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其の弐拾漆
玉倉部邑…その後の動き
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玉倉部邑に向かった部隊の者たちが続々と戻って来た。
大海人皇子の軍はすでに玉倉部邑に得体の知れない
統率者を配置して、自分たちは為すすべもなく逃げるより
仕方が無かったと戻って来た誰もが口にした。
具体的に何があったのか聞き込みをしようにも、
空から人がやって来たであるとか、
何処からか矢が飛んで来たとしか言わない。
それらの発言を聞いた山部王が、
大海人皇子のことだから、およそ山の民の信じる
神を奉ずる者を味方につけて、大陸は勿論のこと
それよりも西方の奇策を展開してくるに違いない。
ここは一気に攻め込まずにひとまず
大津宮とまでは言わないが、引き返して何処か
手頃な場所に城を構えて籠ったほうが良いのでは
ないだろうか。と言ったので、ここへ来るまでの間
ずっと山部王に対して疑念を抱いていた
蘇我臣果安の中で何かが弾け、剣の柄に手を乗せて
これを握り引き抜くやすぐさま山部王に斬りかかった。
山部王もむざむざ簡単にやられる者ではなく
即座に剣を抜いてこれを防いだが、
その際に足を滑らせて転んでしまった所で
果安の一突きでもって咽喉を突かれて絶命した。
事が終わって傍で呆然としている巨勢臣人に
向かって果安は顔に浴びた返り血を袖口で拭いながら
「なに心配することはない。どうせ偽者だ」
と言い放った。そう言い終わった所へ、
先般大津宮において、山部王が鈴鹿関から
東へ向かったと蘇我臣果安に報告した男が
入って来て、「申し上げます。私が山部王だと
申した者は山辺君安麻呂でした」と報告したので、
果安の心は逃れようのない後悔の念に囚われ、
みずからの生命に対する尊厳を忘失した。
このことによって戦意を失ったかれは、
目の前に横たわる山部王を外へ連れ出すように
命じてから、全軍に大津宮への撤退を命令した。
その際に偶然その場に居合わせた
羽田公矢国(はたのきみやくに)と
大人(うし)の親子は、撤退する準備をする
素振りをしながら、家の者たち百名弱と共に
大海人皇子の陣に参加するべく玉倉部邑へと走った。
玉倉部邑に戻ってから、出雲狛の心は取り返しの
つかないと思えるほどの落胆と激しい後悔に襲われた。
発想は悪くなかったはずなのに悲惨は生まれた。
相手の能力を過小評価していたことや、
この世界を生き延びるために、誰もが何かを信じて
それに執着する。その執着を軸にした思考は、
感覚的惰性による判断に知らずのうちに従うものである。
「二人で一人の…」策を味方が腑に落として
理解出来たと思ったのは過大評価であった。
いや、過大評価ではなく、未来に視点を置くならば
そうではなく妥当な評価であるわけだが、
本当のところは彼らの現在を見落として、
安易な過大評価でもって危険の中へ
放り込んだのである。何たる愚かな過失であろうか。
このような不始末を起こした自分に
生きる価値などあるわけがない。もはや自分は
ここまでである。客観視するならば実に短絡的な
落ち込みかたではあるが、出雲狛の心は自然に
そのように落ちていった。どこまでも落ちる
ばかりであった。もはやここまでと言う思いに
囚われた彼は、腰に差していた短剣をそこより
抜き取って、恭しく両手で捧げ持って一礼をしてから、
短剣を鞘より抜き出し喉元に突き立てた。
そしてゆっくりと目を閉じて突き刺さんと
腕を上げたが、何故か腕が上がらない。
何度か試みてもどうしても上がらないので、
そこで目を開けて手元を見ると、
背後より伸びて来ている誰かの両腕が
出雲狛の両腕をしっかりと摑んでいるのが見えた。
驚き振り返ると大海人皇子の姿がそこにあった。
「思い通りにいかないものだな」と大海人は呟いてから、
出雲狛の手から短剣を奪い去り
そのまま無造作に横へ放り投げてから。
出雲狛の小さな躰を強く抱き締めて包み込んで
「私も同じだ。想いが通じたならば、
私はこんな所でこんな風に居ることはないだろう。
だが、出雲狛よ、そのお蔭で私は、
お前は勿論のこと、多くの者を知ることが出来た。
行いの結果ではなくそれを作り出した
己の無知をしっかりと見つめて、
無知であることを恥じて知ることへと向かうのだ。
それでどうしても知ることへ向かえないと思った時には、
死を選ぶのも道のひとつとしてあるが、
その時には考えることを捨てよ」と言った。
その言葉に打たれた出雲狛は、
ようやく泣き崩れ正気に返り、
大海人皇子の震える両腕と、洩れて聞こえてくる嗚咽を
その小さな背中で感じながら、
やり場のない自らの心をそのままで受け止めた。
そこへ見張りの兵に連れられて、羽田公矢国と
大人の親子とその家の者たち一同が大海人の前に
姿を現わした。二人とその家の者たち一同は
大海人の前に跪きそれからひれ伏して、
全員を代表して矢国がはっきりした声で
「我ら一同は、大海人皇子にお味方致します。
どうぞ我らを存分にお使い下さい」と言った。
大海人はひれ伏している羽田公矢国と大人の
手を取りこれを起こして、家の者一同にも
顔を上げるように命じてから
「羽田公矢国と大人、それから家の者たち一同よ。
この大海人はその申し出を非常に嬉しく有難く思う。
羽田公矢国を北越将軍(きたのこしのいくさのきみ)
に任ずる。ここにある出雲狛と共に
今すぐ北方より大津宮を目指せ」と応えたので、
二人とその家の者たち一同は畏れ入って再びひれ伏した。
大海人皇子の軍はすでに玉倉部邑に得体の知れない
統率者を配置して、自分たちは為すすべもなく逃げるより
仕方が無かったと戻って来た誰もが口にした。
具体的に何があったのか聞き込みをしようにも、
空から人がやって来たであるとか、
何処からか矢が飛んで来たとしか言わない。
それらの発言を聞いた山部王が、
大海人皇子のことだから、およそ山の民の信じる
神を奉ずる者を味方につけて、大陸は勿論のこと
それよりも西方の奇策を展開してくるに違いない。
ここは一気に攻め込まずにひとまず
大津宮とまでは言わないが、引き返して何処か
手頃な場所に城を構えて籠ったほうが良いのでは
ないだろうか。と言ったので、ここへ来るまでの間
ずっと山部王に対して疑念を抱いていた
蘇我臣果安の中で何かが弾け、剣の柄に手を乗せて
これを握り引き抜くやすぐさま山部王に斬りかかった。
山部王もむざむざ簡単にやられる者ではなく
即座に剣を抜いてこれを防いだが、
その際に足を滑らせて転んでしまった所で
果安の一突きでもって咽喉を突かれて絶命した。
事が終わって傍で呆然としている巨勢臣人に
向かって果安は顔に浴びた返り血を袖口で拭いながら
「なに心配することはない。どうせ偽者だ」
と言い放った。そう言い終わった所へ、
先般大津宮において、山部王が鈴鹿関から
東へ向かったと蘇我臣果安に報告した男が
入って来て、「申し上げます。私が山部王だと
申した者は山辺君安麻呂でした」と報告したので、
果安の心は逃れようのない後悔の念に囚われ、
みずからの生命に対する尊厳を忘失した。
このことによって戦意を失ったかれは、
目の前に横たわる山部王を外へ連れ出すように
命じてから、全軍に大津宮への撤退を命令した。
その際に偶然その場に居合わせた
羽田公矢国(はたのきみやくに)と
大人(うし)の親子は、撤退する準備をする
素振りをしながら、家の者たち百名弱と共に
大海人皇子の陣に参加するべく玉倉部邑へと走った。
玉倉部邑に戻ってから、出雲狛の心は取り返しの
つかないと思えるほどの落胆と激しい後悔に襲われた。
発想は悪くなかったはずなのに悲惨は生まれた。
相手の能力を過小評価していたことや、
この世界を生き延びるために、誰もが何かを信じて
それに執着する。その執着を軸にした思考は、
感覚的惰性による判断に知らずのうちに従うものである。
「二人で一人の…」策を味方が腑に落として
理解出来たと思ったのは過大評価であった。
いや、過大評価ではなく、未来に視点を置くならば
そうではなく妥当な評価であるわけだが、
本当のところは彼らの現在を見落として、
安易な過大評価でもって危険の中へ
放り込んだのである。何たる愚かな過失であろうか。
このような不始末を起こした自分に
生きる価値などあるわけがない。もはや自分は
ここまでである。客観視するならば実に短絡的な
落ち込みかたではあるが、出雲狛の心は自然に
そのように落ちていった。どこまでも落ちる
ばかりであった。もはやここまでと言う思いに
囚われた彼は、腰に差していた短剣をそこより
抜き取って、恭しく両手で捧げ持って一礼をしてから、
短剣を鞘より抜き出し喉元に突き立てた。
そしてゆっくりと目を閉じて突き刺さんと
腕を上げたが、何故か腕が上がらない。
何度か試みてもどうしても上がらないので、
そこで目を開けて手元を見ると、
背後より伸びて来ている誰かの両腕が
出雲狛の両腕をしっかりと摑んでいるのが見えた。
驚き振り返ると大海人皇子の姿がそこにあった。
「思い通りにいかないものだな」と大海人は呟いてから、
出雲狛の手から短剣を奪い去り
そのまま無造作に横へ放り投げてから。
出雲狛の小さな躰を強く抱き締めて包み込んで
「私も同じだ。想いが通じたならば、
私はこんな所でこんな風に居ることはないだろう。
だが、出雲狛よ、そのお蔭で私は、
お前は勿論のこと、多くの者を知ることが出来た。
行いの結果ではなくそれを作り出した
己の無知をしっかりと見つめて、
無知であることを恥じて知ることへと向かうのだ。
それでどうしても知ることへ向かえないと思った時には、
死を選ぶのも道のひとつとしてあるが、
その時には考えることを捨てよ」と言った。
その言葉に打たれた出雲狛は、
ようやく泣き崩れ正気に返り、
大海人皇子の震える両腕と、洩れて聞こえてくる嗚咽を
その小さな背中で感じながら、
やり場のない自らの心をそのままで受け止めた。
そこへ見張りの兵に連れられて、羽田公矢国と
大人の親子とその家の者たち一同が大海人の前に
姿を現わした。二人とその家の者たち一同は
大海人の前に跪きそれからひれ伏して、
全員を代表して矢国がはっきりした声で
「我ら一同は、大海人皇子にお味方致します。
どうぞ我らを存分にお使い下さい」と言った。
大海人はひれ伏している羽田公矢国と大人の
手を取りこれを起こして、家の者一同にも
顔を上げるように命じてから
「羽田公矢国と大人、それから家の者たち一同よ。
この大海人はその申し出を非常に嬉しく有難く思う。
羽田公矢国を北越将軍(きたのこしのいくさのきみ)
に任ずる。ここにある出雲狛と共に
今すぐ北方より大津宮を目指せ」と応えたので、
二人とその家の者たち一同は畏れ入って再びひれ伏した。
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