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第4章「恋文」
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小次郎が吉祥寺の門前まで駆けつけると、人だかりがしていた。
その輪の中に、鬼瓦のような顔をした火付改同心の榊一蔵と小者の辰三がいる。
辰三の後ろには、縄を結わえられた男の姿が………………
「あれが吉十郎です」
と、権蔵は小次郎の顔を認めて、顎をやった。
体格はそれほど良くはないが、出っ張った頬骨に、大きく窪んだ目が特徴的だ。
左の頬には、相手を威圧するような大きな切り傷がある。
(なるほど、見るからに悪そうな顔をしてやがる)
と、小次郎は思った。
(だが、堅気相手にあくどい商売をするのが関の山だな)
時には極悪人と対峙し、命がけの捕り物をする小次郎からすれば、吉十郎という男、善良な市民に難癖をつける程度の小物に見えた。
「すみません、南町の旦那。火付改に先を越されまして」
権蔵は、忌々しそうに火付改のほうを見た。
「いや、良いってことよ。面倒をかけたのはこっちだ」
「旗本奴ぐらいなら、あっしらも暴れまわるんだが、火付改相手だとね」
やくざ者の権蔵でも、やはり火付改は怖いらしい。
しかし厄介なことになった。
頼みの綱の吉十郎が、よりにもよって火付改に捕まろうとは………………
「おうよ、どうした秋山、こんなところに出張って?」
一蔵が、小次郎の顔を認めて近寄ってきた。
「捜している男がおりまして。ときに、榊様、その男ですが……」
「おう? おうよ、火付けの疑いでとっ捕まえたのよ」
一蔵は、にやりと笑う。
「火付け?」
「ああ、ここ最近、大店に火を付けて、火事場泥棒を働こうとしているやつがいると聞いたんでな、探索していたら、こいつが当ったってことよ」
「まさか……」
「おう、そのまさかよ。もしかしたら、噂の本郷追分で小娘が起した小火も、こいつの差し金かもしれねえなあ」
一蔵が吉十郎を振り返ると、その男は、
「俺は、何もしてねえよ。放せって言うんだよ。このやろう」
と啖呵を切った。
すぐまさ、
「うるせい、大人しくしてろって!」
と、辰三から一発お見舞いされた。
「おし、連れて行くぞ」
一蔵が歩き出すと、小次郎は呼び止めた。
「なんでい?」
「榊様、その男、こちらで預からせてもらえねぇでしょうか? このとおりでございます」
小次郎は、一蔵に頭を下げる。
火付改に頭を下げるのは屈辱だ。
しかも一蔵になんか、どんなことがあっても貸しを作りたくはない。
だが、いまはそんなことを言ってはいられない。
お七の命がかかっている。
吉十郎が唆したと証言が取れれば、火罪 ―― 火炙りの刑は免れ、死罪 ―― 斬首の刑に減刑されるかもしれない。
小火程度だったので、さらに減刑され、遠島ぐらいで許される可能性もある。
お七が頑なに沈黙を守り通している以上は、吉十郎の存在が何より大事だ。
屈辱的だが、小次郎は敢えて頭を下げた。
じっと自分の足許を見詰める。
不思議な気分だった。
(なんで俺は、お七のことで、ここまで熱くなってるんでぃ)
年端のいかぬ娘といえども、火付けは大罪である。
それで、何千という人の命が奪われ、何万という人の人生が狂うのである。
だが、あの娘の命は助けてやりたい。
そんな矛盾する想いが、小次郎の胸の中で渦巻いていた。
(命だけは、何とか助けてやりてぇ)
小次郎の後退しかかった月代を見て、一蔵はにやりと笑った。
「火付けは、火付改のお役目だと言ったはずだぜ。それによ、秋山。江戸八百八町を預かる町方が、庶民の前で無闇矢鱈と頭を下げるんじゃねぇ。十手が泣くぜぃ」
一蔵は、小次郎の肩をぽんと叩き、雪駄を鳴らして去っていった。
小次郎は、ぐっと下唇を咬んだ。
(分かってるさ、そんなこたぁ。だが、俺は、頭を下げずにはいられなかっただよ)
口の中に鉄臭さが広がった。
その輪の中に、鬼瓦のような顔をした火付改同心の榊一蔵と小者の辰三がいる。
辰三の後ろには、縄を結わえられた男の姿が………………
「あれが吉十郎です」
と、権蔵は小次郎の顔を認めて、顎をやった。
体格はそれほど良くはないが、出っ張った頬骨に、大きく窪んだ目が特徴的だ。
左の頬には、相手を威圧するような大きな切り傷がある。
(なるほど、見るからに悪そうな顔をしてやがる)
と、小次郎は思った。
(だが、堅気相手にあくどい商売をするのが関の山だな)
時には極悪人と対峙し、命がけの捕り物をする小次郎からすれば、吉十郎という男、善良な市民に難癖をつける程度の小物に見えた。
「すみません、南町の旦那。火付改に先を越されまして」
権蔵は、忌々しそうに火付改のほうを見た。
「いや、良いってことよ。面倒をかけたのはこっちだ」
「旗本奴ぐらいなら、あっしらも暴れまわるんだが、火付改相手だとね」
やくざ者の権蔵でも、やはり火付改は怖いらしい。
しかし厄介なことになった。
頼みの綱の吉十郎が、よりにもよって火付改に捕まろうとは………………
「おうよ、どうした秋山、こんなところに出張って?」
一蔵が、小次郎の顔を認めて近寄ってきた。
「捜している男がおりまして。ときに、榊様、その男ですが……」
「おう? おうよ、火付けの疑いでとっ捕まえたのよ」
一蔵は、にやりと笑う。
「火付け?」
「ああ、ここ最近、大店に火を付けて、火事場泥棒を働こうとしているやつがいると聞いたんでな、探索していたら、こいつが当ったってことよ」
「まさか……」
「おう、そのまさかよ。もしかしたら、噂の本郷追分で小娘が起した小火も、こいつの差し金かもしれねえなあ」
一蔵が吉十郎を振り返ると、その男は、
「俺は、何もしてねえよ。放せって言うんだよ。このやろう」
と啖呵を切った。
すぐまさ、
「うるせい、大人しくしてろって!」
と、辰三から一発お見舞いされた。
「おし、連れて行くぞ」
一蔵が歩き出すと、小次郎は呼び止めた。
「なんでい?」
「榊様、その男、こちらで預からせてもらえねぇでしょうか? このとおりでございます」
小次郎は、一蔵に頭を下げる。
火付改に頭を下げるのは屈辱だ。
しかも一蔵になんか、どんなことがあっても貸しを作りたくはない。
だが、いまはそんなことを言ってはいられない。
お七の命がかかっている。
吉十郎が唆したと証言が取れれば、火罪 ―― 火炙りの刑は免れ、死罪 ―― 斬首の刑に減刑されるかもしれない。
小火程度だったので、さらに減刑され、遠島ぐらいで許される可能性もある。
お七が頑なに沈黙を守り通している以上は、吉十郎の存在が何より大事だ。
屈辱的だが、小次郎は敢えて頭を下げた。
じっと自分の足許を見詰める。
不思議な気分だった。
(なんで俺は、お七のことで、ここまで熱くなってるんでぃ)
年端のいかぬ娘といえども、火付けは大罪である。
それで、何千という人の命が奪われ、何万という人の人生が狂うのである。
だが、あの娘の命は助けてやりたい。
そんな矛盾する想いが、小次郎の胸の中で渦巻いていた。
(命だけは、何とか助けてやりてぇ)
小次郎の後退しかかった月代を見て、一蔵はにやりと笑った。
「火付けは、火付改のお役目だと言ったはずだぜ。それによ、秋山。江戸八百八町を預かる町方が、庶民の前で無闇矢鱈と頭を下げるんじゃねぇ。十手が泣くぜぃ」
一蔵は、小次郎の肩をぽんと叩き、雪駄を鳴らして去っていった。
小次郎は、ぐっと下唇を咬んだ。
(分かってるさ、そんなこたぁ。だが、俺は、頭を下げずにはいられなかっただよ)
口の中に鉄臭さが広がった。
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