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第17話
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治長が、古狸のところに飛んで行こうとするでの、押し止めた。
今日はもう遅い。
それに、古狸が簡単に正体を明かすわけもない。
こちらも用意周到に責めなければ、返り討ちにあう。
いったん引いて、責めの態勢を整えようと。
何とか説得して、治長を長政の屋敷に連れて帰った。
屋敷では、家臣たちが疲れきっていた。
〝猫の狩り出し〟は、今日も不発に終わったらしい。
家臣たちは、もう勘弁してくれと泣きついてくる。
武士の癖に泣き言を言うなと叱りつけた。
秀吉の近習もやってきた。
早く猫を捜してくれと縋る。
本当のことが言えず、長政も辛い。
猫のことは心配いらん、この長政が何とか見つけ出す、としか言えなかった。
妻のヤヤは、若い客人とあって妙にはしゃいでいた。
普段は滅多につけない紅などをつけて、妙に身体をくねらせながら治長の給仕をする。
長政は、自らの手で飯を盛る始末だ。
「さあ、どうぞ、ぐっと空けてください」
と、ヤヤは治長だけに酒を注ぐ。
ワシもと長政は杯を出す。
「あなたはこちらです」
注がれたのは、薬草を煎じた汁だ。
青臭い匂いが鼻腔を突く。
「まだお腹の調子が悪いのでしょう? お酒などもってのほかです。さあ、修理様は遠慮なさらずに」
治長は、長政に遠慮してなかなか口をつけない。
ヤヤは、なおも飲め飲めと勧めた。
「修理殿は1日中歩き回って疲れているのだ、あまり煩くするな」
「あら、それじゃあ肩でもお揉みしましょうか? 何なら腰でも?」
治長は頬を赤らめ、何ともいえぬ顔をしていた。
「おいおい、あっちに行ってろ」
「いいじゃありませんか、ねえ、修理様。あら、お酒がもうありませんわ。いま持ってきますね」
ヤヤが立つと、嘘のように静かになった。
囲炉裏の薪が、パチパチと弾ける音だけが響き渡った。
「すまぬな、修理殿、煩い女で」
「いえ」と、治長は苦笑いしながら首を振った、「それで弾正様、古狸のことですが明日は必ず責めたてましょうぞ。それから常陸介殿のことですが、女のところなどと、どうにも怪しすぎます。家臣に命じて、当分常陸介殿を見張らせようと思うのですが、いかがでしょうか?」
「修理殿、その件だが、捨様は本当にかどわかされたのであろうか?」
「何ですと?」、治長は眉を顰める。
「いや、ずっと考えておったのじゃが……」
大坂城の警備は固い。
捨丸が誕生してから、さらに厳しくなった。
外部から侵入するのは難しい。
現場となった松の間には、結番がいた。
屏風の前でも、侍女たちが見張っていた。
天井には人が忍んでいた形跡はない。
屏風を出入りしたのは、右京大夫局ただひとり………………しかも一度きりだ。
「つまり弾正様は、右京大夫様が怪しいと?」
「そうは言ってはおらん。が、現場の状況だけを見ると、そうなる」
「しかし、捨丸君をかどわかして、右京大夫様に何の利益があるのですか? 右京大夫様は捨丸君の乳母ですよ。捨丸君がいるからこそ、いまの立場が磐石なのです」
「確かにそうじゃ。だが、利益ばかりとは言えますまい。例えば誰かに頼まれたとか」
「徳川の古狸ですか?」
「いや、大納言殿は違うような気がしてならん。権力争いとかそういったものではなく、何と言うか……、その……、もっと土臭い、そう、血のようなものを感じる」
「血のようなものとは何ですか?」
長政の勘のようなものである。
理屈とか、因果とかではなく、もっと人間的な生々しいもの。
人間の根本のようなものが関係しているのではないかと感じる。
その点を説明するのは、長政にも難しい。
「要するに、豊臣家の滅亡を狙ったかどわかしではないということですか?」
「現場にいて感じたのだ。何か違和感があると。その何かが分からんが……。それに捨丸君は、まだ大坂城内にいるのではないかと思う」
「バカな!」、治長は大きな声をあげた。あまりに大きかったので辺りを見回し、小さな声で話した、「城内はくまなく捜しました。それも何度も。弾正様は、我々の捜索に抜かりがあると?」
「右京大夫様のお部屋も捜したか?」
もちろんだと、治長は目を吊り上げた。
長政は、「それでは勘違いか」と、腕を組み、天井を睨みつけた。
今日はもう遅い。
それに、古狸が簡単に正体を明かすわけもない。
こちらも用意周到に責めなければ、返り討ちにあう。
いったん引いて、責めの態勢を整えようと。
何とか説得して、治長を長政の屋敷に連れて帰った。
屋敷では、家臣たちが疲れきっていた。
〝猫の狩り出し〟は、今日も不発に終わったらしい。
家臣たちは、もう勘弁してくれと泣きついてくる。
武士の癖に泣き言を言うなと叱りつけた。
秀吉の近習もやってきた。
早く猫を捜してくれと縋る。
本当のことが言えず、長政も辛い。
猫のことは心配いらん、この長政が何とか見つけ出す、としか言えなかった。
妻のヤヤは、若い客人とあって妙にはしゃいでいた。
普段は滅多につけない紅などをつけて、妙に身体をくねらせながら治長の給仕をする。
長政は、自らの手で飯を盛る始末だ。
「さあ、どうぞ、ぐっと空けてください」
と、ヤヤは治長だけに酒を注ぐ。
ワシもと長政は杯を出す。
「あなたはこちらです」
注がれたのは、薬草を煎じた汁だ。
青臭い匂いが鼻腔を突く。
「まだお腹の調子が悪いのでしょう? お酒などもってのほかです。さあ、修理様は遠慮なさらずに」
治長は、長政に遠慮してなかなか口をつけない。
ヤヤは、なおも飲め飲めと勧めた。
「修理殿は1日中歩き回って疲れているのだ、あまり煩くするな」
「あら、それじゃあ肩でもお揉みしましょうか? 何なら腰でも?」
治長は頬を赤らめ、何ともいえぬ顔をしていた。
「おいおい、あっちに行ってろ」
「いいじゃありませんか、ねえ、修理様。あら、お酒がもうありませんわ。いま持ってきますね」
ヤヤが立つと、嘘のように静かになった。
囲炉裏の薪が、パチパチと弾ける音だけが響き渡った。
「すまぬな、修理殿、煩い女で」
「いえ」と、治長は苦笑いしながら首を振った、「それで弾正様、古狸のことですが明日は必ず責めたてましょうぞ。それから常陸介殿のことですが、女のところなどと、どうにも怪しすぎます。家臣に命じて、当分常陸介殿を見張らせようと思うのですが、いかがでしょうか?」
「修理殿、その件だが、捨様は本当にかどわかされたのであろうか?」
「何ですと?」、治長は眉を顰める。
「いや、ずっと考えておったのじゃが……」
大坂城の警備は固い。
捨丸が誕生してから、さらに厳しくなった。
外部から侵入するのは難しい。
現場となった松の間には、結番がいた。
屏風の前でも、侍女たちが見張っていた。
天井には人が忍んでいた形跡はない。
屏風を出入りしたのは、右京大夫局ただひとり………………しかも一度きりだ。
「つまり弾正様は、右京大夫様が怪しいと?」
「そうは言ってはおらん。が、現場の状況だけを見ると、そうなる」
「しかし、捨丸君をかどわかして、右京大夫様に何の利益があるのですか? 右京大夫様は捨丸君の乳母ですよ。捨丸君がいるからこそ、いまの立場が磐石なのです」
「確かにそうじゃ。だが、利益ばかりとは言えますまい。例えば誰かに頼まれたとか」
「徳川の古狸ですか?」
「いや、大納言殿は違うような気がしてならん。権力争いとかそういったものではなく、何と言うか……、その……、もっと土臭い、そう、血のようなものを感じる」
「血のようなものとは何ですか?」
長政の勘のようなものである。
理屈とか、因果とかではなく、もっと人間的な生々しいもの。
人間の根本のようなものが関係しているのではないかと感じる。
その点を説明するのは、長政にも難しい。
「要するに、豊臣家の滅亡を狙ったかどわかしではないということですか?」
「現場にいて感じたのだ。何か違和感があると。その何かが分からんが……。それに捨丸君は、まだ大坂城内にいるのではないかと思う」
「バカな!」、治長は大きな声をあげた。あまりに大きかったので辺りを見回し、小さな声で話した、「城内はくまなく捜しました。それも何度も。弾正様は、我々の捜索に抜かりがあると?」
「右京大夫様のお部屋も捜したか?」
もちろんだと、治長は目を吊り上げた。
長政は、「それでは勘違いか」と、腕を組み、天井を睨みつけた。
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