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第5章「桜舞う中で」
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縄暖簾を潜ると、おかつの艶やかな声が耳朶に響いた。
「あら、いらっしゃい。何にします?」
すると小者の貞吉が、
「取り敢えず酒。当てはなんでもいいよ」
と、いつもどおりの注文を出した。
「また昼間っから酒ですか?」
「飲まずにいられるかっていうんだよ、これが。いいから、おかつさん、早く持ってきてくれよ」
貞吉の催促に、はいはいと呆れ顔で頷き、おかつは裾を翻して奥へと入っていった。
酒がなみなみと注がれた片口と一緒に、うどと浅蜊を酒と醤油で煮込んだ鉢物が出てきた。
「旦那、ひとつ」
貞吉から注いでもらって、ぎゅっと咽喉の奥に酒を流し込んだあと、うどを摘まんで口に放り込んだ。
しゃきしゃきと、いい音を立てた。
「お七さんの事件は終わったんですか?」
おかつが訊いたので、しゃりしゃりと音を立てながら、
「まあな」
と、秋山小次郎は答えた。
おかつは、「それで、どうなりました?」と訊きたそうな顔をしていたが、答える気にもなれなかった。
代わりに貞吉が答えた。
「どうも、こうもねぇよ。ほんとに、上は頭の硬えやつらでよ。火付けは火罪、お七は吉十郎に誑かされたから死罪、これしかねぇのよ」
「まあ、そうですか。お七さんも可哀想に」
「全くだ。高々がきの火遊びじゃねぇかい。死人も出ちゃいねぇし、怪我人だって人っ子ひとり出ちゃいねんだぜ。塀を焦がしただけだ。近所のもんだってよ、皆、お七に同情してらぁな。お七の親父も、死罪と聞いて寝込んじまったんだぜ」
市左衛門が倒れたのは、おさいと夫婦喧嘩のせいである。
だが、小次郎は貞吉の間違いを正すことはしなかった。
口を開くのも億劫だ。
貞吉の酒は、見る見るうちに減っていく。
「それでも、死罪ですか?」
「そうなるだろうよ。上の連中は、人の心ってもんがねんだよ! 鬼なんだよ、鬼! ああ、嫌な世の中になっちまったね、人情もなんもあったもんじゃねぇぜ。ねえ、旦那」
小次郎も、そう思う。
しかし、十手を預かっている以上、貞吉のように上を批判するわけにもいかなかった。
小次郎は、陰鬱な気持ちで、黙って酒を飲み続けた。
うどと浅蜊の煮付け一鉢に、片口一杯では足らなかった。
といっても、殆ど貞吉が空けたのだが………………
二杯目を頼んだところで、おかつの華やかな声が飛んだ。
「いらっしゃい、あら、お珍しい」
振り向くと、源太郎の端正な顔がある。
こりゃまずい、と小次郎は渋い顔をした。
「おう、お前らも来ておったか」
源太郎は、小次郎の隣に腰を下ろした。
「神谷様は、昼間っからお酒なんて召し上がられませんよね」
おかつの冷たい目が痛かった。
「酒か……、もらおうか」
「おや、まあ」
源太郎の言葉に、おかつは秀眉を上げた。
「あっ、いや、飲みたい気分だが、止めておこう。蕎麦掻を頼む」
「はい、ただいま」
おかつは、白い脛を見せて奥へと駆け込んでいく。
小次郎たちが頼んだ酒と源太郎の蕎麦掻が並んだ。
「あら、いらっしゃい。何にします?」
すると小者の貞吉が、
「取り敢えず酒。当てはなんでもいいよ」
と、いつもどおりの注文を出した。
「また昼間っから酒ですか?」
「飲まずにいられるかっていうんだよ、これが。いいから、おかつさん、早く持ってきてくれよ」
貞吉の催促に、はいはいと呆れ顔で頷き、おかつは裾を翻して奥へと入っていった。
酒がなみなみと注がれた片口と一緒に、うどと浅蜊を酒と醤油で煮込んだ鉢物が出てきた。
「旦那、ひとつ」
貞吉から注いでもらって、ぎゅっと咽喉の奥に酒を流し込んだあと、うどを摘まんで口に放り込んだ。
しゃきしゃきと、いい音を立てた。
「お七さんの事件は終わったんですか?」
おかつが訊いたので、しゃりしゃりと音を立てながら、
「まあな」
と、秋山小次郎は答えた。
おかつは、「それで、どうなりました?」と訊きたそうな顔をしていたが、答える気にもなれなかった。
代わりに貞吉が答えた。
「どうも、こうもねぇよ。ほんとに、上は頭の硬えやつらでよ。火付けは火罪、お七は吉十郎に誑かされたから死罪、これしかねぇのよ」
「まあ、そうですか。お七さんも可哀想に」
「全くだ。高々がきの火遊びじゃねぇかい。死人も出ちゃいねぇし、怪我人だって人っ子ひとり出ちゃいねんだぜ。塀を焦がしただけだ。近所のもんだってよ、皆、お七に同情してらぁな。お七の親父も、死罪と聞いて寝込んじまったんだぜ」
市左衛門が倒れたのは、おさいと夫婦喧嘩のせいである。
だが、小次郎は貞吉の間違いを正すことはしなかった。
口を開くのも億劫だ。
貞吉の酒は、見る見るうちに減っていく。
「それでも、死罪ですか?」
「そうなるだろうよ。上の連中は、人の心ってもんがねんだよ! 鬼なんだよ、鬼! ああ、嫌な世の中になっちまったね、人情もなんもあったもんじゃねぇぜ。ねえ、旦那」
小次郎も、そう思う。
しかし、十手を預かっている以上、貞吉のように上を批判するわけにもいかなかった。
小次郎は、陰鬱な気持ちで、黙って酒を飲み続けた。
うどと浅蜊の煮付け一鉢に、片口一杯では足らなかった。
といっても、殆ど貞吉が空けたのだが………………
二杯目を頼んだところで、おかつの華やかな声が飛んだ。
「いらっしゃい、あら、お珍しい」
振り向くと、源太郎の端正な顔がある。
こりゃまずい、と小次郎は渋い顔をした。
「おう、お前らも来ておったか」
源太郎は、小次郎の隣に腰を下ろした。
「神谷様は、昼間っからお酒なんて召し上がられませんよね」
おかつの冷たい目が痛かった。
「酒か……、もらおうか」
「おや、まあ」
源太郎の言葉に、おかつは秀眉を上げた。
「あっ、いや、飲みたい気分だが、止めておこう。蕎麦掻を頼む」
「はい、ただいま」
おかつは、白い脛を見せて奥へと駆け込んでいく。
小次郎たちが頼んだ酒と源太郎の蕎麦掻が並んだ。
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