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其の拾
合流
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大化の改新の名称でもってよく知られている、
乙巳の変に始まる中央集権国家を確立する中で、
統一基準を用いての初めての戸籍調査が行われた。
その調査によってまとめられた記録を
「庚午年籍」と言う。
これによって、可能な範囲の民の徴発や税の徴収の
明確な数値が見えてくることになったが、
あくまでもそれは表面的なものであり、
豪族などの潜在的な実質勢力を確定することも
なされていないし、未開の奥地に住むことで
山中を転々として生活している人たちなどは
数に含まれていない。
それが現状なので、道中は少ないどころか
かなり危険な状況であり、そのような中をわずか二人で
黄昏時の道を急ぐ大分君恵尺と大津皇子は、
身なりからその地位なども推察出来るので、
言うまでもなく格好の餌食である。
いつからか怪しい集団が二人の後ろを気づかれないように
近づいて来ていた。その日の糧を得ることで日々を
生き延びるしかない現実の中で、
目の前に存在する人も物も、自分が生きるために
役立つために取り扱うことは自然なことである。
その自然によって操られた怪しい集団によって、
目の前の二人は今まさに役立つための
物に換えられようとしていた。
大分君恵尺は大津皇子の手を引いて
慌てて獣道へ踏み込んで、しばらく経ってから
馬を置き忘れたことに気づいた。
気づいた時にはかなり道を進んでおり、
はっきり言い切ってしまうならば道に迷って
しまっていたので、戻るにも戻れない状況になっていた。
迷い迷ってどうにかして街道と思しき
道に出た頃には黄昏時になっていた。
怪しい集団は、二人を襲撃する機会を伺いながら、
それぞれお互いに関係のない者であるように装って、
一定の距離を保ったまま、時折二人のうちのいずれかが
後ろを振り返った瞬間には、傍の林に身を隠したり、
荷物の確認をする素振りで足を止めたりして
遣り過ごしついて来ていた。
いよいよ、ちょうどよい状況が整って襲い掛かろう
とした瞬間、彼らの後ろから複数の馬の足音が
騒々しく響いて、そればかりではなく大声で
言い争う声も聞こえて来た。
慌てた怪しい集団一同は即座に林の中へ逃げ込んだ。
後ろから来ていたのは、怪しい集団が襲うつもり
であった二人の知り合いらしく、「おーい。皇子」、
「只今参りましたぞ」、「無事で御座いますか」などなど。
親しい口ぶりで口々に前の二人に向かって呼びかけた。
二人のうちの子供のほうが後ろを振り向いて、
大きく両手を振ると呼びかけていた男たちは
それぞれに「ご無事の様だ」、「何とも一安心だな」、
「それにしてもお前があそこで手間取るからいけないのだ」、
「過ぎたことを言うな」などなど。言い合いながら、
全員が二人の傍にやって来て馬を止めた。
五人を認めた大津皇子が「皆々、ご苦労である。有難う」
と言ったので、五人全員は顔をほころばせて喜んだ。
大津皇子の従者の五名は、難波吉人三綱(なにわのきしみつな)、
駒田勝忍人(こまだのすぐりおしもと)、
山辺君安麻呂(やまべのきみやすまろ)、
小墾田猪手(おはりだのいて)、泥部胝枳(はつかしべのしき)、
大分君稚臣(おおきだのきみわかみ)、
根連金身(ねのむらじかねみ)、
漆部友背(うるしべのともせ)である。
「恵尺さま。お忘れの馬も無事に連れて参りました」と
山辺君安麻呂が言ったので、大分君恵尺と大津皇子は
あえてその事には触れずにいたことに今更ながら気づいて、
ふっと顔を見合わせて笑った。
次に根連金身が「ところで皇子。先ほどから後ろから
賊が近づいて来ていたのを御存じでしたか」と尋ねると、
「分かってはおったが、二人だけなのでな。
何としたものかと思案しておった」と大津皇子が応える。
「彼らもすることがあれば、このような事を
する必要もないであろうに」と小墾田猪手が言うと、
「では、味方に引き入れるか」と
難波吉人三綱が言ったところ、
「それは面白い話だ。ここはひとつ誘ってみよう」と
大分君稚臣はそう言ってすぐに
彼らが隠れた林の方まで戻っていった。
怪しい集団は逃げることなく、まだそこに留まっていた。
その内の一人が恐る恐る林の中を覗き込んできた
大分君稚臣に話しかけた。「あんだらはだれだ」
稚臣は「大海人皇子の家の者だ」と答えた。
すると何やらぶつぶつと意味不明な会話が続いてから、
襤褸に褌姿の男が前に出て来て、
「おあま。しってる。おれ、しってる。なかいい。
だから、おあまのてつだいしている」と言ったので、
稚臣は「そうか。名は何と言う」と問いかけると、
「おあま、おれ、きよまろという」と答えた。
「清麻呂」と稚臣が返すと「そ、きよまろ」と男も返した。
「よし、清麻呂。これから多分、戦が起こって
大海人皇子が戦うことになる。大海人皇子が勝ったならば、
お前たちに役割が与えられるだろう。
その時まで生き延びよ。だが、人から奪ってはならない。
土を耕し、魚を釣ったりして食っていくのだ」と
稚臣は言ってその場を離れて
皆の待つ場所へ戻っていった。
清麻呂は「つち、たがやし。さかな、つり」と呟いてから、
仲間に向かって意味不明な言葉で話し始めた。
仲間たちはそれを聞いて首を縦に振って賛同の意を示した。
六八一年の七月に諸国の罪や穢れを祓うための祭事として
「天下大解除(あめのしたのおおはらえ)」と
呼ばれる儀式が行われた。この時に祓物として
多くの奴婢身分が創られた。
これらの人たちには姓(かばね)を与えず、
諸国の罪や穢れの象徴として規定された身分とした。
姓を持たないという共通項でもって
天皇(すめらみこと)と対置することによって、
天皇の清浄性を強調するとともに、
別の側面から想定すると生きる術のない人たちに
役割を与えることで新しい社会の中へ組み入れる
と言う意図もあったのではないだろうか。
社会における政の方向性から漏れ落ちてしまう人たちを、
祭事の方向性から掬い上げる仕組は
常に必要なことであるはずなのだが、
祭事の仕組を社会においてしっかりと定着させるためには、
その絶対根拠となる神や仏などの存在を
全面的に認知する必要がある。
「天下大解除」とは、大海人皇子つまり即位後の天武天皇が、
神や仏などの存在を全面的に認知していたうえで、
これを政の補完として国事に取り入れたうえで、
「天皇」の意義の確立と、「庚午年籍」の
限りなく実質に近い情報の正確化を成し遂げたうえで、
仏教という新しい精神的主柱を取り込むことで
古き良き日本の国体を再構築して、
それを軸にした目指すべき繁栄を
明らかにした儀式のひとつである。
乙巳の変に始まる中央集権国家を確立する中で、
統一基準を用いての初めての戸籍調査が行われた。
その調査によってまとめられた記録を
「庚午年籍」と言う。
これによって、可能な範囲の民の徴発や税の徴収の
明確な数値が見えてくることになったが、
あくまでもそれは表面的なものであり、
豪族などの潜在的な実質勢力を確定することも
なされていないし、未開の奥地に住むことで
山中を転々として生活している人たちなどは
数に含まれていない。
それが現状なので、道中は少ないどころか
かなり危険な状況であり、そのような中をわずか二人で
黄昏時の道を急ぐ大分君恵尺と大津皇子は、
身なりからその地位なども推察出来るので、
言うまでもなく格好の餌食である。
いつからか怪しい集団が二人の後ろを気づかれないように
近づいて来ていた。その日の糧を得ることで日々を
生き延びるしかない現実の中で、
目の前に存在する人も物も、自分が生きるために
役立つために取り扱うことは自然なことである。
その自然によって操られた怪しい集団によって、
目の前の二人は今まさに役立つための
物に換えられようとしていた。
大分君恵尺は大津皇子の手を引いて
慌てて獣道へ踏み込んで、しばらく経ってから
馬を置き忘れたことに気づいた。
気づいた時にはかなり道を進んでおり、
はっきり言い切ってしまうならば道に迷って
しまっていたので、戻るにも戻れない状況になっていた。
迷い迷ってどうにかして街道と思しき
道に出た頃には黄昏時になっていた。
怪しい集団は、二人を襲撃する機会を伺いながら、
それぞれお互いに関係のない者であるように装って、
一定の距離を保ったまま、時折二人のうちのいずれかが
後ろを振り返った瞬間には、傍の林に身を隠したり、
荷物の確認をする素振りで足を止めたりして
遣り過ごしついて来ていた。
いよいよ、ちょうどよい状況が整って襲い掛かろう
とした瞬間、彼らの後ろから複数の馬の足音が
騒々しく響いて、そればかりではなく大声で
言い争う声も聞こえて来た。
慌てた怪しい集団一同は即座に林の中へ逃げ込んだ。
後ろから来ていたのは、怪しい集団が襲うつもり
であった二人の知り合いらしく、「おーい。皇子」、
「只今参りましたぞ」、「無事で御座いますか」などなど。
親しい口ぶりで口々に前の二人に向かって呼びかけた。
二人のうちの子供のほうが後ろを振り向いて、
大きく両手を振ると呼びかけていた男たちは
それぞれに「ご無事の様だ」、「何とも一安心だな」、
「それにしてもお前があそこで手間取るからいけないのだ」、
「過ぎたことを言うな」などなど。言い合いながら、
全員が二人の傍にやって来て馬を止めた。
五人を認めた大津皇子が「皆々、ご苦労である。有難う」
と言ったので、五人全員は顔をほころばせて喜んだ。
大津皇子の従者の五名は、難波吉人三綱(なにわのきしみつな)、
駒田勝忍人(こまだのすぐりおしもと)、
山辺君安麻呂(やまべのきみやすまろ)、
小墾田猪手(おはりだのいて)、泥部胝枳(はつかしべのしき)、
大分君稚臣(おおきだのきみわかみ)、
根連金身(ねのむらじかねみ)、
漆部友背(うるしべのともせ)である。
「恵尺さま。お忘れの馬も無事に連れて参りました」と
山辺君安麻呂が言ったので、大分君恵尺と大津皇子は
あえてその事には触れずにいたことに今更ながら気づいて、
ふっと顔を見合わせて笑った。
次に根連金身が「ところで皇子。先ほどから後ろから
賊が近づいて来ていたのを御存じでしたか」と尋ねると、
「分かってはおったが、二人だけなのでな。
何としたものかと思案しておった」と大津皇子が応える。
「彼らもすることがあれば、このような事を
する必要もないであろうに」と小墾田猪手が言うと、
「では、味方に引き入れるか」と
難波吉人三綱が言ったところ、
「それは面白い話だ。ここはひとつ誘ってみよう」と
大分君稚臣はそう言ってすぐに
彼らが隠れた林の方まで戻っていった。
怪しい集団は逃げることなく、まだそこに留まっていた。
その内の一人が恐る恐る林の中を覗き込んできた
大分君稚臣に話しかけた。「あんだらはだれだ」
稚臣は「大海人皇子の家の者だ」と答えた。
すると何やらぶつぶつと意味不明な会話が続いてから、
襤褸に褌姿の男が前に出て来て、
「おあま。しってる。おれ、しってる。なかいい。
だから、おあまのてつだいしている」と言ったので、
稚臣は「そうか。名は何と言う」と問いかけると、
「おあま、おれ、きよまろという」と答えた。
「清麻呂」と稚臣が返すと「そ、きよまろ」と男も返した。
「よし、清麻呂。これから多分、戦が起こって
大海人皇子が戦うことになる。大海人皇子が勝ったならば、
お前たちに役割が与えられるだろう。
その時まで生き延びよ。だが、人から奪ってはならない。
土を耕し、魚を釣ったりして食っていくのだ」と
稚臣は言ってその場を離れて
皆の待つ場所へ戻っていった。
清麻呂は「つち、たがやし。さかな、つり」と呟いてから、
仲間に向かって意味不明な言葉で話し始めた。
仲間たちはそれを聞いて首を縦に振って賛同の意を示した。
六八一年の七月に諸国の罪や穢れを祓うための祭事として
「天下大解除(あめのしたのおおはらえ)」と
呼ばれる儀式が行われた。この時に祓物として
多くの奴婢身分が創られた。
これらの人たちには姓(かばね)を与えず、
諸国の罪や穢れの象徴として規定された身分とした。
姓を持たないという共通項でもって
天皇(すめらみこと)と対置することによって、
天皇の清浄性を強調するとともに、
別の側面から想定すると生きる術のない人たちに
役割を与えることで新しい社会の中へ組み入れる
と言う意図もあったのではないだろうか。
社会における政の方向性から漏れ落ちてしまう人たちを、
祭事の方向性から掬い上げる仕組は
常に必要なことであるはずなのだが、
祭事の仕組を社会においてしっかりと定着させるためには、
その絶対根拠となる神や仏などの存在を
全面的に認知する必要がある。
「天下大解除」とは、大海人皇子つまり即位後の天武天皇が、
神や仏などの存在を全面的に認知していたうえで、
これを政の補完として国事に取り入れたうえで、
「天皇」の意義の確立と、「庚午年籍」の
限りなく実質に近い情報の正確化を成し遂げたうえで、
仏教という新しい精神的主柱を取り込むことで
古き良き日本の国体を再構築して、
それを軸にした目指すべき繁栄を
明らかにした儀式のひとつである。
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