71 / 87
第5章「桜舞う中で」
2の3
しおりを挟む
火付けは、火罪 ―― いわゆる火炙りの刑である。
通常これに、見せしめのためとして、晒しのうえ、市中引廻しの形が加わる。
しかし、誰かに唆されて火付けを働いたなら、唆した者が火罪で、火を付けた本人は死罪 ―― 斬首となった。
調書によれば、お七は吉十郎に唆されたのだから、死罪となる。
晒し・市中引廻しという屈辱的な付属形がないだけ、軽い処罰であるが、処刑であることには代わりはなかった。
正親が最後の項を捲ると、一枚の付箋がはらりと落ちた。
おやっと取り上げると、細かい字でびっしりと文字が書き込まれている。
正親には、その文字が神谷源太郎の手であると分かった。
(あやつ、なにを?)
と読むと、以下のように書かれていた。
〝お七の火付けは、すべて吉十郎と何某という侍の差し金である。
何某が、お七の好意を拒めば、お七が火付けを働くこともなかったであろう。
また、吉十郎が、お七の情愛深さにつけ込んで火付けを唆さなければ、また火付けを働くことはなかったであろう。
お七は、火付けを働いた咎人でもあるが、男たちの玩具にされた被害者でもある。
またお七が、火付けの現場近くで呆けたように座り込んでいたのは、己の行ったことへの強い後悔の念があったためであろう。
でなければ、火付けの犯人が、逃げもせずに現場に座り込んでいるはずがない。
火も幸い小火程度で済み、近隣の住民からは怒り・苦情どころか、むしろお七を哀れむ声が出ている。
これらを含んで、お七の処断は行われるべきであると考える〟
これらを含んでとは、即ち処刑では重過ぎると、源太郎は言いたいようだ。
恐らくは、例繰方へ送るときに調書に添付したのであろう。
それが、何を間違ってか、奉行のところまできてしまった。
(源太郎がわざと入れたのか、それとも……)
少なくとも、吟味方、例繰方、用部屋手付の三人の手を回ってきた書類である。
加えて、久太郎もこの調書には目を通しているはずである。
その間で落ちても良さそうだが、ここまで残っていたということは、何かそうさせる力があったのか、それとも久太郎を含めた奉行所の役人たちも、皆、源太郎と同じ考えなのか……のどちらかである。
正親は調書から目を上げると、右手で首筋をとんとんと叩いた。
「やれやれ、澤田のやつめ、言っておることと、やっておることが全く違うではないか」
そして顎を摩りながら、
「それにしても神谷め、このわしに意見などしよって」
と、にやりと笑った。
「しかし、どう処断するかの……」
正親は、ごろんと寝転がった。
初夏の日差しが、初老の顔を舐める。
定めに従うなら、お七は死罪。
近年は火付けによる被害も多く、この正月にも、お上から厳しく取り締まれと指示が出ている。
ならば、見せしめのためとして、「晒し・市中引廻しのうえ、火罪」のほうがよかろう。
が、そうなれば、お七に同情する江戸庶民は黙ってはいまい。
火付改に捕まった吉十郎は向こうで処罰されるとしても、生田庄之助は何のお咎めもない。
そんな不公平があるかと、江戸庶民は憤るだろう。
特に、娘の加緒流は煩く言うはずだ。
『男の人には、お七さんの気持ちは分かりません』
加緒流の非難する顔と言葉が頭に浮かぶ。
「いやいや、そのようなことはないぞ」
正親は、ひとり首を振った。
「わしとて、お七の恋しい気持ちは分かっておるわい。じゃからとて、火付けを許すわけにはいくまい」
あれやこれやと考えているうちに、ひと時の夢へと落ちていった。
通常これに、見せしめのためとして、晒しのうえ、市中引廻しの形が加わる。
しかし、誰かに唆されて火付けを働いたなら、唆した者が火罪で、火を付けた本人は死罪 ―― 斬首となった。
調書によれば、お七は吉十郎に唆されたのだから、死罪となる。
晒し・市中引廻しという屈辱的な付属形がないだけ、軽い処罰であるが、処刑であることには代わりはなかった。
正親が最後の項を捲ると、一枚の付箋がはらりと落ちた。
おやっと取り上げると、細かい字でびっしりと文字が書き込まれている。
正親には、その文字が神谷源太郎の手であると分かった。
(あやつ、なにを?)
と読むと、以下のように書かれていた。
〝お七の火付けは、すべて吉十郎と何某という侍の差し金である。
何某が、お七の好意を拒めば、お七が火付けを働くこともなかったであろう。
また、吉十郎が、お七の情愛深さにつけ込んで火付けを唆さなければ、また火付けを働くことはなかったであろう。
お七は、火付けを働いた咎人でもあるが、男たちの玩具にされた被害者でもある。
またお七が、火付けの現場近くで呆けたように座り込んでいたのは、己の行ったことへの強い後悔の念があったためであろう。
でなければ、火付けの犯人が、逃げもせずに現場に座り込んでいるはずがない。
火も幸い小火程度で済み、近隣の住民からは怒り・苦情どころか、むしろお七を哀れむ声が出ている。
これらを含んで、お七の処断は行われるべきであると考える〟
これらを含んでとは、即ち処刑では重過ぎると、源太郎は言いたいようだ。
恐らくは、例繰方へ送るときに調書に添付したのであろう。
それが、何を間違ってか、奉行のところまできてしまった。
(源太郎がわざと入れたのか、それとも……)
少なくとも、吟味方、例繰方、用部屋手付の三人の手を回ってきた書類である。
加えて、久太郎もこの調書には目を通しているはずである。
その間で落ちても良さそうだが、ここまで残っていたということは、何かそうさせる力があったのか、それとも久太郎を含めた奉行所の役人たちも、皆、源太郎と同じ考えなのか……のどちらかである。
正親は調書から目を上げると、右手で首筋をとんとんと叩いた。
「やれやれ、澤田のやつめ、言っておることと、やっておることが全く違うではないか」
そして顎を摩りながら、
「それにしても神谷め、このわしに意見などしよって」
と、にやりと笑った。
「しかし、どう処断するかの……」
正親は、ごろんと寝転がった。
初夏の日差しが、初老の顔を舐める。
定めに従うなら、お七は死罪。
近年は火付けによる被害も多く、この正月にも、お上から厳しく取り締まれと指示が出ている。
ならば、見せしめのためとして、「晒し・市中引廻しのうえ、火罪」のほうがよかろう。
が、そうなれば、お七に同情する江戸庶民は黙ってはいまい。
火付改に捕まった吉十郎は向こうで処罰されるとしても、生田庄之助は何のお咎めもない。
そんな不公平があるかと、江戸庶民は憤るだろう。
特に、娘の加緒流は煩く言うはずだ。
『男の人には、お七さんの気持ちは分かりません』
加緒流の非難する顔と言葉が頭に浮かぶ。
「いやいや、そのようなことはないぞ」
正親は、ひとり首を振った。
「わしとて、お七の恋しい気持ちは分かっておるわい。じゃからとて、火付けを許すわけにはいくまい」
あれやこれやと考えているうちに、ひと時の夢へと落ちていった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
鄧禹
橘誠治
歴史・時代
再掲になります。
約二千年前、古代中国初の長期統一王朝・前漢を簒奪して誕生した新帝国。
だが新も短命に終わると、群雄割拠の乱世に突入。
挫折と成功を繰り返しながら後漢帝国を建国する光武帝・劉秀の若き軍師・鄧禹の物語。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
歴史小説家では宮城谷昌光さんや司馬遼太郎さんが好きです。
歴史上の人物のことを知るにはやっぱり物語がある方が覚えやすい。
上記のお二人の他にもいろんな作家さんや、大和和紀さんの「あさきゆめみし」に代表される漫画家さんにぼくもたくさんお世話になりました。
ぼくは特に古代中国史が好きなので題材はそこに求めることが多いですが、その恩返しの気持ちも込めて、自分もいろんな人に、あまり詳しく知られていない歴史上の人物について物語を通して伝えてゆきたい。
そんな風に思いながら書いています。
家事と喧嘩は江戸の花、医者も歩けば棒に当たる。
水鳴諒
歴史・時代
叔父から漢方医学を学び、長崎で蘭方医学を身につけた柴崎椋之助は、江戸の七星堂で町医者の仕事を任せられる。その際、斗北藩家老の父が心配し、食事や身の回りの世話をする小者の伊八を寄越したのだが――?
蘭癖高家
八島唯
歴史・時代
一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。
遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。
時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。
大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを――
※挿絵はAI作成です。
仕合せ屋捕物控
綿涙粉緒
歴史・時代
「蕎麦しかできやせんが、よございますか?」
お江戸永代橋の袂。
草木も眠り、屋の棟も三寸下がろうかという刻限に夜な夜な店を出す屋台の蕎麦屋が一つ。
「仕合せ屋」なんぞという、どうにも優しい名の付いたその蕎麦屋には一人の親父と看板娘が働いていた。
ある寒い夜の事。
そばの香りに誘われて、ふらりと訪れた侍が一人。
お江戸の冷たい夜気とともに厄介ごとを持ち込んできた。
冷たい風の吹き荒れるその厄介ごとに蕎麦屋の親子とその侍で立ち向かう。
仇討浪人と座頭梅一
克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。
旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる