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第二章「槻の木の下で」 前編
第19話(了)
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鎌子が飛鳥の地を踏んだのは、異母兄の中臣鹽屋枚夫から、大王の葬礼のために手伝いをせよとの書状を受けたからである。
そして、彼はこの飛鳥の地で、充実した日々を送っていた。
やはり飛鳥は良い。
政治・文化の中心地だけあって、いろいろな情報が飛び込んでくる。
何より、蘇我殿のもとへ通える。
鎌子は飛鳥に帰って来て以来、毎日のように蘇我入鹿のもとに足を運び、三嶋で習得した知識の整合に努めていた。
しかし、異母兄の枚夫は、これに不満があったようだ。
「鎌子、今日も林臣の屋敷へ行くのか?」
鎌子が玄関先で出かける用意をしていると、枚夫が話し掛けてきた。
「ええ、今日は、老子を読み解こうと約束しておりまして。兄上も、今日は大鳥殿の屋敷ですか?」
鎌子が、入鹿の屋敷に出入りしている間、枚夫は安倍内麻呂の屋敷に出入りしていた。
が、枚夫はそれには答えなかった。
「鎌子、林臣の屋敷に行くのは控えてくれないか」
突然の枚夫の言葉に、鎌子は驚いて振り返った。
「なぜですか?」
「なぜでもだ」
鎌子は不審に思った。
「それは、後継者問題と関係があるのですか?」
枚夫は、これにも答えない。
「噂は聞いています。大鳥殿や兄上をはじめとする重臣の方々が、山背大兄を廃し、大后を大王にしようとしていると。その中臣の息子が、山背大兄を推す蘇我殿の屋敷の通っては、体裁が悪いと言うことですか?」
鎌子は強く出た。
「分かっておるではないか。では、自重しろ」
その言い方に、かちんときた。
「できません。私と蘇我殿のことは、後継者問題とは一切関係はありません。我々は、学問を追及しているのです」
「学問? 本当にそうか? 噂では、林臣は豪族の力を弱め、大王の権力を強めるための研究をしているそうではないか。もしやお前も、そんな馬鹿げたことに付き合っているのではなかろうな」
「どこが馬鹿げたとこですか。蘇我殿は、真剣にこの国を憂いておいでなのです。そのための改革なのです」
「良いか、良く聞け、鎌子。この国は、古来より豪族が取り仕切ってきたのだ。大王家など、ただの飾りに過ぎん。それを大王の力を強め、我らの力を弱めようとは、神罰が下るぞ。この国は、我らのもの。我らが繁栄すれば、国も栄えるのだ」
「違います。この国は、誰のものでもありません。この国は、ここに住んでいる全ての人たちのものです」
鎌子は、枚夫に食って掛かる。
「お前、そんな幼稚な考えでいるのか? この国が全ての人間のものだと。笑わせるな。この国は、我ら豪族のものだ。豪族がこの国を切り開き。豪族が、この国を治めてきたのだ。民など、我らの奴婢に過ぎん」
「兄上!」
怒りは頂点に達していた。
「鎌子、お前は、父上の言葉を忘れたのか、この中臣家を盛り立てる、それが、我らの使命なのだぞ!」
鎌子は何も言わず、表に飛び出した。
………………飛鳥寺の近くで田の手入れをしていた人々の顔を思い出す
難波津の魚主の顔を思い出す。
一生懸命働く荷方たちの顔を思い出す
酒場のオヤジの顔を。
笑い騒ぐ男たちの顔を。
手を叩き拍子をとる女たちの顔を。
そして、鎌子の腕の中で眠る赤根売の顔を。
違う、皆必死になって生きているのだ。
彼らは奴婢じゃないのだ。
この国は、豪族のものじゃないのだ。
蘇我殿も俺も、彼らのために一生懸命勉強しているのだ。
―― 違う!
違うんだ!
鎌子は馬を駆けた。
駆けて、駆けて、駆け捲くった。
満点の星空の下を………………
大王の葬礼が終わり、三嶋に帰るまで、鎌子は枚夫と一言も喋らなかった。
枚夫も、さして話そうとはしなかった。
ただ、鎌子に命令を下した。
『叔父中臣國子の名代として、常陸国鹿島郡へ行くように』
と。
(第二章 前編 了)
そして、彼はこの飛鳥の地で、充実した日々を送っていた。
やはり飛鳥は良い。
政治・文化の中心地だけあって、いろいろな情報が飛び込んでくる。
何より、蘇我殿のもとへ通える。
鎌子は飛鳥に帰って来て以来、毎日のように蘇我入鹿のもとに足を運び、三嶋で習得した知識の整合に努めていた。
しかし、異母兄の枚夫は、これに不満があったようだ。
「鎌子、今日も林臣の屋敷へ行くのか?」
鎌子が玄関先で出かける用意をしていると、枚夫が話し掛けてきた。
「ええ、今日は、老子を読み解こうと約束しておりまして。兄上も、今日は大鳥殿の屋敷ですか?」
鎌子が、入鹿の屋敷に出入りしている間、枚夫は安倍内麻呂の屋敷に出入りしていた。
が、枚夫はそれには答えなかった。
「鎌子、林臣の屋敷に行くのは控えてくれないか」
突然の枚夫の言葉に、鎌子は驚いて振り返った。
「なぜですか?」
「なぜでもだ」
鎌子は不審に思った。
「それは、後継者問題と関係があるのですか?」
枚夫は、これにも答えない。
「噂は聞いています。大鳥殿や兄上をはじめとする重臣の方々が、山背大兄を廃し、大后を大王にしようとしていると。その中臣の息子が、山背大兄を推す蘇我殿の屋敷の通っては、体裁が悪いと言うことですか?」
鎌子は強く出た。
「分かっておるではないか。では、自重しろ」
その言い方に、かちんときた。
「できません。私と蘇我殿のことは、後継者問題とは一切関係はありません。我々は、学問を追及しているのです」
「学問? 本当にそうか? 噂では、林臣は豪族の力を弱め、大王の権力を強めるための研究をしているそうではないか。もしやお前も、そんな馬鹿げたことに付き合っているのではなかろうな」
「どこが馬鹿げたとこですか。蘇我殿は、真剣にこの国を憂いておいでなのです。そのための改革なのです」
「良いか、良く聞け、鎌子。この国は、古来より豪族が取り仕切ってきたのだ。大王家など、ただの飾りに過ぎん。それを大王の力を強め、我らの力を弱めようとは、神罰が下るぞ。この国は、我らのもの。我らが繁栄すれば、国も栄えるのだ」
「違います。この国は、誰のものでもありません。この国は、ここに住んでいる全ての人たちのものです」
鎌子は、枚夫に食って掛かる。
「お前、そんな幼稚な考えでいるのか? この国が全ての人間のものだと。笑わせるな。この国は、我ら豪族のものだ。豪族がこの国を切り開き。豪族が、この国を治めてきたのだ。民など、我らの奴婢に過ぎん」
「兄上!」
怒りは頂点に達していた。
「鎌子、お前は、父上の言葉を忘れたのか、この中臣家を盛り立てる、それが、我らの使命なのだぞ!」
鎌子は何も言わず、表に飛び出した。
………………飛鳥寺の近くで田の手入れをしていた人々の顔を思い出す
難波津の魚主の顔を思い出す。
一生懸命働く荷方たちの顔を思い出す
酒場のオヤジの顔を。
笑い騒ぐ男たちの顔を。
手を叩き拍子をとる女たちの顔を。
そして、鎌子の腕の中で眠る赤根売の顔を。
違う、皆必死になって生きているのだ。
彼らは奴婢じゃないのだ。
この国は、豪族のものじゃないのだ。
蘇我殿も俺も、彼らのために一生懸命勉強しているのだ。
―― 違う!
違うんだ!
鎌子は馬を駆けた。
駆けて、駆けて、駆け捲くった。
満点の星空の下を………………
大王の葬礼が終わり、三嶋に帰るまで、鎌子は枚夫と一言も喋らなかった。
枚夫も、さして話そうとはしなかった。
ただ、鎌子に命令を下した。
『叔父中臣國子の名代として、常陸国鹿島郡へ行くように』
と。
(第二章 前編 了)
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