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 わぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・!海だぁ!
ランと海沿いを走るのは二度目。でも、前回は夕方海から離れる方に走ったし、でも今回は違う。朝から海に向かって走っている。海なし県民の自分にとって、キラキラ光る海は、やはり何ものにも代えがたく特別だった。そんな自分の様子がおかしいのか、ランがご機嫌だ。ステアリングを握る指先が、音楽に乗ってトントンとリズムを刻んでいる。今回のドライブの音楽チョイスは、任されたので、好きなボカロのアルバムを流している。自分は知っている曲なのでノリノリだが、ランはどうかと思っていて、でもどうやら杞憂だ。
「ラン、こういうの好きだった?」
「よくは知らないけど、水色のツインテールの子でしょ?すごいよね。人が歌ってるわけじゃないのに。」
「神調教とかって言うんだよ。上手な人は人以上に歌わせるんだ。オレは大好き!」
テンションも上がる。黎明期の古い曲から、さかのぼって聞いている。
「あ、この曲知ってるよ。」
ランが、鼻歌を歌い出す。それは自分もついつい口ずさむ有名な曲で。知っていてくれたことが嬉しくて、にっこにこだ。
好きな人と、好きな事を共有できるって、すごいな。
・・・好きな人・・・。
カーッと顔が熱くなる。
オレ、ランのこと、好きなんだなぁ・・・。
「・・・どうかした?もうすぐ着くけど、オープン前から並んでおく?それとも、少し遊んでから待つ?」
お盆明けだし、八月も末だから、クラゲだらけであんまり遊べないけど、とランが申し訳なさそうに付け足す。
「なるべく涼しいうちに並びたい。」
「海だし、暑いのは覚悟してほしいのと、みんなそのつもりで並ぶよ。」
それもそうか。
「とりあえず、駐車場が確保できなかったら、その時考えよう。」
ランがナビの視点を指先で切り替える。
「わかったー。」
車で移動するデートは、というか、恋人になってからのデートが初めてなので、まるっとぜーんぶお任せだ。でも、ランはそれを心地よさげにしている。ランの誕生日だけど、甘えよう。
「さぁついた。良かった、空きあるね。停めたら少し歩くけど・・・。」
「大丈夫!」
楽しみ。ランが見つけたジェラート。でも、本当は、ランが作ったジェラートが好き。最初に食べたライチの・・・。
きっとあれが、オレの初恋の味・・・。
もう、二度と出会えない、淡い香りと甘みと、少しの苦み。
あの時は、さらっと飲み込んじゃったけど。きっと・・・。
キス・・・とかしたらあんな味。
無意識に唇をペロ、と舐めてハッとする。
ちら、とランを窺うと、車を停めて、降りる支度をしながら、こちらを見ていた。
「・・・したそう。」
「あ・・・うわ?」
なんで、わかっちゃうの?
っていうか、キスって、したくなってするものなんだな。
されちゃうものかと思ってた・・・。
そ、と顎をすくい上げられる。
つい、と指先でなぞられるが、ランは、ふふ、と笑って離れた。
「したいけど、明るいからあとでね。」
コクコクと頷いて、止まっていた息を吐き出す。
「びっくりしたぁ!」
からかわれたのかな。
キスのタイミング拾うの、上手すぎないか?
もしかして、そんな風に女の子ともしてたの・・・?

あ。やな気持ち。

だめだよ。今日は誕生日なんだから、いい思い出にしてあげるんだから。
笑ってなきゃ。
こういう日、こういう時の、『恋人』としての気持ちとか態度とか、どうしておくのが正解かわからない。間違ったら嫌われちゃう?どんな自分を求めてるんだろう?
どんなオレを、好きになったの?
今日オレ・・・うまくやれるかなぁ・・・。

 海風が強くて、時折吹く突風にあおられる。とばされそうになる自分と、どっしりと歩いていくラン。風にはためく今日の服は、ランが爽やかな白のTシャツで、自分は同じデザインのブルーグレー。お揃いなようで、そうは見えないように選んでいるのがわかる。自分たちだけわかればいい。そんなニュアンス。
「おいで、こっち。あそこのジェラテリアだよ。夏しか営業してないから、来月にはしまっちゃうの。」
「通年じゃないの!?」
混むわけだ。
慌てて目を凝らすと、オープン前の時間なのに、そちらに向かう人が見え、入口の近くに列ができ始めていた。
「バラのやつは特別だから、時間かかるし・・・待つのは覚悟してね。」
「わかった。」
とはいえ、店に近づくにつれて、客層が見えてくる。圧倒的にカップル。それと女性。子供連れはいないが、これはもしや・・・男同士で来るところじゃなかったかも・・・。
どうしよう。
不安になって、足が重くなる。ランとの距離が、少し開いた。
足はどんどん重くなり、止まってしまう。足元に視線を縋らせていると、自分の影に、もう一つ影が重なった。
「ラン。」
「どうしたの?」
オレが、女の子だったら・・・。でも、それじゃ・・・。
「・・・ん。なんでもない。」
「・・・混んでる時間を避けたかったけど、多分、そんな時間はないと思ったから。・・・無理させちゃった?」
なんでそんな風に、見透かしたこと言ってくるの?
「無理じゃないよ。」
「大丈夫だよ。」
なにかあっても、俺がちゃんとまもるよ。
耳元に、ランが低い声で囁いた。
ふわ、とランの甘い香りがする。
かぁっと耳が熱くなる。
「楓李は、すぐここ、赤くなる。」
ランがクス、と笑って手を取った。
「ほら、握っててほしい?放してあげないかも。」
冗談なのか本気なのか、ランの手にぎゅっと力が入る。
「手を繋いで、あそこに並ぶ勇気はまだちょっとないです。」
ごめん、とあやまると、俺はみんなに自慢したいけどね、と返された。
「旅先だし。誕生日だしさ。浮かれてるから、ちゃんと握っててよ。」
ね?と笑って歩き出す。
ランは、オレが恋人で嬉しいんだ。
瞳がキラキラしていて、幸せそうに笑うのに、安心感を得る。
同じくらい、安心させてあげたい。
オレの気持ちがわかるのは、気を使ってるからなんだ。
同じ目線で一緒にいたい。

 列に並ぶと、すでに七組ほどの客がいる。二人組が多くて、カップルの様だったり、夫婦の様だったり。やはり、男同士は珍しい雰囲気だった。
所々に、メニューのブラックボードがあって、白いインクでおススメが記されている。
「ラン、なににする?」
「んー・・・。マンゴーかな。」
「シングル?」
尋ねると、うん、と頷いた。
「楓李のに時間かかるだろうし、俺は量を食べたいかな。」
そっか。バラのやつは、二種類からしか選べないらしい。でも、大好きなストロベリーと、オレンジだ。これはもう、両方頼むしかない。
わくわくしながら待ってはいるが、いかんせん暑かった。
「帽子か日傘がいるね。来年は。」
ランが、来年、と口にする。そんな言葉一つに舞い上がる。
「来年?来年もここに来る?」
「え?来ないつもりなの?初デートで誕生日の記念の場所だよ?」
言葉にされると、気恥ずかしいが、それよりも嬉しい気持ちが勝った。
ランも、そんな風に思っていてくれている。それが嬉しい。
嬉しい、嬉しい。
あぁ。恋をするって、こんなに跳ねまわりたい気分なんだ。
些細なことに一喜一憂して、感情ぐちゃぐちゃで。
自分は今まで、二番目のお兄ちゃんって自負で生きてきたけれど、ランの前ではそんな気負いが必要ない。
息をするのがすごく楽。
そして、吸い込んだ甘いランの香りに、ひどく落ち着いている。
「あ、ほら列が進んだ。もうすぐだね。」
さりげなく、太陽からかばうように立ってくれるランを眩しく思う。
オレの彼氏カッコイイ。
列に並ぶどの男性より背が高い。
なんだろう。もっと、劣等感を抱くのかと思っていたのに。
誇らしい気持ちの方が先に立つ。
この雄に、欲しがられてる。
自己肯定感が、上がる。それを自覚する。
影の薄い二番目でも、戦力外でもないのだという確信。
あぁ。オレはオレでいいんだ・・・。
唐突に、それを理解して、海に向かって叫びたくなる。
「楓李?」
「うん。ふふ。」
笑みがこぼれる。
占い師の言っていたことは、こういうことなのかも。
これが、幸せなんだろう。
あとは、オレが、ランの幸せにならなきゃいけない。
 そうこうしているうちに、順番が来た。
オーダーして、コーンの上にジェラートのバラが出来上がる。するすると吸い込まれるように作りこまれていくその様に、瞬きを忘れた。ぽかんと口をあいてしまい、そうしているうちにランが受け取って、渡してくれた。
「うっわ!すっごい!」
驚きのあまり、語彙も忘れる。
ランは、自分のぶんのマンゴーのカップを受け取って、目を細めている。
「あっち、空いてる席あったから、座ろう。」
おとしたら大変だ、と誘導してくれる。
パラソルの下に、白い樹脂のテーブルセットがあり、そこにそろそろと座った。
「めちゃくちゃすごい。っていうか、重い!」
ぎっしりと詰まったジェラートの上に、三段重ねのバラの花束が作られている。スプーンは刺してあるが。
「ねぇ!これ、どこから食べるの??」
「あっは!かぶりついてもいいんじゃないかな?」
さすがのランもテンション高めだ。
「いい?がぶっていっちゃうよ?」
「どうぞー。あ、食べてるところ、動画とらせて。」
「動画?写真じゃなくて?」
「全部保存したい。」
なにそれ、と笑い合い、かぶりつく。苺の甘みと酸味に、オレンジの香りが混ざり合う。冷たい。
「美味しい~!」
ランを見ると、スマホを構えて嬉しそうにしている。
もったいないとは思ったが、食べきらないとランが食べられそうにない。モリモリ食べ進めて、コーンに差し掛かった。
「うん。いい顔とれた!」
「終わる?」
「俺のが溶ける。」
頭の中にメロディーが流れる。溶けてしまいそう。
「食べちゃって。オレ、こんなに満足したの初めてかも!」
幸せ、と唇を舐めていると、ランが耳元に囁いた。
「赤くなってて、美味しそう。」
つん、と唇をつつかれる。
「ひぇ。」
「甘そうだなぁ。」
「ちょと・・・。」
ランは悪戯っぽく笑うと、マンゴーのカップを一掬いし、口に運んだ。
「濃厚!」
「だよね!濃いよね!」
「個人店じゃないと、ここまではこだわれないかもなぁ。」
「えっ?市場調査なの?」
首をかしげると、ランは、まさか!デートです、とニヤリと笑った。
「ほら、あーん。」
「う。」
「あーん、は?」
促されて口を開くと、ランのマンゴーを乗せたスプーンが唇に触れ、舌に乗った。
「うま。」
っていうか。それは、間接キスっていうやつです。
ランは、狙ったのだと言わんばかりに、もう一掬いして、自分の口に入れた。
「うん。おいしい。」
「・・・ランはーいちいちやることがあれです。」
「あれ?」
「い、いちゃいちゃです・・・。」
ぷしゅーっとなりながら、樹脂のテーブルに額をつける。
「好きでしょ?」
「オレ、少女漫画耐性ないんですぅ・・・。」
「なんならあるの?」
「・・・びーえる?」
そっちの方がヤバくない?とランが笑いだす。
「笑うことないじゃん・・・。」
「・・・ごめんね?お勧めの漫画、今度貸してよ。」
「もってませんー。」
そうなの?そうだよ、と言い合って、溶けたジェラートを飲み干した。

 カツオノエボシの画像を見せられ、細心の注意で砂浜で戯れる、そんな昼過ぎ。ひとしきり遊んで、することも無くなり、買ってきたサンドイッチで軽い昼食も食べたころ、ランがおずおずと切り出した。
「あの、さ。足も汚れたし、日帰り温泉とか、どうでしょう?」
おん、せん・・・?
温泉って、裸になるよね?
返事に迷っていると、ランが申し訳なさそうに、やっぱり嫌だったかな、と首を傾げた。
「や・・・うーん。・・・一緒に、入るよね?」
「あ。うん。駄目な感じね。・・・大丈夫、調べただけで、予約したとかじゃないんだ。いけたら楽しいかなって思っただけで。」
そう、だよな。楽しいよな。でも・・・体を見られるのは、というか痣を見られるのは抵抗がある。そろそろ、打ち明けなければならないかもしれないけれど。
嫌がられたら・・・。
ゾクリと背筋に冷たい汗が流れる。
ランは、ひどいこと言ったりしないと思うけど・・・。
ましてや男同士。子供に遺伝する、なんて暴言吐かれたりもあり得ないけれど。それでも・・・。綺麗なものではないから。
「・・・ごめん。」
「ごめん。聞いてからにすればよかったよね。急にこんな。
あ・・・その下心とかじゃなくて・・・。」
「・・・プール、とかなら。水着きてていいなら大丈夫だから、また今度誘ってよ。」
水着、腿までのなら大丈夫。
「うん。そうね。プールね!ジムのプールとかでもいい?遊べる感じがいい?」
そんな顔しないで、とランが苦笑する。
「その・・・ごめん。裸になるの、抵抗あって・・・。」
正直に話すと、ランが苦し気に目を細めた。
「・・・信用、ない?」
「えっ?」
ランは、眉根を寄せて困った顔をしている。
「や、ちが!そうじゃなくて。これは、オレの問題だから。気にするなって言っても、するだろうけど。その・・・覚悟ができたら、ちゃんとするから。」
しどろもどろに弁解すると、ランは分かった、と笑顔を作った。
「どうしよう?帰る?あとは、行ってみたいカフェがあるから、そこでおやつでもいいかな。フルーツのクレープが有名みたい。早い梨とブドウが食べられるみたいだよ。」
シャインマスカット、好きでしょ?と問われる。
「うん。食べたい。」
「もちろんコーヒーも美味しいみたいでねー。」
ランは饒舌だ。さっきまでの雰囲気が嘘みたいに楽しそうにしてくれる。空気を壊さないように努めている気配に、合わせようとして思い出した。
「そういえばさ。本社で初めて会った時に、市場調査に付き合ってって言ってたの、あれ、本気だったの?」
「・・・もちろん。コーヒーを飲みに行く口実で、お付き合いしてくださいって、口説いたんだよ。」
は?え?
社交辞令ですらなく?口説いた??
ぽかんとしていると、ランがなんて顔してるのと笑った。
「楓李が欲しかったの。なりふり構っていられなかったから、最初から全力だったんだよ?」
なんで?いつから?
「いや、だって、初対面??」
「ふふ。それはまぁ。俺の口からは。・・・思い出してよ。」
思い出す・・・?
記憶のどこにもランがいなくて焦る。そんな様子に、クスクス笑って、さぁ駐車場に戻ろうか、と服の砂を払い始めた。真似てズボンや足の砂を払う。
「結構スナスナだねー。」
「ほら、だから、温泉入った方が良かったでしょ?」
「もー。ごめんてば。」
あははとランが笑って手を引く。砂でざらついた手をつなぎ、防波堤を登った。
思い出せそうにない、ランとの記憶を探りつつ、手を引かれて歩いた。
 距離感は、かなり近くなったな。
つないだ手をじっと見て、また耳が熱くなるのを感じた。

 帰り道のドライブ中、不意に音楽が途切れ、電話の着信音が響いた。
「えっ?なに?」
「ごめん。スマホが、ブルートゥースで繋がってて。母です。出ていい?」
言われて、センターのモニターを見ると、碧と書いてあった。
なんて読むんだろう?
思っている間に、ランが通話にする。
「お待たせしました。ごめん、ドライブ中で。」
『あら。デートなの?運転中なら折り返して。じゃぁまた。』
想像以上に大きな音声で、女性の声はそう言うとあっさりと通話が切れた。
「・・・ごめん。忙しい人で。いつもこんなだから気にしないで。・・・誕生日だから、話したかったのかな。」
「デートなの、言ったの?っていうか、男同士・・・。」
「ん-・・・。まだ、だけど。出かけるって言って、食事に誘われたのを断ったから、探り入れてきたんだと思う。」
強そうなお母さんだなぁ。
なんて読むの?と尋ねると、ミドリだよ、と教えてくれる。
「母がミドリで、俺は藍(アオ)って書いてランだから。」
「へぇ。色繋がりなんだ?」
「色っていうか、宝石にちなんだみたい。俺はアクアマリンだよ。知ってる?」
言われて頷く。透明な青い石だ。いつの誕生石だったろうかと、うろの記憶を探っていると、石言葉って知ってる?とまた聞かれた。
「そんなのあるの?花言葉みたいなやつの?」
「そう。気が向いたら調べてみてよ。」
わかった、と頷いて宝石かー、と首をかしげる。ランの瞳はどちらかと言えば緑がかっているのに、ミドリじゃないところが不思議。
「どうしたの?」
唸っていたのを不審に思ったのか、ランが信号で止まってこちらを向いた。
「アオは名前の候補に入らなかったのかなーとか。緑系で何かなかったのかなーとか。」
「なんで緑?」
目の色だよ。綺麗で好きだよ。と口にすると、ランが嬉しそうに笑う。
「あぁ。日本では、アオって馬の名前らしいよ?」
「そんなの聞いたことない。」
「昔の話―。」
昔っていつだろう?ランは意外と、日本のことには詳しい気がする。夏の終わりの海にはクラゲが多いとか、海なし県民の自分にはピンとこなかったし。太平洋側は波が高いとか。
「ラン、海の方で暮らしたことあったりする?」
「んー。小さいころ少し、母方の祖母の家にね。海の近くだったよ。」
「へぇ。」
「まぁ。女手一つで、ハーフの子を育てるの、大変だったみたいでさ。祖母の家に転がり込んだ?みたいな時期があったんだよ。」
「それっていくつくらいの時?」
「小学生の低学年。中学に上がるのに、今のところに越したんだ。・・・その結婚相手がお金持ちでね。今のマンション用意してくれて。」
根ほり葉ほり、聞いたらダメ、と思うのに、気になってしまう。
「なんで、今は一緒に住んでないの?」
話してたんだから、死別とかでもないし、と思い切って聞いてみた。
「結婚相手の・・・今の父の実家に住むことになって。今のマンションは、俺もそろそろ独り暮らししなさいってことで、そのまま。だから、広くて。まぁアドリーナがいるけどね。その、父の家の方の祖父母が猫苦手で、飼えなかったのもあって。」
「ちょ、ちょっとまって。イタリア人の方のお父さんは?」
「健在だけど、ほぼ日本にいないし、そもそも籍を入れてないんだよ。伊住は母方の苗字。母の方は結婚したから、父の苗字になってるよ。」
聞いておきながらなんだけど・・・。複雑な家って、案外近くにあるよな、と思う。自分の育った家庭が、とりわけ不幸なわけではないが、この話を聞いただけで、ランがひねくれなかったのが不思議である。ランは、外国人との私生児だったなら、風当たりは強かったろうし、そのようなことを言っていた記憶もある。いいことばかりじゃないって、言っていた気がする。
でも、さっきの電話の声、張りがあって、元気そうだった。今の環境が合っているのだろう。結婚相手と、その家族はいい人たちに違いない。なにより、ランが嫌そうではない。
「えっと・・・。今更だけど、お母さんと誕生日祝わなくてよかったの?」
「別の日に会う約束をしたから、納得してもらったよ。あしたは、マユミさんたちと集まるし。来週にね。」
「そっか。近いの?」
「市内だよ。歩いていける。」
なら、いいか。
「紹介する、って言ったら、早いよね?」
「えっ?」
「嫌?外堀埋めたくて。俺は、なりふり構ってないんだよ。」
そういえば、それは今日聞いたばかりだけど。
「そういうの・・・。理解ある感じ?いや、まって?うちの家族には無理だよ?」
孫の顔見たいって言われてるのに、彼氏を紹介したら勘当される。
「・・・焦りすぎ・・・。だよね。自覚はしてる。ごめん。」
どうしてそんなに。
「大丈夫だよ。・・・。デートしたじゃん。」
恋人っぽいデート。
「・・・キス、までしたい。」
それはさ・・・。最後はやっぱり抱きたいんじゃないの?
不安なら、自分のものにしちゃえばいいのに。
「いいよ。・・・暗くなってからね。」
夏の夕暮れは遅い。五時を回ったのに、まだまだ明るかった。

 キスを、どこでしようかと迷った挙句、暗くてもマンションの駐車場は危険だからと、部屋に戻ることにした、七時過ぎ。一日家を空けていたせいか、アドリーナが玄関に寝そべって帰りを待っていた。ランは、玄関の棚にメガネを置くと、アドリーナの頭を撫でて、ご飯にしようか、と声をかける。なーとついていくアドリーナは、尻尾を立てていて、嬉しそうだ。自分はと言えば、帰る途中でテイクアウトしたピザを抱えて、その後についていく。ダイニングテーブルにピザを置いて、手洗いとうがいをしに、洗面所に向かった。うがいを終えると、ランが入れ違いにやってくる。
「うがい?」
尋ねると、ランが目を細めて笑う。
「うん。・・・キスしたいから。」
ちょっと待って。そういうことなら、ちゃんとマウスウォッシュ使いたかった。
慌てたが、うがいを終えたランが、くるりと態勢を入れ替える。洗面台に腰を押し付けられて、動けなくなる。
ドキドキと、心臓が高鳴る。口から出てきたら、キスしずらいだろうな、なんて思ってしまう。
いい?と目で聞かれて、ごくりとつばを飲み込んだ。
「ごめん、ムードとか、そういうのはあとでいい?とりあえずしたい。」
「ど・・・どうぞ・・・。」
完全に気おされてぎゅっと目を閉じる。洗面台に両手を乗せて体を支えると、ランの体温を感じた。どういうわけか、いつもより冷たく感じる。自分の体温が上がっているのだと気付くには、時間が足らなかった。額に柔らかい感触。右と左の頬に肌を摺り寄せ、最後に唇。温かく湿った感触に、思わず目を開けてしまうと、緑の虹彩に彩られた琥珀の瞳と目が合った。慌ててまた瞼を閉じる。ランは、何度か角度を変えてちゅ、ちゅ、と唇を合わせ、離れていった。恐る恐る目を開くと、頬を上気させたランが、ふーっと息を吐いた。ほのかにミントの香り。
つられて、止まっていた息を吐き出す。潤んだ瞳から、涙がにじんだ。
「ごめん、嫌だった?・・・男は駄目?」
その涙を指先で掬って、ランが尋ねる。
「嫌じゃないけど・・・なんか。こう・・・したなぁってカンジで・・・。」
「初めて?」
「・・・まぁ。」
ランの口角が嬉し気に上がる。
「じゃぁ、ここまでにしよう。・・・ここにいる時は、したいときにしていいよね?」
「・・・食後とかはかんべんして・・・。」
上目遣いに訴えると、それはそう、と返された。
「じゃぁ、ご飯の前にもう一回。」
ちゅっとリップ音を立てて唇を吸われる。
「早くなれて欲しいな。舌も味わいたい。」
「・・・ご飯のあとは嫌だけど、ジェラートのあとは・・・いいよ。」
「それは美味しそうな提案だ。」
ランはまたにっこりと笑った。そのまま指先で、耳朶を弄ぶ。
「真っ赤。ドキドキしてるね。」
嬉しい。と笑顔を見せる。
「一緒に寝たいって言ったら、求めすぎ?」
首を傾げられて、困ってしまう。それはさすがに、早い気がするからだ。ごめんと口にすると、ランは苦笑した。
ふと、ランの背後を見ると、食事を終えたアドリーナが、ドアのところに座って、こちらを見上げていた。ぺろぺろと口の周りを舐めている。
「アドリーナ、見てた?」
んなーお。
見てた、というように一声鳴くと、リビングの方へと歩いて行った。
ランは気にしたけれど、男だから、とかはすっかり思考から抜けていた。それよりも、同じ男であるはずの自分の股間が、熱をはらんだことに気がついて、しばらくそこを動けなかった。
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