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其の弐拾

諸々の動向

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太政大臣に軍備についての報告を終えたあと、
蘇我臣果安(そがのおみはたやす)は大津宮の回廊を
巨勢臣人(こせのおみひと)と二人で帰路を歩きながら、
今後についての話を交わしていた。そこへ兵が一人
近づいて来て、蘇我臣果安の耳元で囁いた。
「何。それは真か」と驚いた表情を見せた蘇我臣果安は、
巨勢臣人に向かって「山部王と石川王が鈴鹿関を越えて、
大海人皇子に合流したそうだ」と言ったので、
巨勢臣人は笑いながら「何を申されますか。
山部王は我らと共に出陣するわけですし、石川王は
吉備太宰の留守を補うために先日行かれた
ところではありませんか」と返した。
「そうだな。別人であろうな」と蘇我臣果安も
笑って返したが、実際のところ山部王と石川王の二人と
顔を合わせたのは、群臣会議の時が初めてに近い。
それまでも何度か会ったようにも思われるが
記憶が定かでない。また、彼らの顔は何処にでも
ありそうな造りなので、別の人間と入れ替わっていた
としてもそうそうは気づかないだろう。
そんな風に考えてみると、むしろ群臣会議に
参加していた二人は偽者であり、本当の二人は席を
退出した高市皇子と示し合わせて、大津から東国へ
出発したのかも知れないし、もしかすると高市皇子と
ではなく、大津皇子やその従者たちと共に
大津を出たのかも知れない。蘇我臣果安の脳裏に
そのような疑念が次々と膨らんでいく。
そこで巨勢臣人が駄目押しのごとくに「そう言えば、
山部王も石川王も政においては大海人皇子と
同じ考え方をしておりましたな」と言ったので、
蘇我臣果安の疑念は完全にその心の中で凝り固まって、
偽者であろう山部王は、間違いなく我らを
葬り去るために共に東国へ向かうのだろうと言う
考えが浮かんだが、そうであったとしても、
その場において説得をしてこちら側に鞍替えして
もらえば何ら問題はないではないか。と思い直した。

吉備太宰に到着した石川王は、即座に官人たちに
向かって大海人皇子の側に味方することを宣言し、
大津宮の要請に対しては断固とした態度で
臨むように訓示した。長官であった当麻公広嶋も
同様の態度であったので、官人たちは先に下された
命令を遂行すればよいことになるので、
長官を失ったことによる混乱は避けられた。
石川王は実際のところ正式な長官としてではなく、
重臣たちによる提案に乗っかって留守を
請け負っただけなので、本当のところ命令権などは
存在しない。しかしながら、一部の官人を除いては
そのような違いについて気づく者などいない。
気づいている者たちも前任者と思いを同じく
していたので話は早かった。石川王の目論見は
何の苦労もなくすんなりと受け入れられたのである。
有事であることを理由に引き出して、あくまでも
留守として出向くことにしたのは、
大海人皇子援護の姿勢を保つためであった。
決定権がない留守である以上は、
いちいちの判断を大津宮に
伺わなければならないわけであり、前任の意向を
そのまま継承することでもって、伺うことに変えて
時間を稼いだうえで戦の終結を待つのが
彼の思惑であった。しかしながら、彼はこの行動の
結果として、戦が終結した後で自らが正式に
吉備太宰の長官になることなど予想もしていなかった。
さて、それはそうとして、大層なことが
あったようで屋根の瓦が何枚か剥げ落ちていて、
矢を放つのに屋根の上に乗って踏ん張ったようで、
ずり落ちている箇所もいくつか見てとれた。
このような修復については急を要することなので、
伺いを立てるまでもない話なのですぐに
取り掛かることにした。そこで
「誰か腕の良い大工はいないか」と官人の
ひとりに訊ねたところ、段取り上手で仕事の速い
宮大工を知っているとのことだったので、
その男を呼ぶことにした。これまた、
これがきっかけで戦が終わった後で神を祭る宮を
一つ創建することになるのだが、
そのことについても石川王はまったく
予想もしていなかった。
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