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第三章「焼き味噌団子」
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豊川屋は、それなりに大きな店だった。
贔屓客に火打袋を配るぐらいだから、繁盛もしているのだろう。
店の向かいの水溜桶に、男が身を潜めている。
いかにもやくざ者だ。
栄助の手下である。
「ごくろうだな。どうだ、豊川屋は?」
「あっ、親分、特に変わったことはありやせん」
「そうかい」
栄助は、小次郎を見た。
「どうしやす?」
「豊川屋も、まさか自分のところで配った火打袋が火付けに使われたとは、夢にも思ってねぇだろうよ。いいさ、直接、話を訊くまでよ」
小次郎は、栄助を連れて豊川屋の敷居を跨いだ。
中に入ると、すぐさま番頭が駆け寄ってきた。
同心が来たのだから、何事かと思ったのだろう。
眉を寄せ、かなり不安そうな顔をしている。
「これはお役人様、今日は煙管をご入用ですか?」
煙管を買いに来たのではないことぐらいは、番頭も分かっているだろう。
だが、あえてそれを訊いたのは、店の中に二、三人の客がいたからだ。
その客たちも、小次郎の姿を見るなり、顔を背けたり、何も買わずに店から出て行く者もいた。
「南町の秋山ってんだが、商いの邪魔をして悪い。御用の筋なんでな。主人はいるか?」
「はい、ただいま」
番頭は、すぐさま奥へと入っていった。
四十半ばぐらいの男が顔を出した。
顔を曇らせ、「豊川屋の主人、文蔵でございますが、どういったご用件でしょう?」と頭を下げた。
「こいつは、ここで配ったものだろう?」
例の火打袋を見せた。
「はい、ご贔屓様にお配りしたものに間違いありませんが、これがいったい……?」
お七の一件を話すと、文蔵は険しい顔になった。
「それで、こいつを配った贔屓客を知りてぇんだ」
文蔵は、ご贔屓客を教えるわけにはいきませんと首を振った。
「こいつは、御用の筋だぜ」
「秋山様、ご勘弁くださいまし。もしうちの品で、そのお七さんとかいうお嬢さんが火付けを働いたということが分かれば、私どもの商いは上がったりです。それに、商いは信用でございます。もし、ご贔屓様の名を明かしてご迷惑をかけることになれば……」
「おい、おい、もう迷惑はかかってんだよ」
「分かっておりますよ。ですが、秋山様、このことが火付改にでも知れたら、私どもは……。それでなくとも、煙管屋はお上から厳しい目で見られているのですから……」
豊川屋は、火付改の拷問を想像したのか、身震いした。
「おい、勘違いするなよ、豊川屋」、小次郎はどすを利かせる、「御番所の調べだから、おめえさんはしょっ引かれずに済んでるんだろうが。これが火付改なら、贔屓先の名を尋ねる前に、おめえさんに縄をかけてるぜ」
豊川屋は眉を顰めたが、それでも贔屓客の名を言うのを渋っていた。
(しぶてえ野郎だな)
小次郎は、何気に外を見た。
と、妙案を思い付いた。
「それじゃあ、しかたねえな、外を見てみな」
文蔵と番頭は、外に目をやった。
「柄の悪いのが、水溜桶の陰に隠れてるだろうが」
栄助の手下である。
「あれは、火付改の岡っ引きよ」
文蔵と番頭は目を見開き、互いの顔を見合わせた。
「火付改も、お七の一件を探ってるからな。俺を付けてんだよ。なんなら、いまからここに、火付改の岡っ引きを呼んでもいいんだぜ」
文蔵の顔が、見る見るうちに青くなる。
小次郎の後ろにいた栄助は、笑いを堪えていた。
「あ、秋山様、申し訳ありません、すぐに帳面をお持ちいたしますので。おい、何をやってんだい、早く帳面を。それから、秋山様にお茶をお出しして、お菓子もだよ、上等なやつをね」
番頭は飛び上がり、すぐに奥に入っていった。
帳面には、贔屓客の名がずらりと書かれていた。
某藩の留守居役から旗本・御家人、寺の坊主から大店の主人、はたまた職人まで。
だが、小次郎の捜している名はなかった。
―― 生田庄之助
火打袋を配ったのは、この帳面に載っている者だけかと問うと、文蔵は首を縦に振った。
「生田とかいう旗本が、煙管を買いに来ることはなかったかい?」
主人も番頭も、生田という名すら知らなかった。
人相を教えても、首を振った。
「当てが外れたか……」
「生田という侍、全く関係はないってことでしょうか?」
栄助の問いかけに、小次郎は答えなかった。
帳面に生田の名はない。
だが、なぜか気になる。
定廻りの〝勘〟ってやつだが………………
(俺の勘も鈍ったか)
贔屓客の名を書き取り、店を出た。
番頭が、ご迷惑をおかけしましたと、小次郎の袖に手を入れた。
ずっしりと重くなった。
「秋山様、この件は何とぞご内密に。特に、火付改には……」
「そりゃいいが、こんなところを見たら、奴さん、変に勘繰るぜ」
小次郎が、水溜桶に隠れている男を見ながら言うと、番頭は慌てて店の中に入っていった。
「あっしの手下を火付改の岡っ引きだなんて、旦那もお人が悪い」
栄助は苦笑した。
「なに、ものは言いようだ」
「へえ、確かに。あれで、豊川屋も恐れ入ったようで。それじゃあ、あっしは、こいつを頼りに、手下に持ち主を捜させますんで」
「うむ、頼むぞ」
栄助が、そのまま駆けて行きそうだったので、小次郎が止めた。
「手間賃だ。手下に、うまいもんでも食わせてやってくれ」
豊川屋の番頭が忍び込ませた〝袖の下〟を、そのままそっくり栄助に手渡した。
「いや、旦那、これは多すぎやす」
小次郎は中身を見ずに手渡したが、栄助が驚くほど多かったようだ。
「いいさ、お七の件では、よく働いてもらってるからな。特に、あいつに多めにやってやれ。あいつのお陰で、豊川屋が口を開いたも同然だからな」
小次郎は、水溜桶の陰でまだ豊川屋を見張っている男を親指で指し示した。
「へい、じゃあ、遠慮なく」
栄助は、金を懐に納めた。
贔屓客に火打袋を配るぐらいだから、繁盛もしているのだろう。
店の向かいの水溜桶に、男が身を潜めている。
いかにもやくざ者だ。
栄助の手下である。
「ごくろうだな。どうだ、豊川屋は?」
「あっ、親分、特に変わったことはありやせん」
「そうかい」
栄助は、小次郎を見た。
「どうしやす?」
「豊川屋も、まさか自分のところで配った火打袋が火付けに使われたとは、夢にも思ってねぇだろうよ。いいさ、直接、話を訊くまでよ」
小次郎は、栄助を連れて豊川屋の敷居を跨いだ。
中に入ると、すぐさま番頭が駆け寄ってきた。
同心が来たのだから、何事かと思ったのだろう。
眉を寄せ、かなり不安そうな顔をしている。
「これはお役人様、今日は煙管をご入用ですか?」
煙管を買いに来たのではないことぐらいは、番頭も分かっているだろう。
だが、あえてそれを訊いたのは、店の中に二、三人の客がいたからだ。
その客たちも、小次郎の姿を見るなり、顔を背けたり、何も買わずに店から出て行く者もいた。
「南町の秋山ってんだが、商いの邪魔をして悪い。御用の筋なんでな。主人はいるか?」
「はい、ただいま」
番頭は、すぐさま奥へと入っていった。
四十半ばぐらいの男が顔を出した。
顔を曇らせ、「豊川屋の主人、文蔵でございますが、どういったご用件でしょう?」と頭を下げた。
「こいつは、ここで配ったものだろう?」
例の火打袋を見せた。
「はい、ご贔屓様にお配りしたものに間違いありませんが、これがいったい……?」
お七の一件を話すと、文蔵は険しい顔になった。
「それで、こいつを配った贔屓客を知りてぇんだ」
文蔵は、ご贔屓客を教えるわけにはいきませんと首を振った。
「こいつは、御用の筋だぜ」
「秋山様、ご勘弁くださいまし。もしうちの品で、そのお七さんとかいうお嬢さんが火付けを働いたということが分かれば、私どもの商いは上がったりです。それに、商いは信用でございます。もし、ご贔屓様の名を明かしてご迷惑をかけることになれば……」
「おい、おい、もう迷惑はかかってんだよ」
「分かっておりますよ。ですが、秋山様、このことが火付改にでも知れたら、私どもは……。それでなくとも、煙管屋はお上から厳しい目で見られているのですから……」
豊川屋は、火付改の拷問を想像したのか、身震いした。
「おい、勘違いするなよ、豊川屋」、小次郎はどすを利かせる、「御番所の調べだから、おめえさんはしょっ引かれずに済んでるんだろうが。これが火付改なら、贔屓先の名を尋ねる前に、おめえさんに縄をかけてるぜ」
豊川屋は眉を顰めたが、それでも贔屓客の名を言うのを渋っていた。
(しぶてえ野郎だな)
小次郎は、何気に外を見た。
と、妙案を思い付いた。
「それじゃあ、しかたねえな、外を見てみな」
文蔵と番頭は、外に目をやった。
「柄の悪いのが、水溜桶の陰に隠れてるだろうが」
栄助の手下である。
「あれは、火付改の岡っ引きよ」
文蔵と番頭は目を見開き、互いの顔を見合わせた。
「火付改も、お七の一件を探ってるからな。俺を付けてんだよ。なんなら、いまからここに、火付改の岡っ引きを呼んでもいいんだぜ」
文蔵の顔が、見る見るうちに青くなる。
小次郎の後ろにいた栄助は、笑いを堪えていた。
「あ、秋山様、申し訳ありません、すぐに帳面をお持ちいたしますので。おい、何をやってんだい、早く帳面を。それから、秋山様にお茶をお出しして、お菓子もだよ、上等なやつをね」
番頭は飛び上がり、すぐに奥に入っていった。
帳面には、贔屓客の名がずらりと書かれていた。
某藩の留守居役から旗本・御家人、寺の坊主から大店の主人、はたまた職人まで。
だが、小次郎の捜している名はなかった。
―― 生田庄之助
火打袋を配ったのは、この帳面に載っている者だけかと問うと、文蔵は首を縦に振った。
「生田とかいう旗本が、煙管を買いに来ることはなかったかい?」
主人も番頭も、生田という名すら知らなかった。
人相を教えても、首を振った。
「当てが外れたか……」
「生田という侍、全く関係はないってことでしょうか?」
栄助の問いかけに、小次郎は答えなかった。
帳面に生田の名はない。
だが、なぜか気になる。
定廻りの〝勘〟ってやつだが………………
(俺の勘も鈍ったか)
贔屓客の名を書き取り、店を出た。
番頭が、ご迷惑をおかけしましたと、小次郎の袖に手を入れた。
ずっしりと重くなった。
「秋山様、この件は何とぞご内密に。特に、火付改には……」
「そりゃいいが、こんなところを見たら、奴さん、変に勘繰るぜ」
小次郎が、水溜桶に隠れている男を見ながら言うと、番頭は慌てて店の中に入っていった。
「あっしの手下を火付改の岡っ引きだなんて、旦那もお人が悪い」
栄助は苦笑した。
「なに、ものは言いようだ」
「へえ、確かに。あれで、豊川屋も恐れ入ったようで。それじゃあ、あっしは、こいつを頼りに、手下に持ち主を捜させますんで」
「うむ、頼むぞ」
栄助が、そのまま駆けて行きそうだったので、小次郎が止めた。
「手間賃だ。手下に、うまいもんでも食わせてやってくれ」
豊川屋の番頭が忍び込ませた〝袖の下〟を、そのままそっくり栄助に手渡した。
「いや、旦那、これは多すぎやす」
小次郎は中身を見ずに手渡したが、栄助が驚くほど多かったようだ。
「いいさ、お七の件では、よく働いてもらってるからな。特に、あいつに多めにやってやれ。あいつのお陰で、豊川屋が口を開いたも同然だからな」
小次郎は、水溜桶の陰でまだ豊川屋を見張っている男を親指で指し示した。
「へい、じゃあ、遠慮なく」
栄助は、金を懐に納めた。
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