期限付きの猫

結城 鈴

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 「お父さん!なんで、レンタルで交渉成立なわけ!?」
明日の引っ越しに備えて、荷造り中だ。荷物は着替えとスマホの充電器と、タブレット。あとは、あちらで用意してくださるそうで。
その様子を、部屋の入り口で見ている父親に抗議する。
「なんでって、お前いつまで家業手伝いしてるつもりだ?」
「いつまでって・・・。」
「それに、北村さん、いい人そうじゃないか。猫好きに悪い人はいない。手が空いたらうちの照明も見てくれるっていうし。」
いやいやだからって・・・!
「レンタル料、一日一万円は破格だぞ。」
北村の提示した金額は、確かに自分の価値に対しては割高だ。
そのかわり、猫の世話だけでなく、半年間北村の家のハウスキーパーを兼任することになったのだが。
「僕・・・ご飯作れない・・・。」
「それは、あちらも理解してくださった。最初のうちは、レトルトでも、冷凍でも、なんでも食べるとおっしゃってくれたじゃないか。」
そうだけど。
ほぼ初めて会った男の人の家に、住み込みで働きに行くなんて・・・。不安しかない。
「なんでも経験。お前は男なんだから、そういう心配はないしな。」
「そういう?」
「セクハラとか。パワハラは多少は我慢しろ。それも経験だ。」
セクハラ・・・ねぇ。
僕は現在二十五歳。獣医学部の受験に失敗し、女性だらけのトリマーの専門学校に入学、卒業。その後、トリミングの店舗を五店舗転々とし、現在に至る。なぜ、そうなったかと言うと、すごいのだ。女性は。
男の少ない業種で、周りはほとんど女性だらけ。そんな中でさらされたのが、逆セクハラの嵐。もう、ほとほと辟易して、実家であるこのラブキャットに逃げ込んだのだが。自分だって、まさか家業手伝いで二年も過ごしてしまうとは思っていなかった。いっそ、資格なしでもつける職業に転職しようかと考えるくらいだ。けれど、女性のいる職場は苦手になってしまっていて、うっかりバイトもできない体になってしまっていた。女性からのセクハラで、おなかを壊してしまうのだ。
「いいじゃないか。お前の第一希望、女性のいない職場だぞ?」
「そうだけどー・・・。」
「あんな高い猫買ってくれて、店としてもアフターケアをしないとな。」
アフターケア!?半年は長すぎだろう!
一人、憤りながら作業を進める。
まったく!見ず知らずの男に、息子を預けるとか、心配じゃないのかな。ありえない!ありえない!
「大体、ケアは母さんの仕事でしょ!」
獣医なんだから!と喚くも、獣医にまでかからなくていいようにケアするのが、トリマーの仕事だろ、と言い負かされてしまう。
かくして、翌日、北村の家に就職することになった。

 翌日、金曜の夕方。雨はみぞれに変わり、やがて雪になった。そんな中、北村は車でラグドールと自分のお迎えにやってきた。
「お待たせ。いや、酷い渋滞で。でも、猫を公共の交通機関に、しかも今日みたいな日に乗せるわけにいかないだろう?」
確かに。車の方がまだ安全と言える。車は白のフォレスターだった。悪路に強い車だという印象がある。これなら雪道も安全に進めるだろう。
「環君、荷物はそれだけ?」
とは、大ぶりのスポーツバッグ一つだ。荷物の大半は服だったが。北村は、ラゲッジスペースにバッグを積み込むと、猫は後部座席に、と言った。支払いは昨日のうちに済んでいて、あとは当面必要な、猫トイレや砂、フードや爪とぎ、それとおもちゃを購入してもらっていた。猫以外の荷物はラゲッジスペースに積み込む。猫のバスケットを後部座席に置き、シートベルトで固定すると、君は前に乗ってね、と助手席のドアを開けられた。
「じゃぁ、行ってきます。忘れ物・・・ないつもりだけど、あったら取りに来るから。」
そう、見送りの父と母に言って、車に乗り込んだ。行ってらっしゃいと見送られる。
車が、ハザードランプを消し、右手にウィンカーを出す。そして、やけにあっさりとした別れを済ませ、半年間のレンタルに出された。
渋滞の中、車は時々止まりつつも進んでいく。北村が、ちら、とこちらを見た。
「忘れ物、ありそうなの?」
「ないつもりで来ましたけど。」
「そう。足りないものは買っていいよ。支度金用意したから。」
支度金?
「就職祝い金、ってやつかな?十万円。好きに使ってくれてかまわないから。」
「じゅ・・・。」
「少ない?」
足りなかったら、都度言ってね、と北村は車を走らせる。
「・・・多いです。」
北村の金銭感覚がわからない。勧められたからと言って、あんなに高い猫を一括で買ってみたり、自分をレンタルしてみたり。しかも破格で!さらにそこに来て祝い金ときた。正直、家業手伝いで、お小遣い程度しか給料と呼べるものをもらってこなかった自分には、過ぎる額だった。ハウスキーパーの仕事だって、何をすればいいのか・・・。自炊はしたことがあるが、人さまに食べさせるような食事は作ったことがない。
不安でいっぱいになっていると、名前どうしようか?と問うてきた。
「名前ですか?呼びやすくて、猫が聞き取りやすい名前だといいですよ。昔からあるような。」
「じゃぁ、タマ。」
「えっ?」
タマ、ってそれは・・・。
「いくら何でも安直では?」
「え?だって君、環君でしょう?タマで十分でしょ。」
なんだ。自分の名前か、って。もしやこれが新手のパワハラか!?
「決まりね。よろしく、タマ。」
「・・・よろしくお願いします。」
「猫の方は、昨日一生懸命考えたんだけど、アンにしようかと思ってて。アンジェラのアンね。どうかな?」
猫の名前は、一生懸命考えたんだ・・・。
「いいと思いますよ。アン、とニャンは響きも似てますから、猫には聞き取りやすいかも。早く覚えてもらえるといいですね。呼んで返事してくれたり、寄ってきてくれたりすると、可愛いもんですよ。」
「ふーん。・・・ねぇタマ?」
「はい。」
返事をすると、北村は、満足そうに笑った。
あ、この人笑うんだ・・・。
「あぁ。確かにいいもんだね。返事が聞けると。」
試したのか!
「・・・猫の話です、僕じゃなくて。」
北村は、そうだね、とまた笑った。
何が楽しいんだろう。僕は全然面白くない。
そうこうしているうちに、一時間ほどかけて、車は北村のマンションについた。地下の駐車場に、車は滑り込んでゆく。
それにしても・・・でかい。
なるほど、金銭感覚がおかしいわけだと頷けるような、そんな大きさのマンションに、北村の家はあるようだった。地下から、一階のエントランスに入る。郵便受けの数は、そう多くない。つまり、これだけの大きさの建物のわりに、住人は少ないのだろう。あるいは、すべてファミリー向けか、お金持ち向け。
はーっとため息していると、北村が、うちの郵便受けこれだから、と一番上の段の、左端を指した。ローマ字でKITAKURAと書いてある。
「え?きたくら?」
「あぁ。そうそう。北倉。本名は、北倉孝利(きたくら たかとし)北村は、仕事上の名前なんだ。」
「なんで・・・?」
「よく当たる占い師に、画数が良くないって言われて。おかげで、名前を変えてから、こんなところに住めるまでになった。」
占いすごい・・・。
じゃなくて。
「え?じゃぁなんて呼んだらいいですか?」
「孝利さん、って呼んで。二人の時には。」
「孝利さん、ですか。わかりました。」
孝利が、カードキーを使って、オートロックを解除する。広いエントランスには、コンシェルジュがいた。かなりの美人な女性だ。お帰りなさいませ。と声を掛けられ、ペコリと挨拶する。
「住人が、一人と一匹増えますので、あとで手続きに伺いますね。」
孝利はそう言うと、アンのバスケットと、荷物を背負った自分を連れてエレベーターに乗った。もしかしなくても最上階だ。重力を感じながら、階数を見つめる。ポーンと音がして、エレベーターが止まると、フロアにドアは二つしかなかった。
こっちがうち、と右手側のドアを指され、カードキーで開けるのをなんとなく見ていた。すると、こちらを振り向いて、孝利が言う。
「タマの分の鍵、手配しておいたから。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
買い物なんかもしてもらうから、よろしくね、と中に入っていった。それについていきながら、お邪魔しまーすというと、ただいまでしょ、と直された。
「あの。僕、ほんとにこんなところに住みこんじゃっていいんですかね?」
「もちろん。部屋は用意したから、ある程度のプライバシーは保てるようにしたよ。」
それより、アンはどうしたらいいの?と聞いてくる。
「あ、入っちゃまずい部屋とかありますか?まずはそこを閉めて、あとはいてもいい部屋の隅に扉を開けて置いておいてください。気が向いたときに勝手に探検はじめるので、そしたら、しばらく見守りですね。・・・車からトイレとか運んでこないといけないですよね。僕いってきましょうか?」
「いや。それは一緒に行こう。ついでにコンシェルジュに寄って、君の鍵をもらってこよう。」
孝利は、何カ所かのドアを閉めて回り、リビングにアンを置いた。
「あ、いきなりいたずらはしないと思いますけど、扉を開けるのは、孝利さんが部屋に戻ってからの方がいいですよ。」
「わかった。じゃぁまずは取りに行こうか。」
もと来た道を、車まで戻る。一抱えはある猫トイレの箱を持ち、他のものは孝利に持ってもらうことにした。
「タマ、大丈夫?前、見えてる?」
「だ、大丈夫です。」
身長に対して、大きいのだ。トイレの箱が。
「手間だから、寄り道するよ。」
孝利は、カウンターへと歩いてき、ベルを鳴らした。すると、先ほどの女性が出てきた。
「北倉様。お待たせいたしました。」
「頼んでおいた鍵と、あと同居人の登録を。」
「かしこまりました。」
女性は一礼すると、カウンターの端末を操作し始めた。
「同居する方は、そちらの方ですか?」
「そうです。タマキ、ケント。環状線の環に、健康の健、北斗七星の斗。」
孝利が、さらりと名前を説明したので、少々驚いた。『タマ』なんて呼んでるから、本名を覚えているとは思わなかったのだ。なんとなく、くすぐったい。
「それから、猫が一匹。」
「差し支えなければ、性別と品種をお願いできますか?」
「メスのラグドールです。名前はアンジェラ。」
「恐れ入ります。登録は完了いたしました。こちら、予備のカードキーでございます。お持ちになるのは環さんですか?」
「あ、はい。」
両手がふさがっていて、孝利が代わりに受け取る。
「ご用件は以上でよろしいでしょうか?」
「はい。ありがとう。」
孝利はそう言うと、女性が開けたエレベーターに乗り込む。慌ててついていきながら、すごいところに来てしまったと、あらためて思った。
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