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第二章「そら豆」
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「でも、よりによって、どうしてあの晩なんでしょうか?」
しばらくして、おさいが眉を八の字に寄せながらぽつりと呟いた。
「あの晩? 何かあるのかい?」
「いえ、雛祭でございます」
「雛祭? ああ……」
小次郎は、先程見た赤い毛氈を思い出した。
「しかも、お雛様の着物を燃やすなんて……、あれほど、雛祭を楽しみにしておりましたのに……」
「お七は、雛祭を楽しみにしていたのかい?」
「はい、それはもう、女の子のお祝いですから。ひと月前から雛人形を出してくれとせがみまして。それで、雛人形を飾るときも、楽しそうに並べておりましたのに……」
おさいの両目から、またぼたぼたと温かい水が落ち出す。
「そうかい……、毎年ひと月前から雛人形を飾るのかい?」
「はあ、そうですが」
「雛人形を飾っているときも、何も変わったことはなかったかい?」
「はい、そうだと思いますが……、あっ……、いえ、でも……」
おさいは言い淀んだ。
「なんでぃ? 何かあったのかい?」
「はい、でも、それほどのことでは……」
「ご新造さんよ、どんな小さなことでも良いんだ。何かお七に関することで気付いたことがあったら、教えてくれねえかい?」
「はあ……」
躊躇するおさいに、市左衛門も、
「おさい、お前さんの知っていることは何でもお話するんだよ。お七のことで、これ以上ご迷惑をおかけしてはけないよ」
と嗜めた。
「はあ、実は……、雛人形を飾り終えたときなんですが、お七が……」
雛人形を飾り終えた後、その美しさに見惚れていたお七に、おさいは言ったそうだ。
「『今年も綺麗に飾れたわね、こんなに綺麗に飾ったら、仕舞うのが勿体ないわね』と、私は冗談のつもりで言ったんですが、あの子は、『そんなの嫌よ、今年は早く片付けるんだから。お嫁に行けなくなっちゃうわ』と……。普段なら、『まだお嫁には行かない』とか、『あたしは一生お父様やお母様と一緒に暮らすんだ』なんて駄々を捏ねるんですが、今年に限ってはお嫁に行きたいと……」
「お七がそう言ったのかい?」
「はい。それを聞いたときは、ああ、この子も年頃になったんだなと思ったのですが、いま考えると。それに……」
「まだあるのかい?」
「はい、ある日、お七がお雛様を手にとって、ぼーっと眺めてたんです。あたし、『どうしたの?』って訊いたら、あの子、『お雛様、本当にお内裏様のことが好きなのかしら?』って訊くんです。だから、あたし、『もちろん、好きなのよ。だから、お嫁に行ったんでしょ』って言ったんです。そしたら、あの子、『そうよね、だから、こんなに幸せそうな顔をしてるのよね、好きな人と一緒になれたから』って言って、そのあとに……」
『何か……、悔しいな』と呟いたらしい。
「悔しいな? それはまた、何で?」
「はい、あたしも可笑しなことを言うなと思いましたので、訊いたんですが……」
お七は、ただぼーっとお雛様を眺めていたという。
「このことと、火付けと関係があるのでしょうか?」
「それはまだ何ともいえねぇ」
「もし、あるんなら……、あたし、あの子の様子に気が付いていながら、何もできなかったかと思うと……」
おさいは、また泣き崩れた。
「おさい、しっかりしなさい」
市左衛門は、おさいの背中を摩ってやる。
小次郎は、ふっと大きな溜息を吐き、腕を組んで天井を見上げた。
と、懐の物に気が付いた。
「ところで、これに見覚えはねえかい?」
小次郎は、懐から火打袋を取り出した。
お七が捕まったとき、所持していたものである。
赤朽葉色の巾着袋の左底に、丸に〝豊〟と白抜きで染め抜かれていた。
市左衛門はそれを手に取り、しばし見詰めていたが、首を横に振った。
おさいも、覚えはないと言う。
「火打道具は、すべて私どもの部屋に厳重に仕舞ってありますので」
お七が捕まったあとに調べてみたが、なくなっている火打道具はなかった。
「お七が買い求めたとは?」
「それはないと思います。近くの火口屋さんは吉久屋さんですが、鳥居の中に〝吉〟の字ですから。丸に〝豊〟は覚えがありません」
「じゃあ、誰かが渡したということか? 何か心当たりは?」
市左衛門もおさいも、首を振った。
「もしかして、その火打袋を渡した者が、お七に火をつけろと唆したので?」
「さあ、それは何とも言えねえな。まあ、兎も角、こっちのほうも当ってみるつもりだ」
小次郎は、火打袋を懐に仕舞った。
「秋山様、お七は、お七はどうなるんでしょうか?」
帰り際、おさいが縋るように迫ってきた。
「う~む、このまま何もしゃべらないと、自分でやったと自白しているようなもんだからな……、おまけに火付けの道具も持っていたし、良くて死罪か……」
小次郎は、不用意な一言を発してしまった。
それを聞いたおさいが、また激しく泣き出した。
市左衛門は、一人静かに呟いた。
「育て方を間違えたのでしょうか?」
しばらくして、おさいが眉を八の字に寄せながらぽつりと呟いた。
「あの晩? 何かあるのかい?」
「いえ、雛祭でございます」
「雛祭? ああ……」
小次郎は、先程見た赤い毛氈を思い出した。
「しかも、お雛様の着物を燃やすなんて……、あれほど、雛祭を楽しみにしておりましたのに……」
「お七は、雛祭を楽しみにしていたのかい?」
「はい、それはもう、女の子のお祝いですから。ひと月前から雛人形を出してくれとせがみまして。それで、雛人形を飾るときも、楽しそうに並べておりましたのに……」
おさいの両目から、またぼたぼたと温かい水が落ち出す。
「そうかい……、毎年ひと月前から雛人形を飾るのかい?」
「はあ、そうですが」
「雛人形を飾っているときも、何も変わったことはなかったかい?」
「はい、そうだと思いますが……、あっ……、いえ、でも……」
おさいは言い淀んだ。
「なんでぃ? 何かあったのかい?」
「はい、でも、それほどのことでは……」
「ご新造さんよ、どんな小さなことでも良いんだ。何かお七に関することで気付いたことがあったら、教えてくれねえかい?」
「はあ……」
躊躇するおさいに、市左衛門も、
「おさい、お前さんの知っていることは何でもお話するんだよ。お七のことで、これ以上ご迷惑をおかけしてはけないよ」
と嗜めた。
「はあ、実は……、雛人形を飾り終えたときなんですが、お七が……」
雛人形を飾り終えた後、その美しさに見惚れていたお七に、おさいは言ったそうだ。
「『今年も綺麗に飾れたわね、こんなに綺麗に飾ったら、仕舞うのが勿体ないわね』と、私は冗談のつもりで言ったんですが、あの子は、『そんなの嫌よ、今年は早く片付けるんだから。お嫁に行けなくなっちゃうわ』と……。普段なら、『まだお嫁には行かない』とか、『あたしは一生お父様やお母様と一緒に暮らすんだ』なんて駄々を捏ねるんですが、今年に限ってはお嫁に行きたいと……」
「お七がそう言ったのかい?」
「はい。それを聞いたときは、ああ、この子も年頃になったんだなと思ったのですが、いま考えると。それに……」
「まだあるのかい?」
「はい、ある日、お七がお雛様を手にとって、ぼーっと眺めてたんです。あたし、『どうしたの?』って訊いたら、あの子、『お雛様、本当にお内裏様のことが好きなのかしら?』って訊くんです。だから、あたし、『もちろん、好きなのよ。だから、お嫁に行ったんでしょ』って言ったんです。そしたら、あの子、『そうよね、だから、こんなに幸せそうな顔をしてるのよね、好きな人と一緒になれたから』って言って、そのあとに……」
『何か……、悔しいな』と呟いたらしい。
「悔しいな? それはまた、何で?」
「はい、あたしも可笑しなことを言うなと思いましたので、訊いたんですが……」
お七は、ただぼーっとお雛様を眺めていたという。
「このことと、火付けと関係があるのでしょうか?」
「それはまだ何ともいえねぇ」
「もし、あるんなら……、あたし、あの子の様子に気が付いていながら、何もできなかったかと思うと……」
おさいは、また泣き崩れた。
「おさい、しっかりしなさい」
市左衛門は、おさいの背中を摩ってやる。
小次郎は、ふっと大きな溜息を吐き、腕を組んで天井を見上げた。
と、懐の物に気が付いた。
「ところで、これに見覚えはねえかい?」
小次郎は、懐から火打袋を取り出した。
お七が捕まったとき、所持していたものである。
赤朽葉色の巾着袋の左底に、丸に〝豊〟と白抜きで染め抜かれていた。
市左衛門はそれを手に取り、しばし見詰めていたが、首を横に振った。
おさいも、覚えはないと言う。
「火打道具は、すべて私どもの部屋に厳重に仕舞ってありますので」
お七が捕まったあとに調べてみたが、なくなっている火打道具はなかった。
「お七が買い求めたとは?」
「それはないと思います。近くの火口屋さんは吉久屋さんですが、鳥居の中に〝吉〟の字ですから。丸に〝豊〟は覚えがありません」
「じゃあ、誰かが渡したということか? 何か心当たりは?」
市左衛門もおさいも、首を振った。
「もしかして、その火打袋を渡した者が、お七に火をつけろと唆したので?」
「さあ、それは何とも言えねえな。まあ、兎も角、こっちのほうも当ってみるつもりだ」
小次郎は、火打袋を懐に仕舞った。
「秋山様、お七は、お七はどうなるんでしょうか?」
帰り際、おさいが縋るように迫ってきた。
「う~む、このまま何もしゃべらないと、自分でやったと自白しているようなもんだからな……、おまけに火付けの道具も持っていたし、良くて死罪か……」
小次郎は、不用意な一言を発してしまった。
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