桜はまだか?

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第4章「恋文」

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 上野の寛永寺の桜が満開になると、江戸庶民は春の花見としゃれ込む。

 といっても、寛永寺は将軍家の菩提寺なので、酒盛りなど以ての外だ。

 だからといて、酒がなければ花見にならないし、庶民が酒を飲んで騒げる年に何度かの機会なので、桜を目に焼き付けて、近場の酒場に繰り出し、運び手の娘を桜に見立てて、どんちゃん騒ぎをするのである。

 谷中までくると、寛永寺の桜を見に行こうという男女でごった返していた。

 その間を縫うように、南町奉行所定町廻りの秋山小次郎と岡っ引きの栄助が駆けていた。

 目当ては、質屋の玉井屋である。

 栄助が得てきた情報では、

『玉井屋の主人嘉右衛門は、煙管屋豊川屋の贔屓客です。火打袋を貰ったんですが、前々から使ってるのがあるんで、息子の孝之助にやったそうです』

 それならどこでもある話だが、

『その孝之助、ちょいと悪い癖がありまして……』

 博奕好きらしい。

『相当負けが込んでて、その火打袋も形に取られたそうで』

『質屋の息子が質入れとは、親父が聞いたら泣くな』

 小次郎は苦笑した。

『いいだろう。もう少し詳しく話を訊こうじゃないか』

 となって、二人は玉井屋に向った。

 玉井屋の主人嘉右衛門は、帳場格子で優雅に煙管を銜えていた。

 後ろには、質入した者の名を書き、質草に括りつけるための紙の束がぶら下がっている。

 その隣に、『質物十二ヶ月限相流申ふ』と張り紙がしてあった。

 嘉右衛門は、小次郎たちが入ってくると目を丸くし、煙管を放り出して駆け寄ってきた。

「お役人様、何事かありましたでしょうか?」

「玉井屋の主人ってのは、おめえさんかい?」

 そうですがと、嘉右衛門は不安そうな顔をした。

「煙管を吹かすとは、相当儲かってるようだな」

 小さな店だが、二人の客がいる。

「とんでもございません。ただ、煙草が三度の飯よりも好きなだけでして」

「おう、その煙草のことで訊きてぇんだが……」

 小次郎は火打袋を出した。

「おめえさん、これに見覚えがねぇかい?」

「豊川屋さんの火打袋でございますね。年の暮れに、ご贔屓にしてくれたからと、私も同じような物をいただきましたが」

「それをどこにやったい?」

「それなら、息子にやりましたが」

「その息子はどこにいる?」

 嘉右衛門が呼ぶと、客を相手していた男が顔を向けた。

 それが孝之助であろう。

 彼は、奉公人に客を任せ、小次郎たちの前に座った。

 孝之助は、上目遣いに小次郎を見ている。

 ときおり目が泳いでいる。

 疚しいことがあるようだ。

「おめえさんが、孝之助さんかい?」

 と問うと、男は体をびくりと震わせて、返事をした。

「おめえさん、これと同じ火打袋を親父さんから貰っただろう?」

「は、はい、確かに」

「それ、いまはどこにあるんだい」

「はあ……、あの……、お、奥のほうにありますが……」

「家にあるんだな。ちょいと見せてくれねぇかい?」

 そう言うと、孝之助の顔が真っ青になり、唇がわなわなと震えだした。

「おい、どうした、ちょいと見せてくれるだけでいいんだよ」

 孝之助は、まるで蛇に睨まれた蛙のように動かない。

 そのうち、額がじんわりと濡れてきた。

 見かねたのか、嘉右衛門が訊く。

「あの、お役人様、これはいったい、どういったお調べで?」

「おう、これが火付けに使われてな。それで、こいつの持ち主を調べてるんだが」

 小次郎が、孝之助を睨みつける。

 嘉右衛門は顔を曇らせ、息子を見詰める。

 孝之助は、可哀想なぐらい震えている。

「おい、お前さん、あの火打袋をどうしたんだい? きちんと持ってるんだろう。だったら、旦那にお見せしなさい。でないと、お前さんが不利になるんだよ」

 嘉右衛門は、息子の膝を揺する。

「何とか言ったらどうだい、孝之助。あの火打袋をどうしたんだい?」

 耐えかねたのか、孝之助は床に頭をこすり付けた。

「す、すみません、おとっつぁん、あれは博奕の形に取られました」

 嘉右衛門は、両目を引ん剥いた。

「な、何ですって? 博奕の形に取られた? 孝之助、お前さん、あれほど博奕は止めるって言ったじゃありませんか。だから私は、店を継がせようと思ったのに」

「自分でも、止めようと思ったんです。でも、店の手伝いをすればするほど、何だか分からないけど、采の目がちらついて、どうにもならなくて……」

 孝之助の声が、だんだん小さくなっていった。
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