桜はまだか?

hiro75

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第4章「恋文」

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 小次郎が吉祥寺の門前まで駆けつけると、人だかりがしていた。

 その輪の中に、鬼瓦のような顔をした火付改同心の榊一蔵と小者の辰三がいる。

 辰三の後ろには、縄を結わえられた男の姿が………………

「あれが吉十郎です」

 と、権蔵は小次郎の顔を認めて、顎をやった。

 体格はそれほど良くはないが、出っ張った頬骨に、大きく窪んだ目が特徴的だ。

 左の頬には、相手を威圧するような大きな切り傷がある。

(なるほど、見るからに悪そうな顔をしてやがる)

 と、小次郎は思った。

(だが、堅気相手にあくどい商売をするのが関の山だな)

 時には極悪人と対峙し、命がけの捕り物をする小次郎からすれば、吉十郎という男、善良な市民に難癖をつける程度の小物に見えた。

「すみません、南町の旦那。火付改に先を越されまして」

 権蔵は、忌々しそうに火付改のほうを見た。

「いや、良いってことよ。面倒をかけたのはこっちだ」

「旗本奴ぐらいなら、あっしらも暴れまわるんだが、火付改相手だとね」

 やくざ者の権蔵でも、やはり火付改は怖いらしい。

 しかし厄介なことになった。

 頼みの綱の吉十郎が、よりにもよって火付改に捕まろうとは………………

「おうよ、どうした秋山、こんなところに出張って?」

 一蔵が、小次郎の顔を認めて近寄ってきた。

「捜している男がおりまして。ときに、榊様、その男ですが……」

「おう? おうよ、火付けの疑いでとっ捕まえたのよ」

 一蔵は、にやりと笑う。

「火付け?」

「ああ、ここ最近、大店に火を付けて、火事場泥棒を働こうとしているやつがいると聞いたんでな、探索していたら、こいつが当ったってことよ」

「まさか……」

「おう、そのまさかよ。もしかしたら、噂の本郷追分で小娘が起した小火も、こいつの差し金かもしれねえなあ」

 一蔵が吉十郎を振り返ると、その男は、

「俺は、何もしてねえよ。放せって言うんだよ。このやろう」

 と啖呵を切った。

 すぐまさ、

「うるせい、大人しくしてろって!」

 と、辰三から一発お見舞いされた。

「おし、連れて行くぞ」

 一蔵が歩き出すと、小次郎は呼び止めた。

「なんでい?」

「榊様、その男、こちらで預からせてもらえねぇでしょうか? このとおりでございます」

 小次郎は、一蔵に頭を下げる。

 火付改に頭を下げるのは屈辱だ。

 しかも一蔵になんか、どんなことがあっても貸しを作りたくはない。

 だが、いまはそんなことを言ってはいられない。

 お七の命がかかっている。

 吉十郎が唆したと証言が取れれば、火罪 ―― 火炙りの刑は免れ、死罪 ―― 斬首の刑に減刑されるかもしれない。

 小火程度だったので、さらに減刑され、遠島ぐらいで許される可能性もある。

 お七が頑なに沈黙を守り通している以上は、吉十郎の存在が何より大事だ。

 屈辱的だが、小次郎は敢えて頭を下げた。

 じっと自分の足許を見詰める。

 不思議な気分だった。

(なんで俺は、お七のことで、ここまで熱くなってるんでぃ)

 年端のいかぬ娘といえども、火付けは大罪である。

 それで、何千という人の命が奪われ、何万という人の人生が狂うのである。

 だが、あの娘の命は助けてやりたい。

 そんな矛盾する想いが、小次郎の胸の中で渦巻いていた。

(命だけは、何とか助けてやりてぇ)

 小次郎の後退しかかった月代を見て、一蔵はにやりと笑った。

「火付けは、火付改のお役目だと言ったはずだぜ。それによ、秋山。江戸八百八町を預かる町方が、庶民の前で無闇矢鱈と頭を下げるんじゃねぇ。十手が泣くぜぃ」

 一蔵は、小次郎の肩をぽんと叩き、雪駄を鳴らして去っていった。

 小次郎は、ぐっと下唇を咬んだ。

(分かってるさ、そんなこたぁ。だが、俺は、頭を下げずにはいられなかっただよ)

 口の中に鉄臭さが広がった。
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