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第4章「恋文」
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その話を、内与力の澤田久太郎にすると、
「笑い事ではありません、殿」
と、叱られた。
「巷は、よからぬ噂でもちきりです。ですから私があのとき、お七は火罪にすべしとご進言したではありませんか。早急に処罰しておれば、悪い噂も立たず、上様にご心配をおかけすることもなかったのですよ」
「おう、そうじゃったかの?」
正親は、空惚けた。
「大体ですよ、火付けは火罪と決まっておるのです。火付けに訳などありません。どうせ、むしゃくしゃしたからとか、そんな馬鹿げた言い訳です。調べても無駄です。いいですか……」
久太郎の小言が始まった。
(相変わらず煩いのう)
正親は、苦笑しながら聞いた。
人の話を黙って聞いているのも疲れる。
特に、説教はそうだ。
久太郎は満足顔で部屋を出て行ったが、正親は疲れがどっと出た。
茶でも飲んでひと休みと思ったところに、頃合良く加緒流がお茶を持ってきた。
「澤田様の小言で、お疲れではないかと思って」
「聞いておったのか?」
加緒流は頷きもせず、湯飲みを手渡した。
勢いよく湯気が出ている。
湯飲み茶碗も熱い。
正親は、指の先だけで茶碗を持ち、音を立てて茶を啜った。
「馬鹿に熱いの」
「温いお茶だと、がぶがぶ飲んで、お腹を壊します。加緒流は、いつもお父様のお体のことを考えているのですよ」
「それはありがたい。が、わしの体よりも、自分のことをもう少し考えたらどうじゃ? どうしても嫁に行かぬのか?」
正親は、ちらりと加緒流を見る。
加緒流は、まるで人事のように澄ました顔をしている。
「何が不満なんじゃ。相手のことか? 相手は二千石の旗本。しかも跡取り。なかなかの器量よしだと、城内での評判も良い。男っぷりもいいと聞くぞ。これのどこが不満なんじゃ?」
娘は、父に向き直った。
「本当に、そう思っていらっしゃるんですか?」
唐突な質問に、正親は聊か面食らった。
「本当にそうって……、何がじゃ?」
「私が躊躇っている訳を?」
正親は、ふさふさな眉を寄せる。
ほかに、娘が嫁に行かぬという理由が見当たらない。
正親には分からない。
「だから、火付けをしたお七さんの気持ちが分からないんです」
加緒流が呆れたように言った。
「何じゃと?」
話が意外な方向にいったので、正親は思わず大きな声を出してしまった。
しかし加緒流は、聊かも動じることなく口を開いた。
「お父様は、澤田様の言うとおり、お七さんを火罪にするつもりですか?」
「うむ、それは調書ができてから考えつもりだが、定めどおりなら、それが妥当じゃろう」
「だから駄目なのです」
「何が駄目なのだ」
正親は顔を顰める。
「何が定めですか? 定めで、人が裁けるのですか? 女子の気持ちも分からずに、お七さんを裁けると思っていらっしゃのですか?」
「何じゃと?」
正親は、珍しく娘を睨みつける。
「女のお前が、裁きに口を出すなど以ての外じゃ!」
「女子の気持ちも分からぬ殿方が、女子を裁くなど以ての外です!」
加緒流も、負けじと言い返す。
「ほう、そんなに言うのならば、お前はお七の気持ちが分かるというのだな?」
「私には、お七さんの気持ちが痛いほど分かります」
「では、その気持ちとは何ぞや?」
「言っても……」、加緒流は悲しげな表情だ、「男の人には分かりません」
正親が口を開く前に、加緒流はすっと立ち上がった。
「男の人がそうだから、私、嫁に行きたくはないのです」
そう言い残して出て行った。
正親は首を傾げた。
「何が何やら、さっぱり分からん」
茶を啜る。
舌を火傷した。
まだ熱かった。
親の仇のように熱い。
「親は、わしじゃぞ」
笑いそうになったが、
(こっちは、あまり笑える話ではないな)
と、首を竦めた。
「笑い事ではありません、殿」
と、叱られた。
「巷は、よからぬ噂でもちきりです。ですから私があのとき、お七は火罪にすべしとご進言したではありませんか。早急に処罰しておれば、悪い噂も立たず、上様にご心配をおかけすることもなかったのですよ」
「おう、そうじゃったかの?」
正親は、空惚けた。
「大体ですよ、火付けは火罪と決まっておるのです。火付けに訳などありません。どうせ、むしゃくしゃしたからとか、そんな馬鹿げた言い訳です。調べても無駄です。いいですか……」
久太郎の小言が始まった。
(相変わらず煩いのう)
正親は、苦笑しながら聞いた。
人の話を黙って聞いているのも疲れる。
特に、説教はそうだ。
久太郎は満足顔で部屋を出て行ったが、正親は疲れがどっと出た。
茶でも飲んでひと休みと思ったところに、頃合良く加緒流がお茶を持ってきた。
「澤田様の小言で、お疲れではないかと思って」
「聞いておったのか?」
加緒流は頷きもせず、湯飲みを手渡した。
勢いよく湯気が出ている。
湯飲み茶碗も熱い。
正親は、指の先だけで茶碗を持ち、音を立てて茶を啜った。
「馬鹿に熱いの」
「温いお茶だと、がぶがぶ飲んで、お腹を壊します。加緒流は、いつもお父様のお体のことを考えているのですよ」
「それはありがたい。が、わしの体よりも、自分のことをもう少し考えたらどうじゃ? どうしても嫁に行かぬのか?」
正親は、ちらりと加緒流を見る。
加緒流は、まるで人事のように澄ました顔をしている。
「何が不満なんじゃ。相手のことか? 相手は二千石の旗本。しかも跡取り。なかなかの器量よしだと、城内での評判も良い。男っぷりもいいと聞くぞ。これのどこが不満なんじゃ?」
娘は、父に向き直った。
「本当に、そう思っていらっしゃるんですか?」
唐突な質問に、正親は聊か面食らった。
「本当にそうって……、何がじゃ?」
「私が躊躇っている訳を?」
正親は、ふさふさな眉を寄せる。
ほかに、娘が嫁に行かぬという理由が見当たらない。
正親には分からない。
「だから、火付けをしたお七さんの気持ちが分からないんです」
加緒流が呆れたように言った。
「何じゃと?」
話が意外な方向にいったので、正親は思わず大きな声を出してしまった。
しかし加緒流は、聊かも動じることなく口を開いた。
「お父様は、澤田様の言うとおり、お七さんを火罪にするつもりですか?」
「うむ、それは調書ができてから考えつもりだが、定めどおりなら、それが妥当じゃろう」
「だから駄目なのです」
「何が駄目なのだ」
正親は顔を顰める。
「何が定めですか? 定めで、人が裁けるのですか? 女子の気持ちも分からずに、お七さんを裁けると思っていらっしゃのですか?」
「何じゃと?」
正親は、珍しく娘を睨みつける。
「女のお前が、裁きに口を出すなど以ての外じゃ!」
「女子の気持ちも分からぬ殿方が、女子を裁くなど以ての外です!」
加緒流も、負けじと言い返す。
「ほう、そんなに言うのならば、お前はお七の気持ちが分かるというのだな?」
「私には、お七さんの気持ちが痛いほど分かります」
「では、その気持ちとは何ぞや?」
「言っても……」、加緒流は悲しげな表情だ、「男の人には分かりません」
正親が口を開く前に、加緒流はすっと立ち上がった。
「男の人がそうだから、私、嫁に行きたくはないのです」
そう言い残して出て行った。
正親は首を傾げた。
「何が何やら、さっぱり分からん」
茶を啜る。
舌を火傷した。
まだ熱かった。
親の仇のように熱い。
「親は、わしじゃぞ」
笑いそうになったが、
(こっちは、あまり笑える話ではないな)
と、首を竦めた。
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