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最終話
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夏に入って、桑の実が熟した。
おすみは、金次に実を採らせて、くわ餅を作った。
金次は「美味い、美味い」と頬張った。
老人も、「今年の桑の実は馬鹿に甘い」と喜んで食べた。
おすみも口に運んだ。
ほんのりとした甘酸っぱさが口の中に広がり、それが妙に物悲しかった。
おすみの生活に変わりはない。
朝早くから水を汲み、飯を作って、桑田屋へ働きに出る。
桑田屋で、おかつのおしゃべりに耳を傾けながら、女中仕事をする。
夕方になって家路につき、晩飯を食って寝る。実に単調な一日である。
老人も、朝から畑に出て、休みなく働き、夜は草鞋を編む生活をしている。
変わったといえば、弥平が腰を下ろしていた場所に、金次の顔があるという点だろうか。
金次は、あれ以来性根を入れ替えて、朝早くから畑仕事に出ている。
まだまだ一人前とはいえないが、祖父に教わりながら一心に仕事をしている。
青白かった顔も、幾分日焼けをして男らしい顔になった。
さて、左吉と弥平が間違われた宿場荒しだが、
「知ってる、おすみさん、御城下で捕まったんですって。聞けば、女の二人組みだったそうよ」
と、おかつから聞いた。
―― 女の二人組みだって。左吉さんや弥平さんとは随分違うじゃないかい。全く、虎八や竜蔵もいい加減だね。
雀のおしゃべりを聞きながら、おすみは太い眉を寄せた。
その虎八一家と竜蔵一家だが、余程左吉と弥平の脅しが効いたようだ。
あの騒動があった翌月には、何処ともなく姿を消した。
事情を知らぬ宿場や村の者は、何が起こったのかと首を傾げていたが、「まあ、兎も角、これで強請りもたかりもなくなるから良かったわ」と、胸をなで下ろしていた。
犬目村は、久しぶりに穏やかな一年が過ぎ去った。
翌天保九年、再び桑の実が色付く季節がやってきた。
犬目村の生活は以前より随分良くなった。
犬目村だけでなく、郡内地方の村々の生活が良くなったようだ。
これは、新しく代官になった ―― 正しくは、郡内地方が韮山代官の管轄に入ったのであるが、その韮山代官である江川太郎左衛門のお陰だと、郡内地方の人々は、「世直し江川大明神」という幟旗を神社に立て、彼の徳政を称えた。
その韮山代官が、突然、おすみの家に訪れることになった。
「なぜ、こんな百姓の家に?」
老人は首を傾げて、話を持ってきた名主に訊いた。
「いや、さっぱり分からん」と、名主も首を傾げた、「村々の状況を見たいと仰せで、順繰りに回っていらっしゃるようだが、兎も角、そういうことなので、粗相のないようにな。それと、お代官様は、おすみさんのくわ餅が食べたいそうだ」
おすみは慌てた。
何ゆえ自分のくわ餅なのか?
くわ餅なら、他でもっと美味いものを食べさせてくれるだろう。
しかも、名指しとは………………
兎も角、おすみは作れるだけのくわ餅を拵えた。
当日、おすみと義父、そして金次は、桑の木の根元でへいつくばって韮山代官を迎えた。
馬の蹄の音と、数人の足音が聞こえきた。
近くで蹄が止まった。
おすみは鯱張った。
軽い足音が近づいてきた。
三人の前で止まった。
「ご老体、元気であったか? お言葉に甘えて寄らせてもらったぞ」
その声に聞き覚えがあった。
おすみは、上目遣いで見た。
思わず声を上げてしまった。
「左吉さん!」
陣笠の下に、ぎょろりとした大きな目が覗いている。
「無礼者!」と、お付きの者が叫んだ、「このお方は、韮山代官江川英竜様だぞ」
おすみたは、ぎょっと顔を強張らせ、地べたに額を擦り付けた。
―― まさか、まさか、あの左吉さんが、お代官様だったなんて………………
額から汗が噴き出た。
「よい、よい、わしは左吉じゃ、なあ、おすみさん」
と、独特な笑い声を上げながら家の中に入っていった。
―― いたんだ、本当に神様はいたんだ。江川大明神様が………………
顔を上げたおすみの額には、土埃がべっとりと付いていた。
英竜は、上がり框に腰掛けた。
老人と金次は、その傍らに神妙に腰を下ろした。
おすみは、大わらわでくわ餅の準備をした。
「あの時は、実に世話になったな」
「とんでもございません。私どもも、お代官様とはつゆ知らず、ご無礼をいたしました」
「いや、とんでもない」
刀売りに身を変えていたのは、大坂で起こった乱の首謀者(大塩平八郎)が甲斐に潜伏しているという噂を確かめるためと、郡内の村々の実情をきちんと見ておきたかったからだ、と英竜は語った。
「郡内を韮山代官に任せるというのを、お偉方からそれとなく聞いておったしな。騒動の原因がどこにあったのか、そして、今後わしが治めるときに、どのような点に気をつけるべきなのか、事前に調べておこうと思ったのじゃ」
英竜は、老人が差し出した白湯を美味そうに啜った。
「お陰で、よい見分になった。特に、ご老体に会えたことが、何よりも収穫であったぞ」
「とんでもございません。私など……」
「いや、あの時のご老体の言葉は、胸に沁み渡った。百姓即ち『生』、『生』即ち百姓。この言葉、この江川の胸に、いまも確りとあるぞ」
「お恥ずかしい限りでございます。お代官様に向って、あのような馬鹿な言葉を。お忘れください」
老人は、恐れ入るように頭を下げた。
「なんの、あの言葉があったからこそ、わしのいまの政があるのじゃ」
「とんでもない、お代官様は、『世直し江川大明神』と称えられております」
「いや、いや、これもご老体の言葉があったからじゃ。田畑を耕し、命を育む。まさに、『生』そのものの百姓があってこそじゃ。その百姓が、みんな幸せに暮らせる世の中を、上に立つわしらが作っていかねばならぬ。汗水垂らし、命を削って、必死で働いているそなたたちを守っていかねばならぬのじゃ。それが、わしの仕事じゃ」
英竜は、懐から風呂敷包を取り出した。
包を開けてみると、一足の草鞋が出てきた。
「ほれ、これは、あの時、ご老体がくれた草鞋じゃ。履かずに取ってあったのよ」
「そのようなもの、捨ててもらって結構でしたのに」
老人は、呆れたように言った。
「とんでもない、これには、百姓の命が入っておる。ご老体の命も入っておる。そう思うと、踏みつけるようなことはできなんだ」
「そのようなこと……」
「これは、我が家の家宝とさせてもらうよ」
と、丁寧に包んで、再び懐に仕舞った。
英竜は、傍らでがちがちになっている金次に目を向けた。
「金次、しっかり性根を入れ替えて、畑仕事に励んでおるか」
「へ、へい」
金次は、床に額を擦りつけた。
「ご老体や、おすみさんを泣かせるようなことはしておらぬか」
「め、滅相もございません」
声が上擦った。
「手を見せてみろ」
金次は、恐る恐る手を出した。
「うむ、いい手だ。百姓のいい手をしておる。命を育む手だ。金次、その手を大事にせいよ」
金次は、何度も何度も頭を下げた。
話が途切れたところで、おすみはくわ餅を出した。
「おお、これがおすみさんのくわ餅か、これを食べるのを楽しみにしておってな」
英竜は、相貌を崩した。
「弥九郎がな、いや、弥九郎というのは、ほれ、わしと一緒にいた弥平さんだよ」
弥平の名を聞いて、おすみの心がざわめき立った。
「弥平は、本当の名を斎藤弥九郎というのだが、いや、この男、実は江戸では凄腕の剣豪として知られておってな。道場である練兵館は、千葉周作の玄武館、桃井春蔵の士学館と並んで、江戸の三大道場に数えられほどだ」
なるほど、強いわけだとおすみは思った。
「そうそう、あいつ、おすみさんに、侍の魂を捨てたとか何とか申しておったじゃろう。あれは全部嘘じゃ。弥九郎のやつ、おすみさんに会ったら謝っておいてくれと言っておったぞ」
英竜は、苦笑いをした。
「で、その弥九郎が、ご老体のところに行くのなら、是非にとも、おすみさんのくわ餅を貰ってきてくれと言いよってな、そんなに美味いものかと、用意してもらったのじゃ」
英竜は、どれと一つ口に放り込んだ。
「うむ、これは美味い。この甘酸っぱさがなんともいえんな。なるほど、弥九郎が欲しがるわけだ」
と、次から次へと口の中に放り込んでいく。
「おう、そうじゃ、おすみさん、弥九郎にも頼まれたから、二つ、三つ、包んでくれんか」
むろん、そのつもりであった。
「そう言えば」と、英竜は老人の顔を見て言った、「こんどわしが、郡内のほうへ足を伸ばすといったら、弥九郎のやつ、いたく悔しがっておてな」
「ほう、それはまた……」
老人は首を傾げた。
「うむ、どうやらあやつ、この辺りに、気になる女でもいたようじゃ。あの堅物が惚れたぐらいじゃからな、どんな女か見てみたいものよ。のう、おすみさん」
英竜と目が合って、胸が波打った。
「いえ、そんな、あの……、あたし、お餅包みます」
しどろもどろになりながら、土間に飛び降りた。
「おっかぁ、くわ餅なら、ここにたんとあるずら」
金次の言葉どおり、英竜の前に山と積んである。
「何を赤くなってるんだ。熱でもあるんでねえか」
金次は首を傾げた。
それを見た英竜は、かかかっと乾いた笑い声を上げた。
老人も、笑みを零した。
おすみは、頬を熟しながら、くわ餅を丁寧に包んだ。くわ餅を待ち侘びる人の、片笑窪を思い出しながら。
澄み渡る夏の空に、桑の木が、さわさわと優しい音を奏でている。(了)
おすみは、金次に実を採らせて、くわ餅を作った。
金次は「美味い、美味い」と頬張った。
老人も、「今年の桑の実は馬鹿に甘い」と喜んで食べた。
おすみも口に運んだ。
ほんのりとした甘酸っぱさが口の中に広がり、それが妙に物悲しかった。
おすみの生活に変わりはない。
朝早くから水を汲み、飯を作って、桑田屋へ働きに出る。
桑田屋で、おかつのおしゃべりに耳を傾けながら、女中仕事をする。
夕方になって家路につき、晩飯を食って寝る。実に単調な一日である。
老人も、朝から畑に出て、休みなく働き、夜は草鞋を編む生活をしている。
変わったといえば、弥平が腰を下ろしていた場所に、金次の顔があるという点だろうか。
金次は、あれ以来性根を入れ替えて、朝早くから畑仕事に出ている。
まだまだ一人前とはいえないが、祖父に教わりながら一心に仕事をしている。
青白かった顔も、幾分日焼けをして男らしい顔になった。
さて、左吉と弥平が間違われた宿場荒しだが、
「知ってる、おすみさん、御城下で捕まったんですって。聞けば、女の二人組みだったそうよ」
と、おかつから聞いた。
―― 女の二人組みだって。左吉さんや弥平さんとは随分違うじゃないかい。全く、虎八や竜蔵もいい加減だね。
雀のおしゃべりを聞きながら、おすみは太い眉を寄せた。
その虎八一家と竜蔵一家だが、余程左吉と弥平の脅しが効いたようだ。
あの騒動があった翌月には、何処ともなく姿を消した。
事情を知らぬ宿場や村の者は、何が起こったのかと首を傾げていたが、「まあ、兎も角、これで強請りもたかりもなくなるから良かったわ」と、胸をなで下ろしていた。
犬目村は、久しぶりに穏やかな一年が過ぎ去った。
翌天保九年、再び桑の実が色付く季節がやってきた。
犬目村の生活は以前より随分良くなった。
犬目村だけでなく、郡内地方の村々の生活が良くなったようだ。
これは、新しく代官になった ―― 正しくは、郡内地方が韮山代官の管轄に入ったのであるが、その韮山代官である江川太郎左衛門のお陰だと、郡内地方の人々は、「世直し江川大明神」という幟旗を神社に立て、彼の徳政を称えた。
その韮山代官が、突然、おすみの家に訪れることになった。
「なぜ、こんな百姓の家に?」
老人は首を傾げて、話を持ってきた名主に訊いた。
「いや、さっぱり分からん」と、名主も首を傾げた、「村々の状況を見たいと仰せで、順繰りに回っていらっしゃるようだが、兎も角、そういうことなので、粗相のないようにな。それと、お代官様は、おすみさんのくわ餅が食べたいそうだ」
おすみは慌てた。
何ゆえ自分のくわ餅なのか?
くわ餅なら、他でもっと美味いものを食べさせてくれるだろう。
しかも、名指しとは………………
兎も角、おすみは作れるだけのくわ餅を拵えた。
当日、おすみと義父、そして金次は、桑の木の根元でへいつくばって韮山代官を迎えた。
馬の蹄の音と、数人の足音が聞こえきた。
近くで蹄が止まった。
おすみは鯱張った。
軽い足音が近づいてきた。
三人の前で止まった。
「ご老体、元気であったか? お言葉に甘えて寄らせてもらったぞ」
その声に聞き覚えがあった。
おすみは、上目遣いで見た。
思わず声を上げてしまった。
「左吉さん!」
陣笠の下に、ぎょろりとした大きな目が覗いている。
「無礼者!」と、お付きの者が叫んだ、「このお方は、韮山代官江川英竜様だぞ」
おすみたは、ぎょっと顔を強張らせ、地べたに額を擦り付けた。
―― まさか、まさか、あの左吉さんが、お代官様だったなんて………………
額から汗が噴き出た。
「よい、よい、わしは左吉じゃ、なあ、おすみさん」
と、独特な笑い声を上げながら家の中に入っていった。
―― いたんだ、本当に神様はいたんだ。江川大明神様が………………
顔を上げたおすみの額には、土埃がべっとりと付いていた。
英竜は、上がり框に腰掛けた。
老人と金次は、その傍らに神妙に腰を下ろした。
おすみは、大わらわでくわ餅の準備をした。
「あの時は、実に世話になったな」
「とんでもございません。私どもも、お代官様とはつゆ知らず、ご無礼をいたしました」
「いや、とんでもない」
刀売りに身を変えていたのは、大坂で起こった乱の首謀者(大塩平八郎)が甲斐に潜伏しているという噂を確かめるためと、郡内の村々の実情をきちんと見ておきたかったからだ、と英竜は語った。
「郡内を韮山代官に任せるというのを、お偉方からそれとなく聞いておったしな。騒動の原因がどこにあったのか、そして、今後わしが治めるときに、どのような点に気をつけるべきなのか、事前に調べておこうと思ったのじゃ」
英竜は、老人が差し出した白湯を美味そうに啜った。
「お陰で、よい見分になった。特に、ご老体に会えたことが、何よりも収穫であったぞ」
「とんでもございません。私など……」
「いや、あの時のご老体の言葉は、胸に沁み渡った。百姓即ち『生』、『生』即ち百姓。この言葉、この江川の胸に、いまも確りとあるぞ」
「お恥ずかしい限りでございます。お代官様に向って、あのような馬鹿な言葉を。お忘れください」
老人は、恐れ入るように頭を下げた。
「なんの、あの言葉があったからこそ、わしのいまの政があるのじゃ」
「とんでもない、お代官様は、『世直し江川大明神』と称えられております」
「いや、いや、これもご老体の言葉があったからじゃ。田畑を耕し、命を育む。まさに、『生』そのものの百姓があってこそじゃ。その百姓が、みんな幸せに暮らせる世の中を、上に立つわしらが作っていかねばならぬ。汗水垂らし、命を削って、必死で働いているそなたたちを守っていかねばならぬのじゃ。それが、わしの仕事じゃ」
英竜は、懐から風呂敷包を取り出した。
包を開けてみると、一足の草鞋が出てきた。
「ほれ、これは、あの時、ご老体がくれた草鞋じゃ。履かずに取ってあったのよ」
「そのようなもの、捨ててもらって結構でしたのに」
老人は、呆れたように言った。
「とんでもない、これには、百姓の命が入っておる。ご老体の命も入っておる。そう思うと、踏みつけるようなことはできなんだ」
「そのようなこと……」
「これは、我が家の家宝とさせてもらうよ」
と、丁寧に包んで、再び懐に仕舞った。
英竜は、傍らでがちがちになっている金次に目を向けた。
「金次、しっかり性根を入れ替えて、畑仕事に励んでおるか」
「へ、へい」
金次は、床に額を擦りつけた。
「ご老体や、おすみさんを泣かせるようなことはしておらぬか」
「め、滅相もございません」
声が上擦った。
「手を見せてみろ」
金次は、恐る恐る手を出した。
「うむ、いい手だ。百姓のいい手をしておる。命を育む手だ。金次、その手を大事にせいよ」
金次は、何度も何度も頭を下げた。
話が途切れたところで、おすみはくわ餅を出した。
「おお、これがおすみさんのくわ餅か、これを食べるのを楽しみにしておってな」
英竜は、相貌を崩した。
「弥九郎がな、いや、弥九郎というのは、ほれ、わしと一緒にいた弥平さんだよ」
弥平の名を聞いて、おすみの心がざわめき立った。
「弥平は、本当の名を斎藤弥九郎というのだが、いや、この男、実は江戸では凄腕の剣豪として知られておってな。道場である練兵館は、千葉周作の玄武館、桃井春蔵の士学館と並んで、江戸の三大道場に数えられほどだ」
なるほど、強いわけだとおすみは思った。
「そうそう、あいつ、おすみさんに、侍の魂を捨てたとか何とか申しておったじゃろう。あれは全部嘘じゃ。弥九郎のやつ、おすみさんに会ったら謝っておいてくれと言っておったぞ」
英竜は、苦笑いをした。
「で、その弥九郎が、ご老体のところに行くのなら、是非にとも、おすみさんのくわ餅を貰ってきてくれと言いよってな、そんなに美味いものかと、用意してもらったのじゃ」
英竜は、どれと一つ口に放り込んだ。
「うむ、これは美味い。この甘酸っぱさがなんともいえんな。なるほど、弥九郎が欲しがるわけだ」
と、次から次へと口の中に放り込んでいく。
「おう、そうじゃ、おすみさん、弥九郎にも頼まれたから、二つ、三つ、包んでくれんか」
むろん、そのつもりであった。
「そう言えば」と、英竜は老人の顔を見て言った、「こんどわしが、郡内のほうへ足を伸ばすといったら、弥九郎のやつ、いたく悔しがっておてな」
「ほう、それはまた……」
老人は首を傾げた。
「うむ、どうやらあやつ、この辺りに、気になる女でもいたようじゃ。あの堅物が惚れたぐらいじゃからな、どんな女か見てみたいものよ。のう、おすみさん」
英竜と目が合って、胸が波打った。
「いえ、そんな、あの……、あたし、お餅包みます」
しどろもどろになりながら、土間に飛び降りた。
「おっかぁ、くわ餅なら、ここにたんとあるずら」
金次の言葉どおり、英竜の前に山と積んである。
「何を赤くなってるんだ。熱でもあるんでねえか」
金次は首を傾げた。
それを見た英竜は、かかかっと乾いた笑い声を上げた。
老人も、笑みを零した。
おすみは、頬を熟しながら、くわ餅を丁寧に包んだ。くわ餅を待ち侘びる人の、片笑窪を思い出しながら。
澄み渡る夏の空に、桑の木が、さわさわと優しい音を奏でている。(了)
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