恋は白い箱の中

結城 鈴

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 それから二週間足らず。東が、沈鬱な顔をして、現場に現れた。もしかして、と思った勘は、的中していた。
「野中さん。おはようございます。あの・・・チロの件・・・。昨夜苦しまずに逝ったそうです。亡骸を引き取って、火葬して、遺骨はダイアモンドにできるサービスがあるとか。それにしようと思っています。もう、ずっと一緒にいてやりたくて・・・。話を聞いてくれて、ありがとうございました。」
泣きはらした瞼。乾いた唇。可哀想で見ていられなかった。
「残念でしたね。」
「でも、これからずっと一緒にいられますから。」
そう言って、涙をこらえている姿が、愛おしかった。
「休んでてください。何かあったら声かけますので。」
「はは・・・。じゃぁ、お言葉に甘えて。」
東は、車へと戻っていった。
また、泣くんだろうな。そう思うと、そばにいてやりたい気持ちが勝った。立場上、できないことだった。
乗り越えろ、なんて、簡単には言えなかった。
 お昼休憩。持参した弁当と、冷えた麦茶で一息つく。
東は、お昼をどうしたろうか。十時の休憩の時も、姿を見せなかった。車中は熱い。ちゃんとエアコンを入れているだろうか。心配になり、メールを送ることにした。
『お昼、一緒にどうですか?』
しかし、いくら待っても返信がない。嫌な予感がして、東の車へと向かった。フィールダーは、案の定エンジンがかかっていない。東が、中でぐったりしているのが見えた。
「東さん!」
ドアにはロックがかかっている。いくらガラスを叩いても応答がない。寝てるだけ?いや・・・これは多分、熱中症だ。
「東さん、割りますよ?」
聞こえてないだろうが声をかけて、スパナで運転席のガラスを割った。それでも、東は目を覚まさない。
「東さん!誠一郎さん!」
騒ぎを聞きつけて、職人が数人集まってきた。
「コンコン、救急車!」
「社長!番地は?」
「馬鹿!図面に書いてある!早くしろ!」
狐塚に指示をとばして、ベルトと、ワイシャツの襟を緩める。
シャツはしっとりしていたが、もう、汗が止まっている。
「東さん!東さん!」
呼びかけるが・・・。
「誠一郎さん!」
エンジンをかけて、エアコンを入れる。ドアを開けた状態で、意味があるかわからないが。
「社長!タオル濡らしてきました!」
狐塚が、濡らしたタオルを渡してくれる。首元を冷やしてやると、東が小さく呻いた。
「う・・・。」
「誠一郎さん!」
「・・・孝さん・・・?」
よかった。そうこうしているうちに、遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。近くまで来ると、音が消え、救急隊が降りてきた。
「通報者はあなたですか?」
「通報したのは部下ですが、危ないのはこの人です。」
体を開いて、東を見せる。
「多分朝から、車の中で・・・眠ってしまったんだと思うんですが・・・。意識がないようだったので、ガラスを割りました。」
「わかりました。受け入れ可能な病院を探しますので。この方お名前は?」
「東、誠一郎。年齢は四十三歳です。」
本人から聞いていた情報を伝える。ストレッチャーが到着した。
「じゃぁ、移しますので。」
救急隊が、二人がかりで、手際よく誠一郎を運び出す。救急車の中へと運んだ。
「受け入れ先、決まりました。誰か付き添える方は?」
付き添いたい。けれど・・・。
「私が車で追いかけます。」
「わかりました。お願いします。」
誠一郎の、車の助手席にあった、財布とスマホを目で確認し、
そのまま誠一郎の車に乗り込んだ。
「コンコン、できるところまで作業進めるようにみんなに伝えてくれ。病院に行くから、連絡が取れなくなるかもしれない。よろしくな。」
「はいっ。」
狐塚の返事を聞いて、車を出した。救急車は、どうやら、この辺で一番大きい、ERのある病院へ向かうようだった。

 誠一郎が目を覚ましたのは、日が暮れてからだった。
病院のベッドの上。点滴のルートが繋がっていた。重度の熱中症だった。
「・・・あれ?」
小さく言葉を発した誠一郎に、ため息をつく。
「気がつきましたか・・・。」
「あの・・・私・・・?」
「ここは、現場から一番近い病院ですよ。あなた、熱中症で倒れたんだ。・・・今、看護師さん呼んできますから。」
カーテンで仕切られたベッドサイドに置かれた椅子から、重い体を起こして立ち上がる。ナースステーションは、扉を開けて目の前だった。目の離せない患者の部屋。そこに誠一郎はいた。忙しそうに動き回る看護師に、東さん、気がつきましたと声をかける。すると、お団子頭の若い看護士が、対応してくれた。
「よかった。気がついたんですね。先生呼んできます。」
ほ、っと気が抜けて、また誠一郎の病室に戻った。
いつもなら、書類整理をして家に帰る時間。咲江がご飯を作って待っているだろうか。連絡しないと・・・。
胸ポケットのスマホに触れる。どこか、電話のできるところに行かないと。
「すみません。迷惑かけたんですね。私・・・。」
誠一郎が力なくそう言った。
「車、運転席の窓、割っちゃいました。雨は降らないと思いますが、一応ビニールかけてあります。車は、病院の駐車場に。わたしが運転してきました。」
「ありがとうございます。助かりました・・・。」
「まさかとは思いますが・・・チロのところに、行く気だったんじゃないですよね?」
「そんな。死ぬつもりはありませんでした。不注意で。昨夜全然眠れなくて・・・それで・・・。」
眠れなかったのは、昨夜だけではないのだろう。目の下のクマが色濃かった。
「ずっとついていてくださったんですか?」
「昼飯の途中だったんで・・・院内のコンビニに行ったりはしましたよ。」
ちゃぷ、と缶コーヒーを揺らして見せる。
「そうですよね。孝さんまで倒れたら、明日から困っちゃいますものね。」
そこに、看護師と連れ立って、医者が入ってきた。
「東さん、気がついてよかったです。危なかったんですよ。」
終わりそうな点滴をちらりと見て、もう一本追加しましょうか、と医者は言った。それに、看護師が対応する。
「三日ほど入院が必要かと思います。ご家族は?」
「・・・いません。」
「・・・保証人とかなら、私がなりましょう。」
「あなたは?」
医者が不審そうに尋ねる。
「一緒に仕事をしている者です。」
「そうですか。本当に身内が誰もいないようなら、では。お願いしましょうか。」
それに頷いて、看護師から書類を受け取る。
「帰る時までに、住所と、お名前と、連絡のつながる電話番号をお願いします。」
「わかりました。」
医者と看護師は、そう言うと去って行った。
「よかったんですか?」
「・・・だって、他に頼れる人がいないんじゃぁ。仕方ないですよ。」
ちょっと、家内に電話してきます。と、席を立った。入れ違いに先ほどの看護師が、点滴のパックを持って入ってきた。
「野中さんどちらに?」
「電話です。」
「廊下をまっすぐ行ったところに、談話室がありますので、そこなら電話大丈夫ですよ。」
「ありがとうございます。」
もやもやしながら、電話を掛けに行く。このもやもやは何だろう。誠一郎が助かってよかった。咲江に電話・・・。
談話室はすぐにわかった。電話のマークがついた小部屋がある。そこに籠ると、咲江に電話を掛けた。いきさつを話していると、咲江が電話を遮った。
『ちょっと・・・孝さん、もしかして泣いてるの?』
「え?」
目元を拭うと、指先が濡れた。
「あれ?おかしいな・・・なんでだろう?」
『もう・・・。よっぽどその人が大事なのね。今度連れていらっしゃいよ。』
「うん。元気になったら。」
伝えてみるよと、通話を切った。
誠一郎の部屋に戻る前にと、トイレに寄り、顔を洗い、首からかけたままになっていたタオルで拭いた。涙の痕は見せたくなかった。
 病室に戻ると、誠一郎は起きていた。
「すみません。ご迷惑おかけして。」
「いえ・・・。社員が怪我したときなんかも、時々保証人になったりとかはするんですよ。」
伝えると、誠一郎はそうですか、と目を伏せた。
「私のね、別れた妻は・・・看護師をしていて。今は看護師長か・・・。一人で、自立して生活してるんですよね。
同期入社の社員もみんな役職についたりして・・・家族もって、子供育てて・・・。
こんな、私みたいに、月単位で単身赴任させられてる四十代もういませんよ・・・。
何やってるんだろう・・・。こんなの。恥ずかしくて、チロに合わせる顔がない・・・。
・・・なんでみんな私を置いていってしまうんでしょうね。」
誠一郎は、自嘲気味に笑った。
「・・・チロちゃん、今どこに?」
「妻の実家に・・・。」
「早く火葬しないと傷んでしまいますね。」
誠一郎は頷いたが、動ける身ではない。どうしようか。
「奥さんの実家って、どこですか?」
「埼玉です。東京とは、接しているので、ここからならそんなに遠くないんですが・・・。」
動けない、か。火葬して、ダイアモンドに加工したいと言っていたな。かといって、平日は自分が動けない。今日はしかたないが、いつもなら現場で作業しているはずだった。
「火葬、ご実家に頼むしかなさそうですね。」
「・・・最後のお別れにも立ち会えないなんて・・・。」
本当に、情けない飼い主です、と誠一郎は泣きはらした目をまた潤ませた。
「話せるなら、電話、しておいた方がいいですよ。携帯と財布は、そこの引き出しに入れましたから。」
「ありがとうございます。」
「何なら私が話しましょうか?頼みにくいでしょう?」
「いえ。それくらいは。せめて・・・してやらないと。」
誠一郎は、指先で目元を拭うと、引き出しを開け、スマホを取り出した。じっと見つめている。
「看護師さんに、聞いてきましょうか。急用で、電話を掛けたいけれど、って。」
「あぁ。お願いします。まだ動けなくて。」
誠一郎は、スマホを持った手を、ぱたりとベッドに倒した。
力ない誠一郎を見かねて、立ち上がる。ドアを開けて、ナースステーションへと向かった。

 電話は、一人部屋だし、誤作動する機器もないから少しなら大丈夫とのことで、誠一郎は火葬のお願いをしたようだった。夕食が運ばれてきたので、帰ることにした。
「現場の進捗は毎日報告に来ますから、ゆっくり休んでくださいね。・・・じゃぁ。また。」
さりげなく、会う算段を取り付けて、病室を後にする。
誠一郎の車で病院まで来ていたため、タクシーで会社まで戻ることにした。途中、狐塚から電話で、今日の予定はこなしたので会社に帰ります、と連絡があった。会社で社員に会えるかな。謝らないといけないな。
そんなことを思いながら、窓の外を目で追っていた。
フィールダーのガラスも、直さないといけない。最寄りのトヨタでいいだろうか。連絡してみよう。
今日はもう遅いから、また明日。
明日することが二三増えたな、と思いつつ、仕事もしなければ、とため息をついた。

 家に帰ると、咲江が夕食を温め直してくれた。いつもよりも遅い夕食。彼女は先に食べたという。
「ごめんな。」
「何言ってるの。」
咲江はため息交じりにこたえた。
「咲江・・・俺・・・。」
「なぁに?」
ビールもつける?と聞かれるが、そんな気分じゃなかった。
好きな人ができたかも。年上の、男で・・・。
この気持ちは何だろう?
咲江のことはもちろん大切に想っていて、裏切ろうとは思わない。大体にして、誠一郎とは、今の現場かぎりの付き合いだ。
どうしてこうなってしまったのか。
誠一郎が、あんなふうに泣いたりするから・・・。
夕食だったという、春巻きと、胡瓜とタコとわかめの小鉢、高野豆腐の煮物に、つみれ汁とご飯。それを、口に運びながら思う。
可哀そうな誠一郎。そんな彼が愛おしい。でもこの気持ちは伏せておかなければならない。あくまで、仕事上の付き合い。
それを崩したら・・・きっと話すこともなくなってしまう。
明日から、何事もなかったように、なるべく普通に過ごさなくては。
咲江には悪かったが、料理の味がまるで分らなかった。
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