秀吉の猫

hiro75

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第17話

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 治長が、古狸のところに飛んで行こうとするでの、押し止めた。

 今日はもう遅い。

 それに、古狸が簡単に正体を明かすわけもない。

 こちらも用意周到に責めなければ、返り討ちにあう。

 いったん引いて、責めの態勢を整えようと。

 何とか説得して、治長を長政の屋敷に連れて帰った。

 屋敷では、家臣たちが疲れきっていた。

〝猫の狩り出し〟は、今日も不発に終わったらしい。

 家臣たちは、もう勘弁してくれと泣きついてくる。

 武士の癖に泣き言を言うなと叱りつけた。

 秀吉の近習もやってきた。

 早く猫を捜してくれと縋る。

 本当のことが言えず、長政も辛い。

 猫のことは心配いらん、この長政が何とか見つけ出す、としか言えなかった。

 妻のヤヤは、若い客人とあって妙にはしゃいでいた。

 普段は滅多につけない紅などをつけて、妙に身体をくねらせながら治長の給仕をする。

 長政は、自らの手で飯を盛る始末だ。

「さあ、どうぞ、ぐっと空けてください」

 と、ヤヤは治長だけに酒を注ぐ。

 ワシもと長政は杯を出す。

「あなたはこちらです」

 注がれたのは、薬草を煎じた汁だ。

 青臭い匂いが鼻腔を突く。

「まだお腹の調子が悪いのでしょう? お酒などもってのほかです。さあ、修理様は遠慮なさらずに」

 治長は、長政に遠慮してなかなか口をつけない。

 ヤヤは、なおも飲め飲めと勧めた。

「修理殿は1日中歩き回って疲れているのだ、あまり煩くするな」

「あら、それじゃあ肩でもお揉みしましょうか? 何なら腰でも?」

 治長は頬を赤らめ、何ともいえぬ顔をしていた。

「おいおい、あっちに行ってろ」

「いいじゃありませんか、ねえ、修理様。あら、お酒がもうありませんわ。いま持ってきますね」

 ヤヤが立つと、嘘のように静かになった。

 囲炉裏の薪が、パチパチと弾ける音だけが響き渡った。

「すまぬな、修理殿、煩い女で」

「いえ」と、治長は苦笑いしながら首を振った、「それで弾正様、古狸のことですが明日は必ず責めたてましょうぞ。それから常陸介殿のことですが、女のところなどと、どうにも怪しすぎます。家臣に命じて、当分常陸介殿を見張らせようと思うのですが、いかがでしょうか?」

「修理殿、その件だが、捨様は本当にかどわかされたのであろうか?」

「何ですと?」、治長は眉を顰める。

「いや、ずっと考えておったのじゃが……」

 大坂城の警備は固い。

 捨丸が誕生してから、さらに厳しくなった。

 外部から侵入するのは難しい。

 現場となった松の間には、結番がいた。

 屏風の前でも、侍女たちが見張っていた。

 天井には人が忍んでいた形跡はない。

 屏風を出入りしたのは、右京大夫局ただひとり………………しかも一度きりだ。

「つまり弾正様は、右京大夫様が怪しいと?」

「そうは言ってはおらん。が、現場の状況だけを見ると、そうなる」

「しかし、捨丸君をかどわかして、右京大夫様に何の利益があるのですか? 右京大夫様は捨丸君の乳母ですよ。捨丸君がいるからこそ、いまの立場が磐石なのです」

「確かにそうじゃ。だが、利益ばかりとは言えますまい。例えば誰かに頼まれたとか」

「徳川の古狸ですか?」

「いや、大納言殿は違うような気がしてならん。権力争いとかそういったものではなく、何と言うか……、その……、もっと土臭い、そう、血のようなものを感じる」

「血のようなものとは何ですか?」

 長政の勘のようなものである。

 理屈とか、因果とかではなく、もっと人間的な生々しいもの。

 人間の根本のようなものが関係しているのではないかと感じる。

 その点を説明するのは、長政にも難しい。

「要するに、豊臣家の滅亡を狙ったかどわかしではないということですか?」

「現場にいて感じたのだ。何か違和感があると。その何かが分からんが……。それに捨丸君は、まだ大坂城内にいるのではないかと思う」

「バカな!」、治長は大きな声をあげた。あまりに大きかったので辺りを見回し、小さな声で話した、「城内はくまなく捜しました。それも何度も。弾正様は、我々の捜索に抜かりがあると?」

「右京大夫様のお部屋も捜したか?」

 もちろんだと、治長は目を吊り上げた。

 長政は、「それでは勘違いか」と、腕を組み、天井を睨みつけた。
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