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竜太と神楽のむかしのはなし。

23.寝不足なの?

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 真っ暗な部屋で竜太は目を覚ました。隣から唸るような声が聞こえ慣れた手つきでベッドヘッドに備え付けられているライトをつけると体を起こし隣を見つめながら顎が外れるほどに大きな欠伸を溢した。ルームシェアを始めて数日、毎晩同じように起こされてしまえば寝不足にもなるというもの。
 声の主は仰向けで布団を強く握り締め額に大粒の汗を浮かべながら低い声で「うー」とか「あー」と唸り声を上げていた。
 枕元に用意していたハンドタオルで額を拭うと荒い呼吸が徐々に落ち着き青白かった顔色は少し血色が良くなっているように見えた。
 穏やかに寝息をたてる神楽の様子を見つめながら竜太は頭を抱えた。
「自分で言うた事やけど毎晩こんな姿を見せられんのはツラいわ…」
 起こさないよう静かに溜め息を吐き出すと柔らかい黒髪を撫でるが当の本人は竜太の心痛な叫びをどこ吹く風と言わんばかりに規則的な寝息を乱すことはなかった。


 気持ちいい朝日を浴びながら神楽は竜太を見下ろしていた。
 アラームが鳴るのと同時に目を覚ました神楽はすぐにベッドから起き上がり洗面台に向かった。顔を洗い歯を磨くと壁にかけていたエプロンをつけ真っ直ぐにバーカウンターに向かう。伝えておけば朝食もホテルのルームサービスで用意してくれると竜太は言ったが神楽はそれを受け入れなかった。元々一人暮らしを始めた時から自炊をしていた朝型の神楽は早起きすることも苦ではない。それどころか規則正しい生活を維持するために必要なプロセスだとすら思っていた。広すぎる部屋には小さいがキッチンと呼べるような場所もある。竜太が運び込んだ神楽の冷蔵庫もあり朝食程度を用意するには充分だ。同居を始めた翌日には「明日から朝食は俺が作る」と竜太に宣言し有言実行している。
 サラダに焼き鮭、味噌汁と純和風な二人分の朝食を作り終え、なかなか起きてこない同居人を起こそうと寝室に戻った神楽は布団を抱き枕代わりにしながら起きる気配のない竜太の姿をまじまじと見下ろしていた。
 どうやら寝相に育ちは関係ないらしい。
 以前に合宿で同部屋になった親慶の布団がほとんどベッドから落ちていたわんぱくな寝相よりはマシだが掛け布団は竜太の腕の中でその仕事をさせてもらえず広い背中は朝の冷たい空気に晒されている。いくら空調が効いてるとはいえ神楽は「寒くないのか?」と思わずにいられない。顔を覗き込むと眠っているはずなのに眉間に皺を寄せとても安眠出来ているようには見えない。
「…朝だぞ。いい加減起きろ」
 低い声をかけながら竜太の体を揺すると短い唸り声を上げたあと薄く開いた瞳が神楽を捉えた。
「…お前は毎朝元気やな…」
「あんたは日に日にくたびれてる気がする」
 ふわぁと欠伸をしながらのそりと起き上がると大きな体を左右に揺らしながら洗面台へ向かう後ろ姿はまるで熊のようで神楽は静かに笑みを溢した。
 その背中を見送ると朝食が並んだ席に戻りしばらく待っていると相変わらず鈍い動きで自分の方へ向かってくる竜太の顔を見上げ神楽は訝しげに眉を顰めた。
「相変わらず美味そうやな…」
「寝不足なの?」
「あん?」
 噛み合わない会話に竜太が不思議そうに顔を上げると神楽は自分の目の下を指差した。
「目の下の隈。日に日に濃くなってる気がする」
 その言葉に竜太は思い当たることがあったのだろう分かりやすく目を逸らし「あぁ」と呟いた。
「俺のせい?」
 同居する前には竜太の顔にそんな隈を見た覚えがない。ということは自分が原因なのだろうと神楽は冷静に竜太の身を案じていた。
「いや。お前は関係ない。爺の仕事の方がちょっと忙しいだけやから…」
「…そう」
 竜太にしては下手な嘘だと気付いてしまった。
 神楽はそれ以上話を続けることはせず甘いホットコーヒーを口に含んだ。
 眠っている自分の様子は親慶と義経から聞いていたしスマホで動画撮影もしてもらい理解していた。だから嫌だったのだ。そんな自分はこの人の負担にしかならないだろうと分かりきっていたからだ。
 しかし同居を提案してきたのは自分ではなく竜太からだったので自分の方から同居解消を言い出すのは違う気がしていた。ましてや自分の荷物を勝手に半日で運び出した意志の固さと非常識な行動力を目の当たりにして逃げられる自信がなかったのも事実だった。
 どうしたものか、と思い悩む神楽だったが竜太はその晩から少しずつ晩酌の量が増えていき神楽の心配はますます増えていくのだった。
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