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口裂け女が廃業
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適当庵に来ている間に貴龍院丑寅にあれこれ聞きたいことがあったのだが、どうも忘れ果ててしまった感じである。どうやら適当庵と自分の生きている世界は別の次元のようである。夢落ちなのかしらん。どうも夢というものも一般的に言われているような脳が産み出すモノではなさそうであることに最近私は気づき始めている。
そのようなことを考えていると続けて訪問者が現れた。マスクを着用した女性である。女性は挨拶も無しにいきなり座敷に上がって、「最近商売が成り立たない」と貴龍院丑寅に訴えかけるような切実なトーンで語りかけた。貴龍院丑寅はこの言葉を受けて「成り立たないのはどこも同じのようだな」と返したが、女は首を大げさに横にブンブンと振ってから、貴龍院丑寅にさらに一歩近づいて「違うのです。マスクを着用していることが珍しくなくなって、奇異な状態でなくなったから困っているのです」と言った。貴龍院丑寅は何か分かったようで成程と納得した表情になって、それから同情をするような眼差しを女に差し向けて「確かにマスクを着用していることが特別なことでなければ、マスクを外した時の結果も大いに変わるでしょうなあ」と女の悩みを受け止めた。女の正体は一昔前に世間を賑わせた口裂け女であった。
ここで口裂け女というものについて知らない人もいるので改めて説明すると、現在は花粉症や感染症予防など様々な理由が喧伝された結果、マスクを着用することが当たり前になっているが、マスクを着用している状態が珍しかった時代に、街中でマスクを着用した綺麗な女性が「私きれい?」と声を掛けて来て、マスク越しに見ると案外に誰しも綺麗に見えるので「きれいですよ」と御愛想を込めて応えると、「これでもかしら」と言ってマスクを取り外して口元を見せる。するとその口は耳まで裂けている。それを見て「うぎゃあ!」と驚いて逃げるという顛末の都市伝説である。
これまで私は、口裂け女は都市伝説かと思っていたので実在を疑っていたのだが、現時点において私の目の前にいて貴龍院丑寅と話をしている。しかしながら、適当庵は私の生きている世界とは別の世界なので、今の私のように口裂け女も私の生きている世界に偶然迷い込んだ時に誰かと出くわして、都市伝説にあるような遣り取りを行ったことは想定できなくもない。
「ところで何故商売が成り立たないのですか?」貴龍院丑寅が聞くと、女はそれには答えずに耳に掛けてあるゴムを外してマスクを取った。すると…女の口元は裂けていなくて、普通以上に色気のあるふっくらとした唇の愛らしい口元であった。貴龍院丑寅が女の口元を見て、驚くとともに「成程」と一言つぶやくと、次のように女は話した。
昔は女がマスクを着用していることに対しての世間一般の印象が、口元が残念であるとか、容姿に難があるとかいったものであったのが、最近は女がマスクを着用していることが自然なことになった結果として、綺麗であろうという特に男性の妄想のほうが悪い印象に打ち勝った結果として、私の口元が普通になってしまったようである。口元が普通になったならば、「私きれい?」⇒「きれいですよ」⇒「これでもかしら」⇒「うぎゃあ!」が成立しなくなる。「うぎゃあ!」あっての口裂け女なのにこのような愛らしい口元では、これからどうやって口裂け女として生きて行けばいいのか分からない。
貴龍院丑寅は女の話を聞いてから「これからは実は別嬪さんでいけばいいじゃあないか」と言ったが、女はまだ納得がいかないようである。難しい問題である。『口裂け女』というとすっきりとしたネーミングになるが、『実は別嬪さん』となるとどうもしっくりとこない。この『実は別嬪さん』をどのようにすっきりとしたネーミングにすれば良いのだろうか?『元口裂け女』でも変な話である。名前と言うものはアイデンティティーを構成する要素として重要なものであるが、『美子』と名付けられてもそうじゃない人も居るし、『幸子』に関しては名前負けして不幸になるなどと言われている。話が少し逸れたようなので戻してみる。『マスク女』ではどうだろうか?と思いついたが、マスクが一般的になったから『口裂け女』が通用しなくなっているのである。『マスク女』はどうあっても使えない。
あれこれと3人で思い悩んでいたところ、坂江寿夷が「まいど」と言ってから勝手に入って来て、「あ、道子さん。ここに居たのですね」と口裂け女に向かって言ったので、『元口裂け女』はこれから『道子さん』と呼ばれることになった。恵比寿さんこと坂江寿夷が何故『道子さん』と呼んだのかは定かではないが、六道の辻の観念に由来する道祖神に因んでかも知れないと何となく思えて来た。
逢魔が時に「私きれい?」と問いかける時のマスクが一般化してしまって、マスクを取った時の恐怖よりも同情を引く可能性が高くなってしまった『口裂け女』は、坂江寿夷の呼びかけによって『道子さん』として彷徨える人たちを導く存在にレベルアップしたのである。貴龍院丑寅もこのネーミングに納得したようで、「良かったねえ。道子さん」と言って、項垂れている道子さんの顔を下から覗き込んだ。道子さんは少し気持ちが軽くなったような雰囲気を見せていたが貴龍院丑寅の言葉に返事はしなかった。
そのようなことを考えていると続けて訪問者が現れた。マスクを着用した女性である。女性は挨拶も無しにいきなり座敷に上がって、「最近商売が成り立たない」と貴龍院丑寅に訴えかけるような切実なトーンで語りかけた。貴龍院丑寅はこの言葉を受けて「成り立たないのはどこも同じのようだな」と返したが、女は首を大げさに横にブンブンと振ってから、貴龍院丑寅にさらに一歩近づいて「違うのです。マスクを着用していることが珍しくなくなって、奇異な状態でなくなったから困っているのです」と言った。貴龍院丑寅は何か分かったようで成程と納得した表情になって、それから同情をするような眼差しを女に差し向けて「確かにマスクを着用していることが特別なことでなければ、マスクを外した時の結果も大いに変わるでしょうなあ」と女の悩みを受け止めた。女の正体は一昔前に世間を賑わせた口裂け女であった。
ここで口裂け女というものについて知らない人もいるので改めて説明すると、現在は花粉症や感染症予防など様々な理由が喧伝された結果、マスクを着用することが当たり前になっているが、マスクを着用している状態が珍しかった時代に、街中でマスクを着用した綺麗な女性が「私きれい?」と声を掛けて来て、マスク越しに見ると案外に誰しも綺麗に見えるので「きれいですよ」と御愛想を込めて応えると、「これでもかしら」と言ってマスクを取り外して口元を見せる。するとその口は耳まで裂けている。それを見て「うぎゃあ!」と驚いて逃げるという顛末の都市伝説である。
これまで私は、口裂け女は都市伝説かと思っていたので実在を疑っていたのだが、現時点において私の目の前にいて貴龍院丑寅と話をしている。しかしながら、適当庵は私の生きている世界とは別の世界なので、今の私のように口裂け女も私の生きている世界に偶然迷い込んだ時に誰かと出くわして、都市伝説にあるような遣り取りを行ったことは想定できなくもない。
「ところで何故商売が成り立たないのですか?」貴龍院丑寅が聞くと、女はそれには答えずに耳に掛けてあるゴムを外してマスクを取った。すると…女の口元は裂けていなくて、普通以上に色気のあるふっくらとした唇の愛らしい口元であった。貴龍院丑寅が女の口元を見て、驚くとともに「成程」と一言つぶやくと、次のように女は話した。
昔は女がマスクを着用していることに対しての世間一般の印象が、口元が残念であるとか、容姿に難があるとかいったものであったのが、最近は女がマスクを着用していることが自然なことになった結果として、綺麗であろうという特に男性の妄想のほうが悪い印象に打ち勝った結果として、私の口元が普通になってしまったようである。口元が普通になったならば、「私きれい?」⇒「きれいですよ」⇒「これでもかしら」⇒「うぎゃあ!」が成立しなくなる。「うぎゃあ!」あっての口裂け女なのにこのような愛らしい口元では、これからどうやって口裂け女として生きて行けばいいのか分からない。
貴龍院丑寅は女の話を聞いてから「これからは実は別嬪さんでいけばいいじゃあないか」と言ったが、女はまだ納得がいかないようである。難しい問題である。『口裂け女』というとすっきりとしたネーミングになるが、『実は別嬪さん』となるとどうもしっくりとこない。この『実は別嬪さん』をどのようにすっきりとしたネーミングにすれば良いのだろうか?『元口裂け女』でも変な話である。名前と言うものはアイデンティティーを構成する要素として重要なものであるが、『美子』と名付けられてもそうじゃない人も居るし、『幸子』に関しては名前負けして不幸になるなどと言われている。話が少し逸れたようなので戻してみる。『マスク女』ではどうだろうか?と思いついたが、マスクが一般的になったから『口裂け女』が通用しなくなっているのである。『マスク女』はどうあっても使えない。
あれこれと3人で思い悩んでいたところ、坂江寿夷が「まいど」と言ってから勝手に入って来て、「あ、道子さん。ここに居たのですね」と口裂け女に向かって言ったので、『元口裂け女』はこれから『道子さん』と呼ばれることになった。恵比寿さんこと坂江寿夷が何故『道子さん』と呼んだのかは定かではないが、六道の辻の観念に由来する道祖神に因んでかも知れないと何となく思えて来た。
逢魔が時に「私きれい?」と問いかける時のマスクが一般化してしまって、マスクを取った時の恐怖よりも同情を引く可能性が高くなってしまった『口裂け女』は、坂江寿夷の呼びかけによって『道子さん』として彷徨える人たちを導く存在にレベルアップしたのである。貴龍院丑寅もこのネーミングに納得したようで、「良かったねえ。道子さん」と言って、項垂れている道子さんの顔を下から覗き込んだ。道子さんは少し気持ちが軽くなったような雰囲気を見せていたが貴龍院丑寅の言葉に返事はしなかった。
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