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第14話
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それにしても、何と分厚い帳面だろう。
これほど疑いのある者がいるということは、秀吉がそれほど人から恨まれているということだ。
天下人とは、何と気苦労が多いことか。
天下人になどならぬほうが良いと、長政は思った。
「弾正様のご意見は、よくよく承りました」と、治長は云った、「が、全面的に疑いが晴れたわけではありませんので」
ともに探索にあたる相手から疑われるとは、何だか嫌な気分だ。
ならば、治長自身はその帳面に入ってないのか、と訊きたくなる。
が、面倒は嫌なので黙っていた。
「それでは、まず、一番疑いが濃厚な人の下に参りましょう」
「拙者も行くのか?」
もちろんだと治長は云った。
「拙者ひとりでは、若造と足元を見られます。それに、2人のほうがよりものごとを客観的に見られますし、何より年長者としての意見をお聞きたい」
やはり、〝亀の甲よりも、年の功〟かと、長政は嘆息しながら治長の後に続いた。
2人が赴いたのは、秀吉の正室、北政所の屋敷である。
長政が、なぜにと問う。
「やはり、覇権争いです」と、治長は答えた。
正室である北政所には子どもがいない。
一方で、側室である淀には子ができた。
大蔵卿局は、女の嫉妬だと推察する。
治長は、そこを更に突っ込んで、秀吉亡き後の覇権争いだと説いた。
「捨丸君が天下人になれば、淀様がその母として実権を握ることができます。それを善しと思わぬ北政所様が、捨丸君をかどわかした」というのが、治長の推理らしい。
「それはなかろう」と、長政は首を振った。
長政は、義姉の性格を良く知っている。
竹を割ったように、物事の好き嫌いがはっきりとしている。
天下人の秀吉にさえ、意見する。
確かに、少々気性が激しいところがあるが、自分の夫の子をかどわかすなど、陰気な手は使わない。
ネネなら、はっきりと言うだろう。
『淀殿、豊臣を、そなたの好きなようにはさせませんぞ』と。
「しかし、弾正様も先ほどおっしゃられたではありませんか、他人の見解は得てして外れていると。人は表と裏がありますから」
それを云われては、長政も云い返せなかった。
これほど疑いのある者がいるということは、秀吉がそれほど人から恨まれているということだ。
天下人とは、何と気苦労が多いことか。
天下人になどならぬほうが良いと、長政は思った。
「弾正様のご意見は、よくよく承りました」と、治長は云った、「が、全面的に疑いが晴れたわけではありませんので」
ともに探索にあたる相手から疑われるとは、何だか嫌な気分だ。
ならば、治長自身はその帳面に入ってないのか、と訊きたくなる。
が、面倒は嫌なので黙っていた。
「それでは、まず、一番疑いが濃厚な人の下に参りましょう」
「拙者も行くのか?」
もちろんだと治長は云った。
「拙者ひとりでは、若造と足元を見られます。それに、2人のほうがよりものごとを客観的に見られますし、何より年長者としての意見をお聞きたい」
やはり、〝亀の甲よりも、年の功〟かと、長政は嘆息しながら治長の後に続いた。
2人が赴いたのは、秀吉の正室、北政所の屋敷である。
長政が、なぜにと問う。
「やはり、覇権争いです」と、治長は答えた。
正室である北政所には子どもがいない。
一方で、側室である淀には子ができた。
大蔵卿局は、女の嫉妬だと推察する。
治長は、そこを更に突っ込んで、秀吉亡き後の覇権争いだと説いた。
「捨丸君が天下人になれば、淀様がその母として実権を握ることができます。それを善しと思わぬ北政所様が、捨丸君をかどわかした」というのが、治長の推理らしい。
「それはなかろう」と、長政は首を振った。
長政は、義姉の性格を良く知っている。
竹を割ったように、物事の好き嫌いがはっきりとしている。
天下人の秀吉にさえ、意見する。
確かに、少々気性が激しいところがあるが、自分の夫の子をかどわかすなど、陰気な手は使わない。
ネネなら、はっきりと言うだろう。
『淀殿、豊臣を、そなたの好きなようにはさせませんぞ』と。
「しかし、弾正様も先ほどおっしゃられたではありませんか、他人の見解は得てして外れていると。人は表と裏がありますから」
それを云われては、長政も云い返せなかった。
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