桜はまだか?

hiro75

文字の大きさ
上 下
39 / 87
第三章「焼き味噌団子」

2の4

しおりを挟む
 豊川屋は、それなりに大きな店だった。

 贔屓客に火打袋を配るぐらいだから、繁盛もしているのだろう。

 店の向かいの水溜桶に、男が身を潜めている。

 いかにもやくざ者だ。

 栄助の手下である。

「ごくろうだな。どうだ、豊川屋は?」

「あっ、親分、特に変わったことはありやせん」

「そうかい」

 栄助は、小次郎を見た。

「どうしやす?」

「豊川屋も、まさか自分のところで配った火打袋が火付けに使われたとは、夢にも思ってねぇだろうよ。いいさ、直接、話を訊くまでよ」

 小次郎は、栄助を連れて豊川屋の敷居を跨いだ。

 中に入ると、すぐさま番頭が駆け寄ってきた。

 同心が来たのだから、何事かと思ったのだろう。

 眉を寄せ、かなり不安そうな顔をしている。

「これはお役人様、今日は煙管をご入用ですか?」

 煙管を買いに来たのではないことぐらいは、番頭も分かっているだろう。

 だが、あえてそれを訊いたのは、店の中に二、三人の客がいたからだ。

 その客たちも、小次郎の姿を見るなり、顔を背けたり、何も買わずに店から出て行く者もいた。

「南町の秋山ってんだが、商いの邪魔をして悪い。御用の筋なんでな。主人はいるか?」

「はい、ただいま」

 番頭は、すぐさま奥へと入っていった。

 四十半ばぐらいの男が顔を出した。

 顔を曇らせ、「豊川屋の主人、文蔵でございますが、どういったご用件でしょう?」と頭を下げた。

「こいつは、ここで配ったものだろう?」

 例の火打袋を見せた。

「はい、ご贔屓様にお配りしたものに間違いありませんが、これがいったい……?」

 お七の一件を話すと、文蔵は険しい顔になった。

「それで、こいつを配った贔屓客を知りてぇんだ」

 文蔵は、ご贔屓客を教えるわけにはいきませんと首を振った。

「こいつは、御用の筋だぜ」

「秋山様、ご勘弁くださいまし。もしうちの品で、そのお七さんとかいうお嬢さんが火付けを働いたということが分かれば、私どもの商いは上がったりです。それに、商いは信用でございます。もし、ご贔屓様の名を明かしてご迷惑をかけることになれば……」

「おい、おい、もう迷惑はかかってんだよ」

「分かっておりますよ。ですが、秋山様、このことが火付改にでも知れたら、私どもは……。それでなくとも、煙管屋はお上から厳しい目で見られているのですから……」

 豊川屋は、火付改の拷問を想像したのか、身震いした。

「おい、勘違いするなよ、豊川屋」、小次郎はどすを利かせる、「御番所の調べだから、おめえさんはしょっ引かれずに済んでるんだろうが。これが火付改なら、贔屓先の名を尋ねる前に、おめえさんに縄をかけてるぜ」

 豊川屋は眉を顰めたが、それでも贔屓客の名を言うのを渋っていた。

(しぶてえ野郎だな)

 小次郎は、何気に外を見た。

 と、妙案を思い付いた。

「それじゃあ、しかたねえな、外を見てみな」

 文蔵と番頭は、外に目をやった。

「柄の悪いのが、水溜桶の陰に隠れてるだろうが」

 栄助の手下である。

「あれは、火付改の岡っ引きよ」

 文蔵と番頭は目を見開き、互いの顔を見合わせた。

「火付改も、お七の一件を探ってるからな。俺を付けてんだよ。なんなら、いまからここに、火付改の岡っ引きを呼んでもいいんだぜ」

 文蔵の顔が、見る見るうちに青くなる。

 小次郎の後ろにいた栄助は、笑いを堪えていた。

「あ、秋山様、申し訳ありません、すぐに帳面をお持ちいたしますので。おい、何をやってんだい、早く帳面を。それから、秋山様にお茶をお出しして、お菓子もだよ、上等なやつをね」

 番頭は飛び上がり、すぐに奥に入っていった。

 帳面には、贔屓客の名がずらりと書かれていた。

 某藩の留守居役から旗本・御家人、寺の坊主から大店の主人、はたまた職人まで。

 だが、小次郎の捜している名はなかった。

 ―― 生田庄之助

 火打袋を配ったのは、この帳面に載っている者だけかと問うと、文蔵は首を縦に振った。

「生田とかいう旗本が、煙管を買いに来ることはなかったかい?」

 主人も番頭も、生田という名すら知らなかった。

 人相を教えても、首を振った。

「当てが外れたか……」

「生田という侍、全く関係はないってことでしょうか?」

 栄助の問いかけに、小次郎は答えなかった。

 帳面に生田の名はない。

 だが、なぜか気になる。

 定廻りの〝勘〟ってやつだが………………

(俺の勘も鈍ったか)

 贔屓客の名を書き取り、店を出た。

 番頭が、ご迷惑をおかけしましたと、小次郎の袖に手を入れた。

 ずっしりと重くなった。

「秋山様、この件は何とぞご内密に。特に、火付改には……」

「そりゃいいが、こんなところを見たら、奴さん、変に勘繰るぜ」

 小次郎が、水溜桶に隠れている男を見ながら言うと、番頭は慌てて店の中に入っていった。

「あっしの手下を火付改の岡っ引きだなんて、旦那もお人が悪い」

 栄助は苦笑した。

「なに、ものは言いようだ」

「へえ、確かに。あれで、豊川屋も恐れ入ったようで。それじゃあ、あっしは、こいつを頼りに、手下に持ち主を捜させますんで」

「うむ、頼むぞ」

 栄助が、そのまま駆けて行きそうだったので、小次郎が止めた。

「手間賃だ。手下に、うまいもんでも食わせてやってくれ」

 豊川屋の番頭が忍び込ませた〝袖の下〟を、そのままそっくり栄助に手渡した。

「いや、旦那、これは多すぎやす」

 小次郎は中身を見ずに手渡したが、栄助が驚くほど多かったようだ。

「いいさ、お七の件では、よく働いてもらってるからな。特に、あいつに多めにやってやれ。あいつのお陰で、豊川屋が口を開いたも同然だからな」

 小次郎は、水溜桶の陰でまだ豊川屋を見張っている男を親指で指し示した。

「へい、じゃあ、遠慮なく」

 栄助は、金を懐に納めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

法隆寺燃ゆ

hiro75
歴史・時代
奴婢として、一生平凡に暮らしていくのだと思っていた………………上宮王家の奴婢として生まれた弟成だったが、時代がそれを許さなかった。上宮王家の滅亡、乙巳の変、白村江の戦………………推古天皇、山背大兄皇子、蘇我入鹿、中臣鎌足、中大兄皇子、大海人皇子、皇極天皇、孝徳天皇、有間皇子………………為政者たちの権力争いに巻き込まれていくのだが……………… 正史の裏に隠れた奴婢たちの悲哀、そして権力者たちの愛憎劇、飛鳥を舞台にした大河小説がいまはじまる!!

幽霊、笑った

hiro75
歴史・時代
世は、天保の改革の真っ盛りで、巷は不景気の話が絶えないが、料理茶屋「鶴久屋」は、お上のおみねを筆頭に、今日も笑顔が絶えない。 そんな店に足しげく通う若侍、仕事もなく、生きがいもなく、ただお酒を飲む日々……、そんな彼が不思議な話をしだして……………… 小さな料理茶屋で起こった、ちょっと不思議な、悲しくも、温かい人情物語………………

国殤(こくしょう)

松井暁彦
歴史・時代
目前まで迫る秦の天下統一。 秦王政は最大の難敵である強国楚の侵攻を開始する。 楚征伐の指揮を任されたのは若き勇猛な将軍李信。 疾風の如く楚の城郭を次々に降していく李信だったが、彼の前に楚最強の将軍項燕が立ちはだかる。 項燕の出現によって狂い始める秦王政の計画。項燕に対抗するために、秦王政は隠棲した王翦の元へと向かう。 今、項燕と王翦の国の存亡をかけた戦いが幕を開ける。

三賢人の日本史

高鉢 健太
歴史・時代
とある世界線の日本の歴史。 その日本は首都は京都、政庁は江戸。幕末を迎えた日本は幕府が勝利し、中央集権化に成功する。薩摩?長州?負け組ですね。 なぜそうなったのだろうか。 ※小説家になろうで掲載した作品です。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――

黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。  一般には武田勝頼と記されることが多い。  ……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。  信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。  つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。  一介の後見人の立場でしかない。  織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。  ……これは、そんな悲運の名将のお話である。 【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵 【注意】……武田贔屓のお話です。  所説あります。  あくまでも一つのお話としてお楽しみください。

夜に咲く花

増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。 幕末を駆け抜けた新撰組。 その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。 よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...