私の他に生きている人間がいようとは………………鎌子は、弓矢を握り締めた。
その手は、汗で濡れている。
………………上表文は半分を過ぎていた。
しかし、誰も飛び出してこない。
蘇我倉麻呂は焦っていた。
約束が違うぞ?
如何いうことだ?
他の重臣たちも、気持ちは同じである。
そんな蘇我倉麻呂に、入鹿は訊いた。
「山田殿、未だ上奏の途中ですが、どこか気分でも悪いのですか?」
その目は鋭い。
「いえ、あの……、大王のお傍ですから、緊張いたしまして……」
蘇我倉麻呂は、自分の衣服で片方ずつ手の汗を拭った。
重臣たちも、手の汗を膝で拭っている。
蘇我倉麻呂は上奏を続けた、ゆっくりと………………
………………入鹿も、もう上表文を読む蘇我倉麻呂の声など耳に入らなかった。
彼の耳には、どこからともなく鼓動が聞こえてきた。
ゆっくりと、そして、だんだん早く………………
その鼓動が、やがて二つになった。
―― 私以外に、この世界で生きている人間がいようとは。
入鹿も、そう感じていた。
入鹿の鼓動が早くなった………………合わせるように鎌子の鼓動も早くなった
―― まるで、二つの鼓動が共鳴し合うかのように………………
靄も、いまはない。
しかし、空は厚い雲に覆われている。
蘇我入鹿は、宮門の前で跪き、四つん這いになって潜って行った。
中臣鎌子たちは、所定の位置についた。
大殿の床下は、人が屈んで歩けるぐらいの高さがある。
身を隠すにはもってこいだ。
入鹿は、大門の前まで来た。
「林大臣、ここで剣をお預かりいたします」
大門を守る舎人が言った。
「なぜです? いままで、そのようなことはなかったはずですが?」
「本日より、大門を潜る者は、武装を全て解くようにとの大王からのご命令です」
舎人が頭を下げる ―― その首筋は、汗で濡れている。
入鹿は、舎人の流れる汗を見たが、やがて、
「そうか……」
とだけ言って、剣を渡し、大門を潜って行った。
大殿の前には、既に軽皇子・安倍内麻呂・巨勢徳太・大伴長徳が左右に席を連ねていた。
蘇我倉麻呂は、大殿を正面に一人座している。
入鹿は、重臣一人一人に軽く挨拶をした後、最右翼の席に付いた。
鎌子にも、入鹿が席に付く姿がはっきりと見えた。
彼は唾を飲んだ。
やがて、床の軋む音がした ―― 宝大王が出座したようだ。
宝大王は、大殿の玉座に座した。
傍らには、古人大兄が座った。
入鹿の方からは、御簾が邪魔でその顔が見えない。
鎌子の叔父 ―― 中臣糠手子が、宝大王の御出座を告げた。
蘇我倉麻呂はそれを聞くと、前に進み出で、二礼し、上表文を読み始めた。
その瞬間、長徳は大門の舎人に目配せをした。
舎人たちは、静かに門を閉め始める。
入鹿は、それを見逃さなかった。
大殿の床下にも、蘇我倉麻呂の声は聞こえてくる。
それは、大きく、はっきりと。
蘇我倉麻呂は、上表文を読み進める。
空は、ますます雲が厚くなってゆく。
鎌子は、鼻で大きく息をした。
いまは、上表文も聞こえない。
周囲が、完全に止まってしまったような感覚だ。
いま、この世界で動いているのは私だけだ………………彼はそう思った。
鎌子は、もう一回、鼻で大きく息をした。
彼の耳には、血が脈を打って流れていった。
それは、だんだん早く、しかも大きくなっていく。
鎌子は、その音に重なるように、もう一つの血が流れていく音を聞いた。
――誰だ?
誰の心の音だ?
この世界で、私の他に生きている人間がいようとは………………鎌子は、弓矢を握り締めた。
その手は、汗で濡れている。
………………上表文は半分を過ぎていた。
しかし、誰も飛び出してこない。
蘇我倉麻呂は焦っていた。
約束が違うぞ?
如何いうことだ?
他の重臣たちも、気持ちは同じである。
そんな蘇我倉麻呂に、入鹿は訊いた。
「山田殿、未だ上奏の途中ですが、どこか気分でも悪いのですか?」
その目は鋭い。
「いえ、あの……、大王のお傍ですから、緊張いたしまして……」
蘇我倉麻呂は、自分の衣服で片方ずつ手の汗を拭った。
重臣たちも、手の汗を膝で拭っている。
蘇我倉麻呂は上奏を続けた、ゆっくりと………………
………………入鹿も、もう上表文を読む蘇我倉麻呂の声など耳に入らなかった。
彼の耳には、どこからともなく鼓動が聞こえてきた。
ゆっくりと、そして、だんだん早く………………
その鼓動が、やがて二つになった。
―― 私以外に、この世界で生きている人間がいようとは。
入鹿も、そう感じていた。
入鹿の鼓動が早くなった………………合わせるように鎌子の鼓動も早くなった
―― まるで、二つの鼓動が共鳴し合うかのように………………
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