桜はまだか?

hiro75

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序章「悪夢の始まり」

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 厠を出た。

 相変わらず風はない。

 おゆきは、ふと夜空を見上げた。

 月が怪しく光り輝いている。

(これから、もうひと冒険だ)

 傍らの手水を使った。

 その時だ ―― 水の音に混じって、ぱちぱちと何かが弾ける音を聞いた。

 音のない闇夜に、その音だけが異様に冴え渡る。

 周囲を見渡す。

 別段、普段の裏庭である………………!

 おゆきは目を瞠る。

 塀の向こう側が妙に明るい。

 次の瞬間、その明かりが鮮やかになった。

「ああ……」

 大きく開いた口から空気が一気に入り込み、おゆきは咽そうになった。

(火だ! 火だ!)

 思うように声が出ない。

 唇だけがわなわなと震え、上と下の前歯がぶつかり、かちかちと虚しく音を立てた。

(落ち着いて! 落ち着くの、おゆき! いい、息を大きく吸って、次に大きく息を吐くのよ)

 おゆきは、当たり前のことを頭の中でいちいち確認した。

 大きく息を吸った。

 空気が肺の中に充満した。

 次に、勢いよく吐き出した。

「火事だ!」

 の言葉とともに………………



 それからどうしただろう?

 記憶が、飛び飛びになっている。

(旦那さんが出てきて、六助ろくすけさんや鉄三てつぞうさんが出てきて、あたしは奥さんにおなつちゃんと逃げろって言われたような……)

 気付いたら、御店の前でおなつと抱き合って震えていた。

 幸い、火事は小火ぼやだった。

 奉公人や近所の人が駆けつけて、消し止めた。

(その後は……)

 そうだ、その後が大変だったのだ。

(おしちお嬢様が……)

 御店の一人娘お七は、襦袢姿で近くの塀に凭れて座り込んでいた。

(お七お嬢様、まるで傀儡くぐつのようだったわ)

 月夜に照らされたお七の顔は、浄瑠璃の人形のように青白く、それでいて美しかった。

 それが、おゆきの見たお七の最後の姿だった。
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