法隆寺燃ゆ

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第一章「宿命の子どもたち」 前編

第23話(了)

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 ………………屋根の隙間から、日の光が降り注ぐ。

 弟成は、その光を見つめていた。

 それが、椿井の奴婢長屋の天井であることに気が付くのに、そんなに時間はかからなかった。

 彼は、いつもの寝床に寝かされていた。

 ―― なぜ、自分はここにいるのだろう?

 弟成は、不思議な気持ちだった。

 確か、斑鳩の奴婢長屋にいたはずだが………………

 自分の記憶を呼び起こそうとした ―― 黒万呂と一緒に、斑鳩の奴婢長屋に泊まりに行ったはずだ。

                    いやな気分で、あの塔を見たはずだ。

                    夜、眠れなくて、星空を見上げたはずだ。

 三成が、正しい道を教えてくれたはずだ。

 そして………………そのあとの記憶が、真っ赤な霧がかかったように霞んでいた。

「三成は、本当に残念なことをした」

 寝かされている弟成の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた ―― 三輪文屋だ。

 弟成は、未だにぼんやりとする頭を声の方に向けた。

 廣成や黒女、雪女の姿とともに、左腕を布切れで首から吊り下げた文屋の姿が見えた。

「弟成、気が付いたか?」

 彼の視線に気付いた文屋が駆け寄ってきた。

 廣成たちも周りに集まり、一頻り彼の無事を喜んだ。

 その中に、斑鳩宮で大きな柱を振り回していた男の姿はなかった。

「兄ちゃんは?」

 弟成は聞いた。

「三成か、三成はなあ………………」

 誰もが言葉に窮した。

「三成は……、いま、中宮の奴婢長屋におるんや。そやから、なんや………………」

 父は、嘘をついている。

 自分は、この目ではっきりとその光景を見たのだから………………

 三成の体から血が溢れ出るのを………………

 文屋は、言葉を探している廣成を遮った。

「弟成、三成はもうこの世にはおらん。三成はなあ、黄泉の国へと旅立ったのじゃ、分かるの?」

 廣成は俯いていた。

 黒女は目頭を押さえた。

 雪女はすでに泣いる。

「三成は、お前を命懸けで守った。命を懸けてじゃ。だから、お前は生きろ! 命を懸けて生き抜け! 三成の分も生き抜くのだ、いいか、弟成!」 

 本当のことを言ってくれた文屋の言葉に奇妙な安心感を得て、弟成は静かに目を閉じ、再び夢の中へと落ちていった。

 体のほうは、二日目には回復した。

 が、心の中には、まだ闇が巣を作っていた。

 二日も寝ていると、咽喉の渇きを覚える。

 幸いというか、奴婢長屋には誰もいない。

 水を飲むため長屋を抜け出し、水場へと急いだ。

 岩の間から、混々と清水が流れ出している。

 それを両手で受ける。

 冷たい。

 この水は、こんなに冷たかっただろうか?

 まるで、体中の血管にその水が流れ込んだようだ。

 彼は、両手に溜まった水を飲もうとした。

 しかし、飲めなかった。

 そこには、自分がいた ―― 水面に映る自分の顔があった。

 彼は、その顔をじっと見つめた。

 その顔は、三成のようにも見えた………………涙で崩れた。

「弟成、もう大丈夫なんか?」

 黒万呂の声だ。

「弟成? 大丈夫か?」

 返事もせず、まだ自分の手の中を見つめている。

 黒万呂は、弟成の顔を覗き込んだ。

「泣いてんの?」

 黒万呂がそう尋ねると、弟成は激しく顔を洗いだした。

 何度も、何度も。

「泣かへん。絶対に泣かへん。兄ちゃんと約束したんや。泣いたら道が見えんことなる。泣いたら足踏み外すって。そやから、絶対に泣かへん。絶対に泣かへんのや………………」

 弟成は、なおも顔を洗い続けた。

 黒万呂は、黙ってそれを見守っていた。

 水場から戻って来た二人は、門の近くで遊んでいる女の子を見つけた。

 弟成には、その女の子が誰だか分かった ―― 無事だったようだ。

 彼女も、こちらに気が付いたらしい。

 あの吸い込まれそうな目が、そこにある。

 彼女は、弟成に笑顔を見せ、手を振った。

 彼も、それにつられて手を振り返した。

「三嶋様、どちらですか?」

 門内から声がした。

 彼女は、もう一度弟成に笑顔を向けると、門の中に駆けて行った。

 黒万呂は、面食らいながら訊いた。 

「弟成、すごいやん。お前、あんな子と仲がええんか?」 

「いや、別に……」

 弟成は、そこにあった彼女の残像と桃の香りを追い続けた。

 それから二、三日して、女の子は山背大兄の一行とともに、椿井の離宮を降りて行った。

 その日、彼は枝木拾いの仕事に戻り、再び彼女と会うことはなかった。 

 (第一章 前編 了)
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