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其の伍拾

いにしえの日本

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680年に天武天皇の勅願を受けて往生院を建立した
道昭は、乙巳の変の時に蘇我臣蝦夷宅より
「国記」を持ち出した船恵尺を父とし、
白雉4年(653年)に中臣連鎌足の長子である
定恵と共に入唐して、西遊記の三蔵法師のモデル
となった玄奘三蔵に師事。三蔵の意向により同室で
暮らしながら法相教学を学んで帰国する。
帰国の際に三蔵より法相教学は内容が
難しいだろうから、衆生を導く方便として
「禅」を勧めるようにアドバイスを受ける。
この情報から、すでにこの時点において、
「禅」が日本文化の根底に据えられる兆しが
あったように思えなくもない。
道昭自身も頻繁に「禅」を行っていて、
「禅」の最中に亡くなったそうである。
700年に72歳で亡くなった際に日本で
初めて火葬されたのだが、焼け残った灰の
すべてが風によって吹き飛ばされたそうである。
このエピソードも実に禅的である。

道昭は大仏建立の際に活躍した行基の師であり、
河内国の豪族に経済的な支援を受けて
土木事業などを展開した。行基についても同様の
活動がよく知られているので、伝わっている話の
いくつかは道昭の仕事が行基の仕事として
伝わっている可能性もある。
その周辺の情報整理がなされているかどうかは
まだ調べていないので、何ともはっきりとした
ことは言えないが実に興味深いことである。
今回の壬申の乱においても河内国は
一つのキーとなるので、これから河内国について
色々と掘り下げていきたいと思っている。

天武天皇によって日本と言う国が、
新しいスタイルに基づいて尚且つ古き良き理念を
礎として再構築されたと言う発想は、
言うまでもなくそれ以前の昔において
日本と言う国が独自の文化を持ち、
一定以上の水準をクリアしていたと言う
考えに基づくものだが、
この物的な証拠はまだまだ少ない。
古事記や日本書紀も天武天皇によって
始められた事業なので、考えようによっては、
確立された政の正当性を裏づけるためのもので
あるかのように捉えるのが極めて
妥当だと思われるが、私自身は道昭の父である
船恵尺によって持ち出された「国記」や、
他の豪族のもとにあったその他の伝書などを
収集したうえで、これらを元に再編した
ものであると言うのが本当の所であったように思われる。

また、古事記と日本書紀の相違点については、
政治的な思惑が含まれているように
読み解くことも出来るが、それはそれで様々な憶測を
生み出すうえでマイナスにはならないし、
時代が進むにつれて新たな証拠も出て来るだろうから、
想像の翼を目一杯拡げるほうが楽しい。
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